逢いたかったと言った

私は今、初めてあった男性に抱きしめられている。


「…っ、逢いたかった!!!」


彼は、強く抱きしめる。
綺麗なさらさらの黒髪。
長い前髪で隠れている左目。
右目の下にある泣きボクロ。
そして、悲痛な叫び声。


「……ずっと待っていた。ずっと」


待て、私はこんな美人さんに会ったことはないぞ。


「すみません、あなた誰ですか」


「え!?」


再び彼の眼が開かれる。
次は、困惑した表情だ。


「俺のこと、わからない…?」


「…すみません、新手のナンパですか?」


「ほんとうに、分からないのか…そうだよな、ずっと逢えなかったわけだし」


ぼそぼそと独り言を呟く彼。


「…改めて自己紹介するよ、俺は氷室辰也。よろしくね」


にこりと笑う氷室さん。


「あ、私は橘名前です」


「…“橘”!?……ああ、そうか」


氷室さんは、独り言が癖なのか…?


「…じゃあ、俺はお祭りに行かなきゃだから行くね。またね、名前」


手を振って去っていく氷室さん。
ナチュラルに名前呼ばれた。
すると、後ろからみんなの声がした。


「名前ちゃーん!きゃー、私服もかわいー!!」


腕に抱きついてくるさつきちゃんをスルーして、高尾くん達に話しかけた。


「高尾くんたちの私服はじめて見たー」


「俺もお前の私服はじめて見たわ」


私たちは少し談笑をしてから歩き出した。


***************


…まさか、逢うなんて。
逢うなんて思ってなかった。


「…俺の心臓うるさい」


逢っただけでこんなに動揺するなんて。
あの頃と変わらない、匂い。
背格好、声、そして瞳。


「ほんとに、名前、なのか」


実感がわかない。
ふと、桜の匂いがしたので顔を上げる。
そこには、この村で一番大きな桜の木があった。


「…名前」


ああ、あの日も君とこの桜の木を見た。
ずっとずっと、君だけを思っていた。


―その思いは、簡単に忘れられるものではなかった。
[*prev] [top] [next#]