目の前の光景に目を瞬いていたが、徐々に胸の奥から何か悲しい気持ちが沸いて来る。
じわじわと胸に広がって行く感情に、私は首を傾げた。

なんで泣きたいような気持ちが沸いて来るんだろ?

と、部屋に通してくれた奴良リクオ君のお母さん、若菜さんは、口に手を当てコロコロと笑った。

「あら? リクオったら赤ちゃんみたいね。氷麗ちゃん、世話をかけるわー。ほら、リクオ、ちゃんと起きなさい、舞香ちゃんに失礼でしょ?」

若菜さんは、何も頓着せず氷麗ちゃんと一緒に布団の上へ転がっている奴良リクオ君に近付くと、奴良リクオ君を起き上がらせた。
そして、乱れた白い夜着と包帯を整え始める。
奴良リクオ君はバツが悪そうに頭を掻いた。

「ごめん、母さん」

その横で氷麗ちゃんは真っ赤な顔を俯かせている。
私は障子の桟の手前に佇んだまま、止まない胸の痛みに、拳を胸の前でぎゅっと握った。

……、なんで? なんでこんなに悲しくて、胸が痛いんだろ?

その痛みの原因を考えてみる。
と、すぐにその原因が思い浮かんだ。

私、奴良リクオ君の事、吹っ切ってないかも?
氷麗ちゃんと奴良リクオ君がくっつく。これが本来の自然な流れなのに、それを嫌だと思ってる?
バカだなー、私。

私はははっと乾いた笑い声を洩らすと、両頬をペンッとはたいた。
と、奴良リクオ君の驚いたような声が上がる。

「有永さん?」

唖然とした目で私を見る3人。

あれ? 何か変な事やっちゃった?
うー、笑っちゃえ!

私はヘラッと笑い、変な言いわけを口にした。

「すいません。ちょっと気合いを入れてました」

それでも、胸の痛みは小さくならない。
しかし、奴良リクオ君と若菜さんは、私の言葉を素直に受け入れてくれた。

「なんだ、そっか」
「そうなのねー。舞香ちゃん、相変わらず可愛いわー」
「……有永……。気合いって、何の?」

でも、2人が素直に頷く中、うろんげな表情で不気味そうに呟く氷麗ちゃん。
私はそんな氷麗ちゃんに心の中で、答えた。

うん。気にしたら、負けだよ。氷麗ちゃん。

と、奴良リクオ君の夜着と包帯を整え終えた若菜さんは、氷麗ちゃんの腕を引き立ち上がらせた。

「じゃあ、舞香ちゃんゆっくりしてってね!」
「お、お待ち下さい、若菜様! 男女2人をこんな一部屋に残すとリクオ様が!」
「いーじゃない! ほら、行きましょ♪」
「え? そんな! 若――!」

若菜さんは慌てる氷麗ちゃんを伴い部屋を出ていった。

えーっと?

呆然としていると、奴良リクオ君が座布団を出して来た。

「有永さん。慌ただしくてごめん。取り敢えずここに座ってよ」
「あ、うん」

う、わわ。改めて2人きりになると緊張する!

緊張しながら座ると、奴良リクオ君は太陽のような笑顔を向けて来た。

「有永さん、わざわざお見舞いありがとう! この包帯は大袈裟に巻いてるだけだし、明日から学校行けるから」

そう言う奴良君は包帯だらけの身体だった。
満身創痍と言っても過言ではない。
それが自分の所為かと思うと、再び胸が苦しくて涙が出そうになった。
私はガバッと頭を下げる。

「奴良君、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
「うえ!? ちょ、あ、頭上げてよ! 有永さん!」

私はそっと頭を上げると、眉根を寄せた。

「い、痛かったよね?」
「あはは。そんな事気にしてたの? 大丈夫! ボクはヘイキだよ!」 

それが、無理して明るく振る舞ってるように見えて、私は小さく首を振った。

「あ、あの、お詫びにもならないかもしれないけど、私に出来る事があったら、何でも言って!」

私の言葉にキョトンとする奴良君。
そして小首を傾げる。

「うーん、そんな事言われても……」

考え込むリクオ君を見ながら、私は、固唾を飲んで、次の言葉を待つ。

「うーん……、あ! そうだ!」

ぽんっと手を打つ。そして、奴良君は自分自身へ向けて指差した。

「ボクの事、下の名前で呼んでよ! ボクも有永さんの事、名前で呼ぶからさ!」 
「へ?」
「うん。友達同士なんだしさ。ね!」
「え、っと、リ、クオ……君」

うわっ、なんだか下の名前呼ぶの恥ずかしい!

一気に顔へ血が集まり、火照る。

「……え? あ、あれ?」

と、何故かリクオ君も顔が真っ赤になっていた。
リクオ君は顔を片手で隠すと、横を向く。

「えっと、なんだかごめん。ボク、ちょっと……」
「わ、私も……」

そう言いつつ、私は火照った顔を俯かせた。
その恥ずかしさは、1時間後、お父さんを伴った若菜さんが障子を開けるまで続いた。

なんで、名前呼ぶだけでこんなに恥ずかしいのー!? 私ー!?


そんなこんなで、奴良リクオ君を名前で呼ぶ事になったけど、改めて考えると、リクオ君は本当に優しくて器が大きいんだ、と感じた。
でも、そんなリクオ君を好きになる事は出来ない。
怪我をさせるような私は、好きになる資格なんてないから。

代わりに好きな人、出来るかな?
ううん。無理矢理でも、作らないと……!

この想いが小さいうちに……、早く!

私は家に向かう車の中で、再び決意を固めた。








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