私は今、初めてあった男性に抱きしめられている。
「…っ、逢いたかった!!!」
彼は、強く抱きしめる。
綺麗なさらさらの黒髪。
長い前髪で隠れている左目。
右目の下にある泣きボクロ。
そして、悲痛な叫び声。
「……ずっと待っていた。ずっと」
待て、私はこんな美人さんに会ったことはないぞ。
「すみません、あなた誰ですか」
「え!?」
再び彼の眼が開かれる。
次は、困惑した表情だ。
「俺のこと、わからない…?」
「…すみません、新手のナンパですか?」
「ほんとうに、分からないのか…そうだよな、ずっと逢えなかったわけだし」
ぼそぼそと独り言を呟く彼。
「…改めて自己紹介するよ、俺は氷室辰也。よろしくね」
にこりと笑う氷室さん。
「あ、私は橘名前です」
「…“橘”!?……ああ、そうか」
氷室さんは、独り言が癖なのか…?
「…じゃあ、俺はお祭りに行かなきゃだから行くね。またね、名前」
手を振って去っていく氷室さん。
ナチュラルに名前呼ばれた。
すると、後ろからみんなの声がした。
「名前ちゃーん!きゃー、私服もかわいー!!」
腕に抱きついてくるさつきちゃんをスルーして、高尾くん達に話しかけた。
「高尾くんたちの私服はじめて見たー」
「俺もお前の私服はじめて見たわ」
私たちは少し談笑をしてから歩き出した。
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…まさか、逢うなんて。
逢うなんて思ってなかった。
「…俺の心臓うるさい」
逢っただけでこんなに動揺するなんて。
あの頃と変わらない、匂い。
背格好、声、そして瞳。
「ほんとに、名前、なのか」
実感がわかない。
ふと、桜の匂いがしたので顔を上げる。
そこには、この村で一番大きな桜の木があった。
「…名前」
ああ、あの日も君とこの桜の木を見た。
ずっとずっと、君だけを思っていた。
―その思いは、簡単に忘れられるものではなかった。