小説AG短編 | ナノ


▼ 雨の名はたくさんあっても(銀時)

鞄の底に入れっぱなしになっていた折りたたみ傘を見つけたのは降りる一駅前の電車の中だった。電車の窓に打ち付ける雨粒は段々と大きくなっているようで、雨具を持たないであろう乗客の深いため息が充満していた。そういえば今朝のお天気お姉さんは結野アナじゃなかったな。
コンビニの傘はワンコインとはいえ無駄なお金を使わずに済みそうだ。手のひらサイズの幸運に少し気分は明るくなる。
でも、改札を出ていくと駅の出口に見覚えのある銀髪もまた見つけてしまった。
こっそり覗いた小銭入れの中にはちょうどビニール傘を買えるだけの金額がある。駅を出てすぐの場所にはコンビニもある。走れば大して濡れずにたどり着けるだろう。
坂田さんの頭はいつもよりしんなりと落ち着いていた。いつもとは違う印象が少し胸も騒がしくさせた。
目を離せずに居るとこちらを振り返った坂田さんとまともに視線がかち合った。
苦笑い気味にひらりと手を振るので、私も豪雨に狼狽したふうにしながら歩み寄った。
「おう、仕事帰りか?」
「はい……さっきよりも降り方強くなってませんか?」
ほんとだなぁ、と坂田さんは髪から垂れる雫を拭って。私は首元を滑ってゆくその水の行く先から目を逸らしながら。
雨雲を見上げるその目には想像していた通りおおよそ生気というものが感じられない。
それでもこのひとの隣に立つことで、衣服に隠された肌がくすぐったいような。知られたくはないような浅ましい感情がふつふつとしてしまって。私は恥を覚えて密かに唇を噛んだ。
数週間前万事屋に依頼をし、世話になったとき垣間見た迫力のある顔とでもいうのだろうか。あの真剣な、印象的な表情が頭の隅で存在の主張を始めてから、少しずつ質量が大きくなってきている気がする。親しい男性の知り合いという存在がいなかったが故のいっときの気の迷いだと思いたい気持ちもある。
ただ、やはり、隣に彼の存在を感じてしまうと。
こんな下心がバレませんようにと祈りながら紺色の、可愛げもない折り畳み傘を坂田さんに差し出してみる。
「傘使いますか?」
「はぁ? それお前んだろ」
そういうのは持ってたもん勝ちなの、とあっさり断られてしまった。後ろめたさを絡ませた思惑を見透かされたようで、一瞬言葉が喉につっかえる。
「いや……予備の傘持ってるので、私」
できる限りいつも通りの顔を心がけながら傘を差し出したままにする。もちろん、予備の傘なんてない。坂田さんが傘を差して行ってしまったら、自分は傘を初めから持っていなかったうっかり人間としてコンビニに赴くだけなのだ。
訝しげな顔で私と傘とを交互に見る坂田さんに無理やり傘を押し付けてそれじゃ!とコンビニのある方へ迷いなく靴底を鳴らす。
「……嘘こけ」
三歩目を踏み出せず、振り切った足が宙を浮いたのは坂田さんが私の腕をはっしと取ったからだった。布を隔てて感じる手の大きさは私を動揺させるのに充分だ。仕様もない嘘を坂田さんが見破るのに充分過ぎるほど私は硬直してしまった。
「親切と媚びは別モンだぜお姉サン」
「……ぐぅ」
の音も出ず人生最大に情けなく思う。何もかもバレてしまっただろうか、いいや自意識過剰だ、と頭の中を堂々巡りさせながら最後の意地で手で顔を隠しながら坂田さんに向き直った。
「なにしてんの?」
「いやだって、普通に恥ずかしいじゃないですか。カッコつけ損ねるって……」
「半端な気持ちでカッコつけようとすっからだよお前。ていうか女がそんなことしなくて良いの。傘見せびらかして帰るくらいで」
ちょうどいい、と言って坂田さんは傘を開こうとした。
が、ガチガチと嫌な音を立てた傘は不格好に折れ広がり、傘として使うにはおよそ心もとない様子でしょげていた。
「おま、これ」
「……あーもう!ダメだ!全てが!」
呆れを通り越してもはや哀れみに近い目線が痛い。体裁を取り繕うことも忘れて自分を罵った。顔を真っ赤にしているのも全部見られただろう。この世の終わりにも近いバツの悪さが私を襲う。
「殺してください……」
「殺さねェよ馬鹿」
錆だらけの傘をその辺のゴミ箱へ放った坂田さんは緩い帯とベルトを一挙に外すと着流しから腕を抜き、
「走んぞ」
とその着流しの中へ誘うものだから、数秒前とは違う意味で私は頭を沸騰させてしまった。


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