パイプで造られた簡易ベッドの上に横になり、白い掛け布団を顔の半分くらいまで引き上げて寝たフリをしていると、淡いグリーンのカーテンの向こうでガチャガチャと音がしてきた。
保健室を出て行った気配が無かったから、きっと音を立てているのは奴良リクオなのだろう。
何してんだろ?
眉を顰めて様子を伺っていると、突然カーテンが開かれると同時に氷嚢を持った奴良リクオが現れた。
氷嚢? なんで?
疑問に思うが、自分が仮病な事を思い出し、慌てて目を閉じた。
すると、額の上に氷を入れたナイロン袋……氷嚢が置かれる。
「っ!」
冷たいっ!
その冷たさに思わずぎゅっ目を瞑ると、慌てたような声が降って来た。
「ご、ごめん! 重すぎたかな?」
「……」
その問いかけに返事は返さない。
ここで騒いだりしたら、仮病がバレてしまうからだ。
私は眉を顰めたまま寝たフリを続行する。
冷たい!
くうっ、私の事はどうでもいいから、早く保健室から出て行ってー!
心の中で真剣に念波を送っていたが、それは届かなかった。
反対に傍で「眉顰めてるけど、頭痛が酷いのかな?」と呟いている。
このままだと埒があかない。
なので、直接訴える事にした。
私は薄目を開く。
そして、ベッドの傍の丸椅子に腰かけてこちらを見つめている奴良リクオに口を開いた。
「奴良くん…」
「有永さん? 無理しないでもっと寝といていいよ。あ、氷、重くない?」
「あの、私、大丈夫だから、教室戻って……」
「ダメだよ! 苦しんでる有永さんを放っておけないよ! それにもうすぐ氷麗が戻って来るから、もうちょっとの我慢だよ」
「いや、私の所為で授業遅れるの悪いし…」
「え? 平気だよ。ボク数学得意だし」
そう明るい表情で返され、一瞬別の殺意が燃え上がる。
ぬっ、どうせ、私は数学出来ません!
だが、今はここを抜け出すことが先決。
どうやって丸めこもう?
うーん、と考えていると、3限目終了のチャイムが鳴った。
それと同時に良い考えがピコーン! と思いつく。
「ぬ、奴良君!」
「どうしたの? 有永さん」
「あ、あの、奴良君、いつも日直の仕事してるよね? 3限目終わったけど、次の授業の為に黒板を消したりとかしなくていいのかな?」
「あっ!」
しまった! と、言うような顔をすると、奴良リクオは慌てて立ち上がった。
「ごめんっ、有永さん! 次の授業の準備したらすぐ戻って来るから!」
そう言うと、保健室から慌てて出て行った。
しばらく様子を伺うが、戻って来る様子は無い。
「よしっ!」
私は早速ベッドから起き上がると、ベッドの脇に置かれていた室内履きを履いた。
そして、横にある大きな窓を開ける。
ちなみに保健室は校舎の1階にあるので、窓から外に出ても怪我をする事は無い。
窓を乗り越え茶色い地面に着地するとぐっと拳を握った。
「脱出、成功!」
でも、喜んでばかりは居られない。
早目に犬神に会わないと。
気を取り直し、私は周りを見回した。
まだ授業と授業の間の短い休み時間なので、トイレに行く女の子達の声が聞こえて来る。
だが、それは校舎内から聞こえて来るだけで、周りに人影は無い。
「犬神、どこ行ったんだろ?」
まだどこかに居てくれれば良いけど…。
でも居るとしたら、きっと人気の無いとこだ。多分。
人気のないとこって言ったら……
「体育館裏とか…、もしくは校舎裏?」
取り敢えず私は思いついた場所を回る事にした。
居ない。
体育館裏も校舎裏も居ない。裏庭にも居ない。
グラウンドを囲っているフェンスの影かもしれない、とそこも確認しに行ったのだが居なかった。
私はいつの間にか、グラウンドの脇を通り、その横にある池の傍に来ていた。
池の中からチャポン、と音がし、小さな魚が飛び跳ねる。
ここは旧校舎の探検をした時、最初に集まった場所だ。
「懐かしいかも…」
そう呟いていると、池の向かいにある木立がガサリと音を立てた。
「犬神?」
と、突然渦巻き状の風が現れ、木の葉が螺旋の形に舞いあがった。
吃驚していると、螺旋状に渦巻く木の葉の中から、一人の青年が現れた。
それは、黒々とした髪をきちんと撫ぜ付け、他校の制服を着た青年だった。
数日前、奴良リクオに話しかけていた四国妖怪、玉章だ。
切れ長の鋭い目がこちらに向けられる。
玉章は腕を組んだまま、居丈高な口調で口を開いた。
「有永舞香、だったね。こんな所で何してるんだい?」