勝家は幾度か彼女の名を呼ぶが、相手はあい、と空返事をするばかりで一向にこちらを振り返ってくれる気配がない。向こうはというと、小さな、けれども五人囃子たちまでしっかりと一式揃っている雛人形たちが並んでいるそれを目から離さない。雛壇はガラスの箱に収まっており、彼女の首くらいまでの高さがある。ふんふんと鼻歌混じりにご機嫌のご様子。ガラスに額ををぺったりとくっ付けてこのままだと否がおうにも動くことが無さそうだ。ミニチュアの牛車から横笛まで、細かく作られているそれらは大人の女性でもほうっと息を吐いてしまうほどに見事なもので、彼女に至っては案の定、すっかりと魅了されて数日経っている。毎日ここに来てはしゃがみこんで目を奪われたまま動かないのだ。

「…」

 勝家はため息を吐きそうな勢いでもう一度彼女の名を呼ぶと、その横に向かう。雛壇の下にある台のようなもの。そこにはまるで引き出しが付いているかの如く取っ手のようなものが付いている。勝家はそれをきりきりと静かに音を立てて回した。彼女は不思議そうにその様子を見ている。勝家が取っ手を掴んでいた手を離すと同時に、ゆっくりと回転し始めてお馴染みの雛祭りソングがオルゴールの澄んだ音色で流れた。彼女の幼い顔がぱあっと向日葵が咲き誇ったように明るくなる。

「きょーはたのしー、ひなまつりー」

 正確にはほんの先日に終わったばかりなのだが、そんなことなどお構いなし。音にあわせて甘ったるいような幼い声でメロディに合わせて口ずさむ。小さな頭がゆらゆらと動いている。るんるんと楽しげに目を細めた彼女を勝家はしばらくの間眺めていたが、脇においてあったダンボール箱を手にして雰囲気をぶち壊した。

「…そろそろ片付けなければならないのだが」
「やー!」
「3日は過ぎた。早く片付けないと嫁入りが遅くなる」
「いいの! あにさまのおよめさんになるもん!」
「なっ」

 嫌嫌、と首を振る彼女を宥めようとした勝家だが、所謂小さい子に有り勝ちな、わたし、おとうさん、またはおにいちゃんとけっこんする! 発言をこの場で頂いてしまいじーんと何故か感激してしまっていた。それはほとんど、いや普通は数年後に破棄されるお約束ではあるものの、そ、そうか、と返す勝家の顔はどこか嬉しそうだ。残念ながら、この場で突っ込んでくれる人は不在なのである。

「あにさま、ひなあられたべたいでし」
「…甘酒も温めて出すか」
「わあい」

 彼女にとっては全くの無自覚ではあるが、完全に絆されている勝家であった。そのままにされた雛人形たちが仲睦まじい光景を微笑んで見ているように並んでる。





お嬢さん様へ提出


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