―― 奴良リクオは敵じゃ。そして正義は四国の玉章にありじゃぞ。脳に刻み込まれる言葉は、絶対じゃ。解けるのは、ワシ以外おらぬわ ――

フェフェフェ、と誰かが顎髭を揺らせながら歪に笑った。


ふと気がつくと、私は自分の部屋の入り口に佇んでいた。

「あれ? 私?」

キョロキョロと辺りを見回す。
そこは家の中だった。
目の前には、自室のドア。右手でドアノブを掴んでいる。

何時の間に家に帰って来たんだろ?
さっきまで学校で日誌を書いてたはずなのに?
おかしい……

眉を顰めつつ、首を傾げる。

「なにかあったような気がするけど…」
そう。何か。
「んー」

思い出そうとしても、思い出せない。日誌を書いた後の記憶が無い。
先生にどうやって日誌を渡したのか。そして、帰りの電車に乗った記憶が無い。
ポッカリと空白になっている。

「なんで?」

頭に力を入れて、真剣に思い出そうとしてみても、思い出せない。
ただ頭が痛くなるだけ。
自分の行動を思い出せないなんて、初めてだ。

私は首を捻りながら、ドアを開け部屋に入る。
そして鞄を学習机の上に置き、普段着に着替え、窓の外を見た。
いつの間にか、真っ暗だ。
ベッドの上の目覚まし時計に目をやると、数字は19:23となっていた。
確か日誌を書いていた時間は16時過ぎ。
空白の時間は3時間。

この3時間、何してたんだろ?

不安が胸を覆いつくす。
ベッドに腰かけ、眉を顰めているとお腹がきゅるるとご飯を催促するように鳴り響いた。

「取り敢えずご飯食べよ」

空腹では、考え事もできない。

私は下の階に降りた。
ちなみに私の家は2階建てだ。2階に私の部屋があり、1階は両親の部屋がある。
と、階段を降りている途中、カレーの良い匂いが台所から漂って来た。

おぉ! 今日はカレー!
お母さんのカレー、すっごい美味しいんだよね!

足早で台所に向かうと、鍋をかきまぜているお母さんが居た。

「お母さん、お腹減ったー!」
「舞香? ダイエットの為夕餉はいらぬと言っておったのではないかえ?」
「へ?」

私、そんな事一言も言ってない。

「言ってないよー、お母さん」
「はて? 幻聴じゃったかのう?」

首を傾げるお母さん。私はそれに頷いた。

「幻聴でしょ。お母さん、とうとう耳が老化……」

あ゛。これは禁句だった。

慌てて口を閉じ、言い訳を捜すが、急には出て来ない。

「舞香……?」

お母さんは低い声で私の名前を呼ぶと、振り返った。

こわっ、こわっ!

「あ、や、違う、違う。今のは、例えであって、お母さんは老けてないよ? うん!」
「舞香はチキンが小さいのが好みじゃとな? 愛しい吾子の願いじゃ。涙を飲み小さいのを入れてやろうぞ」
「うわっ! 酷っ! 大きいのがいいよ! お母さん!」
「聞こえぬ。聞こえぬのう」
「ごめんなさいー! お母さんー!」

お母さんには敵いませんでした。


食卓に上がったのは、大きなチキンを使った、チキンカレー。
お母さんの作るカレーは、本格的で美味しい。
小さい頃、習って作ってみたのだけど、お母さんの美味しさには程遠かった。

何が違うのかな?

チキンを口の中でモグモグさせながら、思いふけっているとテーブルの向かいに座っていたお父さんが口を開いた。

「舞香。学校で何も無かったかい?」
「ん? いつも通り。あ、今日は初めて日直の仕事をしたんだ!」
「ははは。そうかい。大変だっただろう?」
「大変……」

私はスプーンを口に咥えながら学校であった事を思い出す。
ふっと奴良リクオ君の顔が浮かんで来て、胸がツクンと微かに痛みそれが何か覆いかぶさったと思うと不快な気持ちに変わった。
ムカムカと怒りが沸いて来る。

「あのね、クラスメイトの奴良リクオ君。知ってるでしょ? あの子が日直でも無いのに、日直の仕事全部やってしまったんだ。もう、余計な事してくれなくてもいいのに……」

そう言うと並んで座っていたお父さんとお母さんは顔を見合わせた。

「舞香。あの童(わっぱ)と仲が良かったのでは無かったのかえ?」
「え? なんで?」

私は眉を顰めた。

なんでそんな事言うんだろ?
確かに妖怪から助けて貰ったし、家にも泊めて貰った。
けど、大好きなお母さんの敵の孫だ。
仲良くするわけない。

パクパクとカレーを食べていると、お父さんが心配そうな顔をしながら、口を開いた。

「奴良君と喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩? んーん。してないよ?」

私の答えにお父さんは、困ったように笑った。

「だったら、相手を貶すような事を言ってはいけないよ? 例え本人が居なくてもね」
「別に貶してないよ?」
「そうじゃ。今まで関わって来ていた事が間違いじゃったのじゃ」
「芙蓉?」

お父さんに名前を呼ばれ、何故かお母さんは慌てて視線を逸らす。

「とにかく。何があったのか判らないけど、奴良君は仕事を手伝ってくれたんだろう? 感謝の気持ちを忘れてはいけないよ?」

諭すように言うお父さんに、私は苛立った。

お母さんの敵になんで感謝しないといけない?

「い・や・だ!」

私はお父さんに強く言い放つと、残りのカレーを口の中にかき込み、席を立った。
そして、苛立った気持ちのまま、自分の部屋に戻る。ベッドの上で膝を抱えながら、下唇を噛んだ。

なんでお父さんは、奴良リクオの味方をするの?
お母さんの敵なのに!
お母さんが可哀そう!
それともお父さんは、お母さんから事情を聞いてない?

「あ……、そっか。お父さんは人間だから、事情を話してないのかも」

それだったらお父さんに、私から話した方が良いかもしれない。
でも、さっきお父さんに大きい声で怒鳴った手前、なんだか改まって話しをするのは、気まずい。

「もう少し時間を置こう。うん」

私は、お父さんに事情を話すことを決意する。

そう。ぬらりひょんが、どんなに狡猾で残忍かを話さないと!

拳を固め決意に燃えた私は、頭の中の『ぬらりひょんの孫』の原作知識が消え去っている事に気が付かなかった。
原作の知識があれば、有り得ない話しに違和感をすぐに感じたのに。
そして、偽りの記憶に踊らされている事に気付いたのに。








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