小説AG短編 | ナノ


▼ 銀ちゃんとスタンド


 蛇口を閉じてもなかなか水が止まらない。ちょろちょろと石の受け皿を打ち続け、少し窪みが出来ていた。左手に桶をぶら下げ、ひしゃくは肩を打つ。墓地の管理が隅にまで行き届いていないのは一目瞭然だった。

 歌舞伎町の外れ、大きな集合墓地の片隅にひっそりと墓はあった。

 それを見つけたのは偶然だった。何年か前の盆、お登勢の墓参りについて行った時。長い時間墓前で突っ立っているのにも飽きた銀時は墓地をぶらついていた。真夜中ならともかく、真昼間の墓地は人の気配も多い。差し替えられた花、線香の匂い、びしゃびしゃの地面。死者に向けられた思いが見え隠れする。だから何という訳でもないが、昼間の墓地というものに別段の嫌悪感は覚えなかった。
 ふと、いつもなら足を向けない方向にふらふらと歩いた。親しんだお登勢の旦那の墓に向かうのとは違う、見知った墓地のはずなのに全く知らない場所に来たような感覚を覚える。

 一角に全く手入れをされていない、雑草に覆われた墓があることに気がついた。今の今までそこはただの草むらだと思い込んでいた。しかしちゃんと墓としての体を保っているということに気が付き、そして一体誰が弔われているのかと、普段なら湧かない興味すら湧いていた。
 結論から言うと、墓にはかつての戦で命を散らした攘夷志士が祀られていた。誰がというより、多くの名もない志士を偲んでたてられたものだと思われた。
 世情は移り変わる。国のために戦った志士も今では国に追われる身だ。人々は様々な事を忘れ、受け入れ、いまという時代を生きている。死んでしまったかつての英雄を讃えることよりも、天人を迎合した幕府を受け入れ生きていくことにしたのだろう。
 時代は変化する。人々が時代の移り変わりに合わせて変わっていってしまうのは当たり前のことだと銀時は思う。振り返ると、江戸の中央にそびえたつターミナルは墓石と同じ色をしていた。
 とはいえ、かつては自分もその戦争に参加していて命の奪い合いをしてきた。その事を鑑みれば少しの情くらい向けてやっても良いか、と桶に水を組んできたのである。
 墓地の水はタダであるし。


「ちくしょう、草抜きくらい誰かやれっての!かゆくなるだろうが」

 奥に行くほど草むらは高くなり、腰を掠めるくらいに伸びきっていた。ここをみつけてしばらく経つが、やはり誰かが手入れに来たような形跡はない。はたから見ればただの草むらにしか見えない。

「まあ良いや、花買ってくる手間ァ省けるしな」

 墓石のてっぺんに水をかける。刻まれた文字はまだ読めるが、手入れされていないただの石は所々砕けてしまっている。毎年台風が来るたびに倒れてたら嫌だなぁと銀時は思う。
 今日は午後から雨だと結野アナは言っていたが、雲ひとつない空がこれを裏切るとは思えない。墓石のてっぺんは空を移して青ずんでいる。側面は雑草の緑を反射している。風が吹いてザワザワというたびに、墓石に刻まれた色々な彼らが鼓動していると思った。

「あれっ、珍しいな こんなとこに参りに来るやつがいるなんて」
「あ?」

 青年が物珍しそうに草むらのあいだから現れた。

「んだよ 秘密基地的なワクワクを楽しんでたのによォ 先客ありか」
「墓を秘密基地にしてんじゃねえよ、罰当たりだな」

 草むらから姿を現した青年は、銀時より幾ばくか歳が若く見えた。薄緑の装束、ざんばらの頭に鉢巻をして、廃刀令のご時世に帯刀していた。

「おいおいアンタ、攘夷浪士かい」
「浪士じゃねぇよ、志士だ。銀時クン」

 いたずらっぽくにかっと笑った顔に覚えがあり、銀時は一瞬固まった。絶対に知っている顔だった。
 絶対に知っているのに、名前が出てこなかった。

「あ、ああ!お前、久しぶりじゃん元気だった?お前、お前!」
「お前しか言ってねーじゃん 完全に名前忘れてんじゃん」
「いや違うよ?お前が誰かは分かってんだよ、ただ……名前が出てこねーだけでさぁ。ていうかなんでそんなボロボロなわけ?」
「それを忘れるって言うんだよ、志士は毎日戦ってるんだぞ 毎日ボロボロだよ」

 やっぱりその呆れた顔にもふざけた言いようにも覚えがある。
 あの戦場を最後まで生き抜いた仲間は少ない。多くは粛清の憂き目にあったし、そうでなくても行方知れずの者、残った人生に意味を見いだせず世を去った者もいた。いまもこうしてこの世にとどまっているのはよほど悪運が強かったか、死んでも死にきれない未練があった者くらいである。未だ攘夷の志を残した侍たちが息をひそめてこの世に存在している。胸に抱えているものが志と呼べるモノかは銀時の考えの及ぶところではなかったが。

「それにしても懐かしい顔だなァ」
「…そりゃぁな」
「戦争終わってから誰とも…いや、それ以上かな」

 男がしみじみと見つめる先は墓石である。名もなき志士たちが弔われた石は苔むし、ひび割れている。誰からも忘れられた、もとい見て見ぬふりをされてきた時間だけは見て取ることができた。

「こんなところに来るのはおれみたいにフワフワしてるやつだけだと思ってたんだけどな」
「それ俺もフワフワしてるやつってこと?おい頭か、頭を見て言ったんか」
「お前はべつにフワフワはしてないだろ」
「それともなに?定職にもつかないフワフワしてるやつって言いたいのか?そらぁお前も同じだろうが、ヅラみたいにフワッとした感じでJOYしてんだろ、ていうか俺は無職じゃねぇよ!」
「そんなこと誰も言ってないだろ 違うよ物理的にってことだよ」
「…物理的ぃ?」

 そう、物理的に。と青年はうなづいた。銀時は意味を理解できずに首をかしげた。
 ふと、青年が現れた瞬間のことを思い出した。この墓石は大きな墓地の隅っこにひっそりと、草むらの中に置かれているだけのしろものだ。墓地は大きいとはいえ建物と建物の間にできた、四方のうち三方が壁となっているスペースにはまっているだけ。墓石の背後は民家の壁となっている場所も少なくない。

「…え?いや、ないない、それはない」

 草むらに覆われたこの場所も民家の壁に沿うようにある。この墓石を拝むためには、真正面からくるほかなかった。

「いやだから、ないって、それはないって」

 ぎぎぎと首をきしませながら、青年が現れたほうを見る。草むらに覆われたただの漆喰の壁であった。

「こうもフワフワしてると壁も通り抜けられんだよな」

 へらへらと笑う青年の装束は薄緑などではなかった。半透明を通過して背後の雑草がその色を映しているだけだった。





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