蒼青幼少期(後編)

お母さんはズカズカと遠慮無しに古いお寺の門をくぐる。
そして迷う事無くどこかに向かって私を抱いたまま歩いて行った。
足を止めたのは濃いピンクの花を満開に咲かせた木々が立ち並ぶ場所だった。
花の形からして桜ではない。
小さくふっくらとした形の花。

これってもしかして……
「梅じゃねぇか……」

後ろから付いて来た鯉伴さんが片目を閉じ木を見上げながら、その花の正体を口にした。
と、お母さんは小さく笑う。

「昔はね、梅の花を見る事が花見だったんだよ。風流だろう?」
「梅の花ねぇ……。……まぁ、こうして見ると風情があるぜ」
「だろう? アンタん家の枝垂れ桜にも負けてないだろ」
「……、さぁてそりゃどうかね。んな事言うと親父にどやされっぜ?」
「ジジイなんざ返り討ちにするに決まってるだろう?」
「天華もバ「それ以上へらず口叩くなら、判ってるんだろうね?」
「へーへー、わぁったって」

お母さんに鋭い眼光を向けられた鯉伴さんは、肩を竦めながら降参とばかりに空いている方の手を上げた。

でも、昔は梅の花で花見してたなんて知らなかった。
花見と言えば桜が定番だからだ。

お母さん、結構博学なんだなぁ…
江戸時代から生きて来た鯉伴さんも知らなかったような感じだったし、昔っていつの頃なんだろ?

お母さんの腕の中で不思議に思っているうちに、鯉伴さんは脇に抱えていたゴザを広げた。
そして、懐から一升瓶を3本とジュースを2本、そして3段の黒塗りの重箱を取り出しその場に置く。

懐から重箱!?
え? え!? そんなに重いもの懐にしまえるもの!?
それに、もししまえてても、胸元が膨らむよね!?
でも膨らんでなかった……!
四次元ポケットなんて現実にあるはずないし、なんで!?

驚愕に目を丸く見開いてる私をお母さんはゴザの上に下ろすと、その隣にお母さんも足を組んで座った。
お母さんは鯉伴さんの懐の謎を不思議に思ってないらしく、平然としている。

なんで疑問に思わないの!?
疑問に思ってるの私だけ!?

混乱し頭を抱えている中、鯉伴さんの手で重箱の蓋が開けられた。
色とりどりの豪華絢爛なおかずが姿を現す。
その豪華さにさっきまで抱えていた疑問がスポンと飛んで行った。

うわー! すごい! おいしそう!!
エビがある!! から揚げも!!
うわー、うわー、でもいつの間に用意したんだろう!?

驚愕の表情のまま鯉伴さんを見ると、金の目を細めた鯉伴さんが大きな手をこちらに伸ばして来た。
そしてその大きな掌を私の頭の上に乗せ、ゆっくりと撫ぜられる。

「どれでも好きなの食べていいんだぜ? だが本当に似てやがる……目を丸くしたとこなんか本当に瓜二つだぜ」

ん? お母さんに似てるの?
そうなのかな? お母さんみたいに漢前な顔じゃないと思うけど……

隣に座っているお母さんを見上げると、お母さんは唇の端を持ち上げ、なんだい? と首を傾げられた。
と、正面に座っている鯉伴さんが、いつの間にか白い杯に注いだ酒に口をつけながら口を開いた。

「話し蒸し返して悪ぃが、本当に天華の子かい? 可愛い過ぎだぜ。将来美人になる事間違い無しだな」

えっと……、普通の顔だと思うけど、お世辞なのかな?
でも、なんで今お世辞言うんだろ?

頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにしていると、お母さんが肩を揺すらせ豪快に笑い出した。
 
「かっはははは、私の娘だよ。当たり前だろう?」

お母さんは鯉伴さんの手をベシッと払いのけると私をぎゅうっと抱きしめた。

鼻がお母さんの着物に塞がれて息が出来ない!

「んーっ、おかあさん、くる、しっ」
「ああ、悪い、悪い。響華が可愛いからついねぇ。かっはっはっ」
「ぷはっ」

緩められた腕からやっとこさ抜け出す。
でも抜け出すのに体力を使ってしまって、凄く疲れてしまった。

お母さん、力強すぎる……

喉もカラカラだ。

お水………

私は頭をふらふらさせながら周りを見回すと、目の前に水が入ったコップが置かれていた。

「おみず……」

それを手に取り、グイッと喉に流し込んだ。
途端、喉の奥がカッと熱くなる。

う、え!?

と思ったら、顔にカカッと熱が集まり出す。

「にゃんであつひの……?」

ぽわんとしてきた意識の中、良く分からない自分の身体の状態に首を傾げる。

「かっはっはっ、間違えて飲んじまったようだねぇ。まあ、私の娘だから大丈夫さ」

まちがえて……?
なにとまちがえたんだろう?

考えてもなかなか答えが浮かんで来ない。

どうしてだろ?

ぽわぽわしたまま、目の前に座っている鯉伴さんを見る。

あらためてみると、からだおっきー
おおきなひざも、ひろくてあったかそう……

私はふらふらと引き寄せられるように、鯉伴さんのお膝にぼふんっと顔から突っ込んだ。

かたいけど、あったかい……

何も考えず、その暖かさに頬を擦り付ける。
と、頭の上に暖かいものが置かれ、そのままゆっくり撫ぜられた。

きもちいー

「天華。このまんま響華ちゃんをウチに連れて帰っちまってもいいかい?」
「鯉坊。何ぬかしてんだい? ダメに決まってんだろ?」
「それじゃ、嫁にするしかねぇか……」
「ダメー! きょうかちゃんはボクのよめさん!」
「2人共、却下だよ」

3人の声を聴きながら、瞼が重くなった私はそのまま眠ってしまった。



「響華」

誰かが低い声音で私の名前を呼ぶ。
耳元で囁かれる声が、とても気持ち良い。

「愛してるぜ」

その言葉と共に大きな腕できつく抱き締められた。
幸せな気持ちが心の中に広がる。

「大好き……」

私はその人をぎゅっと抱き締め返した。
と、そのとたんパッと目が覚める。
目に映るのは見慣れた木目の天井。
いも寝起きしている自分の部屋だった。
そして私は布団の中で寝ていた。

「あ、れ……?」

今のは夢? 夢だよね。
なのに、幸せな気持ちが胸の中にまだ残ってる。

いつの間にか自宅に帰って来たのか、という疑問よりも先に夢の中で抱きしめて来た男性を思い出す。

誰だったんだろ?

抱き締められてて顔が全く見えなかった。
夢だから、現実にはいない人だと思うけど、この胸に広がる暖かくて幸せな気持ちを与えてくれた人。

「いつか本当に会えたらいいな……」

私はそう呟きつつ、暖かいものが残る胸を押さえた。

抱き締めてくれた人が誰か判るのは、10年後の未来。
それも身近な人だとは、予想もしなかった私だった。






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