桜庭裕介。

私は彼が苦手だった。






「久しぶり、今回はよろしくねfamily nameさん」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。桜庭さん」

少人数用の小さな会議室。
私はそこへ桜庭さんを案内すると、貼り付けた笑顔を浮かべ、椅子に座るように促した。

今回、彼のファンだと言うクライアントの強い要望で、デザインに使うイラストを描いてもらうことになった。

1ヶ月前、彼が講師をやっている大学で講義をやって以来、メールが送られて来るたびに、いつか一緒に仕事が出来たらいいですねなんて社交辞令を返していたが、まさか本当に組むことになるとは思っていなかった。




「早速ですが、今回の案件について順に説明しますね……」

桜庭さんはペンをカチカチしながら私が渡した資料に目を通していた。

細かいことかもしれないが、こういう音が意外と響く。
若干苛立ちながらも我慢が出来たのは、そのボールペンを押す彼の手に出来た長年のペンだこと、服の裾にわずかについた画材の跡を見たからだ。

普段はノリの軽い彼だが、絵に関しては自分の才能に自惚れることなく、努力を怠らない。
世の女の子たちはそんなギャップに惹かれるのだろうか。


「……まず、制作する広告媒体はCM、B全ポスター、WEB広告、………」

デザインの仕事にはそれぞれに役割がある。

アートディレクターは簡単に言うと監督のようなものだ。
目的に合わせてデザインの観点から第三者にどうアプローチしていくかを考え、形にしていく。
デザイナーやイラストレーターはその通りに作業をするのが仕事だ。

そのためアートディレクターは作業より、打ち合わせやプレゼンの方が多い。
今日はビジュアルについての共通理解のための打ち合わせ。

私は気づかれないように小さくため息をついて、2人でいる気まずさを押し込めた。


「ここまでで何かご質問はありますか?」
「じゃあ、1ついい?」
「なんでしょう?」

「………」

桜庭さんは口を開いたが、すぐに言葉を飲み込むように噤んだ。

「今日仕事終わったあと遊ばない?」

再び口を開いた時には、何時ものように戯けて笑っていたが、あまりにもその仕草が不自然で、本当に言いたかった言葉には思えず、一つため息を吐いた。

「すみません、先約があるので」
「えー、本当に?俺、案外本気で狙ってるのになー」

ひらりと笑顔でかわすと、桜庭さんは様子を伺うように覗き込み、少し拗ねたように口を尖らせた。

誰もがその気のあるような態度に動揺したり照れたりすると思ったら大間違いだ。
きっと彼にとって「狙う」とは、挨拶みたいなものなのだろう。
女の子はみんな天使などとほざいている人の言葉はどうも信憑性に欠けるが、別にからかわれる事が気に食わなくて苦手だと言っているのではない。

本気で人と接しないくせに、妙に人当たりがいいところがもどかしくて見ていて辛い。
ふらふらと人の心を点々と渡り歩き、相手にも深入りしなければ、自分にも深入りさせない。

まるで、挨拶は出来るのに会話の仕方を知らない子どものようだ。
そのことに彼は気づいているのだろうか。





カチカチ
私はあなたの笑顔が嫌い