暗闇の中、誰か聞き覚えのある声が響いた。

「月華……」

優しいその声と共にズグズグと痛んでいた頭の痛さが、暖かいもので包まれる。

この暖かいものはなんだろう?

そう思っているうちに大鼠に打ちつけられた箇所の痛みは緩和して行った。
そして、また切ない声音で「月華」と呼ばれ身体をきつく抱き締められた。
その中私はその切ない声に否定する。

私…月華っていう名前じゃない……っ!
頭の痛みが無くなって嬉しいけど……、私そんな名前じゃない!

そう叫びながらもある記憶が浮かび上がる。
小さい頃、鯉伴さんが『月華』と言う名前に対して無表情になり納豆小僧さんに怒った記憶。
そしてキスの合間に時々『月華』と呼ばれた記憶。
私はその事から導かれるある考えを否定するように首を振った。

私は『月華』さんじゃない…っ

心の中で叫び声を上げると共に、ふと意識が急速に浮かびあがり、耳元に女の子達の話し声が聞こえて来た。

「……ちゃん」
「えー……で」
「あ、手が……」
誰、だろう……?

耳元で聞こえる複数人の声に、私は重たい瞼を上げた。
すると一番に目に入ったのはカナちゃんの丸い大きな目だった。

「っ!?」
「あ、起きちゃった?」
「もー、巻が横でいろいろ言うからだよー」
「あー、鳥居だってそーじゃん!」
え? え? え?
こ、ここ、どこ?

首を巡らせると見慣れた机と窓、そして襖の模様が目に入る。
そして身体の上にかけられているのは、見慣れている自分の布団だった。

あれ? 私、カナちゃんを助けようとしてそれから……あの鼠妖怪に殴られて…
どうしたっけ……?

横になったまま、自分の頭を押さえつつ記憶を探るがその先がなかなか思い出せない。

私…?

眉を顰めていると、傍に居たカナちゃんが話しかけて来た。

「響華ちゃん、大丈夫? 頭痛くない?」
「う、ん。平気」

私はそう言うと、ゆっくり上半身を起こす。
と、自分の服が寝巻に着替えさせられていた事に気付いた。

あ……誰が着替えさせてくれたんだろう…?
私服だったのに…?

ぼんやりと考える。
そして、私はふとカナちゃんと花開院さんが掴まっていた事を思い出し、バッとカナちゃんの方を向いた。

「カナちゃん! 怪我しなかった? 花開院さんも大丈夫だった!?」

その言葉に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になるカナちゃん。
その後すぐに苦笑すると私の肩に手を置いた。

「大丈夫だよ。響華ちゃん。あの後、ゆらちゃんが家まで送ってくれたんだ」
「花開院さんが…?」
「うん。首無さんって人が送って行くって言ってくれたんだけど、ゆらちゃんすごく反対してね」

苦笑を続けるカナちゃんを見ながら、私は2人が無事帰れた事に安心する。

でも、拒否するなんて、やっぱり花開院さんは陰陽師として妖怪に送られるのは、嫌だったのかな?
ん? と言うか、首無さん、カナちゃんに妖怪だってバレちゃった?

じっとカナちゃんの様子を伺うが、首無さんの事を語るカナちゃんに怖がる様子は無い。
これは、バレてない、と言う事だろう。
良かった。
バレちゃったら、無暗に怖がらせるだけになるところだった…

ホッと安心していると、カナちゃんは柔らかく笑いながら、口を開いた。

「響華ちゃん、いつの間にか居なくなってたから、反対に心配したんだよ?」
「私が?」
「うん」

カナちゃんの話しでは、足をガクガクさせながら逃げていると、紐に引っ張られ助けられたそうだった。
そして、ネズミ顔の男は小学校の頃助けてくれたあの方が蹴り飛ばし、私を解放させたそうだ。
その後、カナちゃんと花開院さんは首無さんに保護されたが、私の姿は無く心配していたらしい。
私はその話しに疑問を持った。

あれ? 鯉伴さんが、来てくれてたと思ったのだけど、見なかったのかな……?
どうして?

はて? と思っているとずいっと身を乗り出したカナちゃんは、突然疑問を口にした。

「ね。響華ちゃん。あの時来てくれて助かったけど、どうしてあんな所にいたの?」
「そーだよねー。私らならとにかく、真面目っぽい朝倉がなんで繁華街なんかに居たのさ」
「うん。何かあった?」

カナちゃんだけでなく、周りに居た巻さんと鳥居さんにも聞かれ、私は戸惑った。
えっと、えっと…

「あ、はは、あの……お母さんのおつかいで…………」
「へー、そうだったんだ」
「なーんだ。遊んでたんじゃなかったのか」

遊んでないです。巻さん。

心の中で反論しつつも、苦しい言いわけに納得してくれた事にホッとする。
と、納得したカナちゃんがそうだ、という風に言葉を続けた。

「そう言えばね。今日リクオ君家にお見舞いに行った時決まったんだけど、今度のGW、清十字団で捩目山に行く事になったんだよ」
「そうそう。清継のヤツ。また妙な事考えてぇーっ」
「めんどいよねー」

ブーブーと文句を言う巻さんと鳥居さん。

あ、れ? リクオ君のお見舞いって、変身したリクオ君は元気そうだったのに、どうしたんだろう?
それに……私、山登り得意じゃないんだけどな…
足手纏いになったらどうしよう…
うん。足手纏いになるくらいなら、初めから参加しないようにしたほうがいいよね

不安でいっぱいになった私は、明日学校に行ったら、足手纏いになるから参加しない事を伝えようと決意した。
と、突然カナちゃんからこそっと耳打ちされる。

「ところで、ねぇ……。及川さんリクオ君の家知ってたんだけど……なんで知ってたのか判る?」
「へ?」

私は目を瞬かせ、つららちゃんの事を考えた。

えーっと……
つららちゃんリクオ君家に住んでるんだよね?
だから、リクオ君の家知ってるの当り前だと思うんだけど…それ言っちゃダメだよね?
でも、どうしてそんな事を聞くんだろう?

首を傾げつつ、私は当たり障りの無い事を答えた。

「えっと…地図で確認したんじゃないかな?」
「でも、それにしては私達より早く着いてたのよ。絶対、以前から調べてたんだわ!」

しかし、カナちゃんは私の言葉に熱(いき)り立ち、声を荒げた。
そんなカナちゃんに私は心の中で突っ込む。

いや、それは無いと思います。カナちゃん。
それだったら、ストーカーです。

心の中で突っ込んでいると巻さんと鳥居さんが話しに加わって来た。

「あー、及川さん。ありゃ良い子だわ! わざわざ他人の家の手伝いしてさ!」
「そーだねー」

と、2人の反応にカナちゃんは微妙な表情をした。
その反応に私は首を傾げる。

どうしたんだろう? カナちゃん??


「お遣いねぇ……」

はっ!?
皆が帰った後、寝ている私にお母さんが呆れた声音で私に声をかけてきた。

「う、えっと……ごめんなさい…」
「謝るのはそこだけかい?」
「?」

あ、れ? あと何かあったっけ?

首を傾げるとお母さんは更に呆れたように溜息をつく。

「出掛ける前に言っただろ。外出しちゃいけないってね」
「あ…ごめんなさい」

そう言えば、朝お母さんが出掛ける時、注意された事を思い出した。
お母さんは、目を細め私の傍に座ると頭をくしゃくしゃと掻き混ぜる。

「あんたの怪我がこれだけで済んでホッとしたよ。坊主達にはお灸を据えてやったがね……」
「へ?」
「ああ、気にしなくていいんだよ。それより響華。あんたへの仕置きは明日の朝だよ」

坊主達って誰? と思ったが、お仕置きという言葉に、その疑問は頭の中からスパッと掻き消えた。

お仕置き!?
お仕置きって……やっぱり、ピーマン!?
ピーマン料理――っ!?

ぐるぐる思考を回す私をお母さんは何故かぎゅっと抱きしめた。

「本当に酷い怪我じゃなくて良かったよ……」
「お母さん?」

柔らかく暖かい腕の中、私はその珍しい安心ぶりに首を傾げた。

そして次の日の朝、待っていたのはやはりピーマンを使った料理だった。
今回は、ご飯の中にまで細かく刻んだピーマンが入っている。

お母さん。食べ切れません。
いーやーっ
誰か、助けて下さいーっ

私は泣きそうになりながらも、それを口に入れた。

苦いー……







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