family name first nameさん。
彼女が俺が講師をしている大学訪れたのは就活生を対象とした特別講義のためだった。

そこそこ大きい会社のアートディレクターだと聞いていたので、シワ1つないスーツを着こなす典型的なキャリアウーマンを想像していたが、実際会ってみると、薄めのメイクにラフな格好で、背伸びしすぎない姿はとても親しみやすかった。

年が近いと言うだけで、半ば強引に対応を押し付けられうんざりしていたが、実際接してみると、くだけすぎず、固すぎずの距離感が心地よかった。
さりげなく話してはいるが、人への接し方をよく知っている人だと思った。





「まず、デザインへのこだわりがある人は捨てなさい。」

family nameさんのインパクトのある第一声に皆が呆気にとられた。

「と、まあー……このように第三者を惹きつけるアプローチ方法を考えるのが私の仕事です。アプローチ方法はクライアントの目的や要望により異なりますが……」

family nameさんの喋るスピード、間の取り方。その1つ1つがプロだった。

講義が始まるまで気づかなかったが、仕事をしている時の彼女は人を巻き込んでしまう程、とてもキラキラしている。

「画力なら私より美大生である皆さんの方が遥かに優っていると思うので、今日はアートディレクターのお仕事についてお話ししたいと思います。断言はしませんが、今、こだわりを捨てなさいと言ったのも冗談ではなく……アートディレクターは自分を表現するのではなく、クライアントの要望を表現する仕事です……」

それから、first nameさんは自分が手がけた制作物を見せながら、納品までの流れを分かりやすく簡潔に、時には失敗談で笑いを誘い、50分間で講義を終えた。

今日の講義は1時間の予定だったはず。
10分の質疑応答を入れると完璧だ。

唯一の失敗は講義が終わった後も、個人的に聞きに来た学生たちに囲まれてしまったことだろう。



(あんなに人を惹きつけておいて10分は短すぎるでしょ……)



困ったような表情を見せながらも1つ1つの質問に答えているfamily nameさんはやっぱりキラキラしていた。

「ほらほら、family nameさんを困らせない」

そう言うと学生たちは渋々離れて行った。
俺も学生には好かれている方だと自負しているが、今日の学生たちは完全に俺を邪魔者として見ていた。

薄情な奴らだと呆れつつ、俺はfamily nameさんを連れて応接室へ向かった。





「どうぞ、入って」
「ありがとうございます。」

応接室の壁には表彰状や、学生の作品が一部飾られている。
薄っぺらいお決まりの言葉が綴られた表彰状には目もくれず、family nameさんは学生がつくった彫刻や、絵画を興味深そうに見ていた。

その時、お茶とお菓子を持って入って来た事務員が子どもを見つめるように微笑んでいるのに気づくと、夢中になっていた事に少し照れながら軽く頭を下げた。

「どうぞ、お茶も来たことですし、座ってください」
「すみません」

family nameさんは2人になるとそっと安堵するように息を吐いた。
ほんの小さな動きだったが、僅かに通常の呼吸より肺が膨らむのがわかった。

「こちらこそ、学生たちの面倒は疲れたでしょ?」
「いえ、とても勉強熱心で私もいい刺激をもらいました」

そう言って、自分が学生である時の事を語った。
俺は院生のため、一応学生の部類には入っているが、学びながらも大学の講師やデザインの仕事もしているため「学生」と言うイメージはやはり大学時代の方が強く、他愛もない昔話に花を咲かせた。

そして、family nameさんはタイミングを見計らって湯呑みを手に取ると、ふーっと息を吐き、湯気を揺らした。

その会話が途切れた瞬間がとても勿体無く感じる。
俺はふと話を切り替えた。

「俺からも1つ聞いていいですか?」
「何ですか?」
「family nameさんって彼氏いるの?」
「………はい?」

family nameさんからは笑顔が消え、首を傾げた。
さらりと慎ましやかに髪が揺れ、それは仕事の出来る女性ではなく、あどけない少女のようだった。

仕事をしている時とは違う表情に心臓が跳ねた。

「俺、今family nameさんを惹きつけるアプローチ出来たかな?」

こんな言葉、挨拶のようなもの。
靡けば受け止めるし、拒めばそれっきり。

そんなのは分かりきっているのに、やけにfamily nameさんの反応が気になって心が騒ついた。

うまく笑えているはず、余裕は十分あるはず。
照れて目を逸らすだろうか、からかうなと怒るだろうか。

切り取られた時間が再び動き出すと、family nameさんはまたキラキラとした笑顔を浮かべ口を開いた。

「早速、私の講義での話を実践してくれるなんて光栄ですが、どうやらそのアプローチ方法は間違ってるみたいですね」
「じゃあ君と今夜遊ぶにはどうしたらいいか教えてくれる?first nameちゃん」
「下の名前で呼ばないで」


、ください。



そう付け加え、困ったように笑ってはいたが、一瞬垣間見た本心は本気で拒絶していた。

「ご、ごめんね、family nameさん、冗談だよ」



この日、俺は日頃の行いの悪さ悔いた。
人から拒絶されることがこんなにも辛いと思ったのははじめてだ。


もう少し女性に対して誠実に接していたら遊び半分のような言葉は言わなかっただろう。

ちゃんと自分の気持ちに気づいて、しっかりと言葉を選んで、伝えることが出来ただろう。

そう思うと、誤魔化すように笑うことしかできなかった。






イライラ
気づいたら好きでした。