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▼ 開始地点にて 壱

約束の時間になったというのにいつもの顔が見えないので、珍しく裏門のほうまで足を運ぶことにした。
座敷に引きこもってばかりいると足が歩き方を忘れるぞなどと小言を言われていたのを思い出した。確かに一日数歩しか動かないようなのは健全ではないだろうという考えもあったし、奴がやってくるまでの良い暇つぶしを思いつかなかったからでもある。
障子を滑らせると新しい空気が一気に流れ込んできた。五月晴れの眩しさが目に刺さる。
砂利の上に降り立つと石同士がこすれあう音が立つ。ずっと畳の感触ばかりを味わっていたため、雑草や落ち葉を踏む刺激が足の裏に懐かしい。枯葉はざくざくと音を立て、踏まれるのを恐れた羽虫はちきちきと飛んで行った。もう少しすれば秋がやってくる。
いつの間にあの人間を心待ちにするようになってしまったのだろうかと思う。実際こうしてこらえきれなくなって部屋を飛び出している自分に驚く。これの他に楽しみが少ないのも考え物だなと思う。
漆喰の白壁が途切れ、裏門の扉が見えた。門から覗く山々も少しずつ暖色の化粧をし始めている。こんなところに閉じこもっているとはいえ外と中が別世界というわけでもなく、流れている時間は結局同じなのだ。
門の前には見慣れた門兵が今日も突っ立っており、虚空を見つめている。はたして給料の分だけの仕事をしているのかといささか疑問には思うが、特別大きな事件がないのは平和であることの証拠なのかもしれない。

「あやつをみかけてはおらぬか」
「いえ……」

待ち人はとっくに顔を覚えられており、挨拶さえすれば簡単に城の中に入ってしまえる。門兵とも顔見知りのはずだから気が付かないわけがない。が、期待していた返事は帰ってこなかった。

「そうか」

微動だにしない門兵はこちらを一瞥すると頭を下げ、また石像のように固まってしまった。それならば用はないと踵を返す。きっとまた寄り道でもしているのだろうと思い、ぶらぶらと作法も減ったくれもない歩き方で部屋へと向かう。さて何をして暇をつぶすべきか……。
ふと足元を見ると落ち葉を踏み散らした跡が増えている。女中かそれとも兵か誰かが通ったのだろうか。
自室が見えてくると、思わず歩が早まった。落ち葉の悲鳴が大きくなる。
縁側の前には使い古した自分の草履と、それよりさらに擦り切れた一回り大きい草履が脱ぎ散らかしてある。わざわざ出向いたのが半ば無駄になってしまったことに肩をすくめた。

わざと音を立てて襖を開くと足元で目が合った。
「伊万里、来ていたか」
「ああ紀之介、どうやら入れ違いになったらしいな」

一体いつの間に、と疑問に思うより早く、城の抜け道の話をしたことを思い出した。早速悪用されてしまっている。さすがに迂闊だった。
誰にも見られてないから大丈夫だって。こちらの気も知らず、悪びれずにはははと笑う待ち人は畳の上に寝転がっていた。何人目になったか忘れたが、自分の暇をつぶすため用意された話し相手、名は伊万里である。
話、といっても別に相談だとか議論だとかいう大それた目的はない。書物を読むだけ読んで感想を言い合ったり、ぼうっと庭を眺めるだけだったり。大したものではない。ただ暇をつぶす、それだけ。
縁側から見える名前のわからない木の足元、踏み散らされた葉は土の色と同化している。伊万里と顔を初めて合わせたとき、まだ葉は青かったように思う。
時間はこんなにもはやく過ぎるものだっただろうかと首をかしげる。
いままで自分にあてがわれてきた人間たちは少しこちらが毒を吐いただけで自分を避けるようになった。物好きにも世話焼きを演じていた人間は、その頑張りをすこし跳ね除けただけで仮面がすぐに剥がれた。ひと月と持った者はいなかっただろうと思う。
自分には業病の気がある。手の甲にぽつぽつと浮かび上がった白い斑点。
その病を告げられ狼狽したのは自分の親で、自分の事をまさに腫れ物として扱い始めた。邪険にされているのではないとは分かっているのだが。敦賀城には業病の倅が居る、と知れただけで何が起こるのかと言うのは目に見えている。
城から出る事は許されず、療養に専念しろという建前は見え透いたものだった。しかし、自分はそれに反感を覚えはせず、寧ろ賛同する思いだった。何にせよ病が知られてしまえばとやかく言われるのである。それなら誰とも関わらなければ良い。人と人との関係は面倒この上ない。ただ暇ではあったので、話し相手というものが用意されたのだが、先に言った通り面倒だという事実だけは変わらなかった。
つまり自分は体を業に侵されるとともに思考をも病んでしまったのだ。優しく近づかれれば少しただれた体の一部を晒す。慰めの言葉を聞けば毒の混じった返事をする。

「ヒヒ、われには業が巣食っているのよ」
「そうか」

とただ一言だけ返事をしたこの男は、今までの者たちとはどこか違った。自分に気を遣うでもなく、畏れているわけでもなく、どんな感情でもって会話をしているのか全くわからなかった。

「今日は和尚からくすねてきた儒学の書とか、町の飲み屋で押し付けられた春画があるぜ」

出会って間もない人間に対してなぜその選択肢を用意したのか。益々もって理解しがたい人間だと思った。表情には嘘がなく、本心を探るのも馬鹿らしいような台詞を吐く。何か読み物は入り用ではありませんか、といったような文句は聞き飽きていたが、

「それ、読み終わったら貸して」

というような言葉は初めて耳にした。
ただのご機嫌取りならここまで踏み込んではこないだろう。関わりをなるべく持たないように、しかし自分の機嫌を損ねないように上っ面を立ち振る舞う。なんと気持ちの悪いことだったのだろう。

──今までの奴らとは少しだけ違うこの男も、いずれは本性が透けるだろう

そう考えて今まで過ごしてはきた。しかし分かったことといえば、仕えている身にもかかわらず主人の前で居眠りをし始めるほど身の程知らずな奴だということくらいだ。そんなことが続いたからかどうかは定かではないが、前任の者の二倍程長く顔を合わせるようになってから、疑う事をあきらめた。少しだけ信用してみてもいいだろうとさえ思っていた。
ただ、やはり完全な信用と言うのはなかなか築けるものではない。遂に一番長い事話し相手として顔を合わせることになった今でさえ疑いの目で見てしまう事がある。食事の後、まるで汚いものを見るかのように膳を運んでいた以前の者達の顔と重なって見えたり、着物から覗いた斑点を盗み見られているような気がしたり。
まぁ、そうであって欲しくないと思える位の信頼は持てるようになった。

「それで、われに何用かあったのだろう」
「ああそうだ、実はうちに新しく奉公人がやってきてな……」

今日の話題はそういう内容らしい。別段の興味も無かったのだが、城下の誰それが浮気しただの何処其処の猫が子供を産んだだの、内容がなさ過ぎる話にはほとほとうんざりしていた所だった。いつもよりは中身のありそうな話に少しだけ期待する他なかった。

「ふん、まぁ話しやれ」

うながすと、任せろと言わんばかりの笑顔を作る。

「それが僕より年が下の男子なんだ。小さいにしてはやけにハッキリ物を言う奴でさ、僕よりも色味の薄い髪の毛が綺麗なんだ……」

縁側に腰掛け、隣に座る自分から目を逸らさずに、良くそこまで口が動くものだなと思いながら話に耳を傾ける。期待はしたもののやはり他愛のない話に呆れるが、面倒ではなかった。ただ、今は奴の話を聞くのが心地良い。

********

伊万里が紀之介の元へ通うのはかなり不定期の事であった。三日連続で顔を出すこともあったし、十日来ないこともあった。
若君のお暇を無くすための、いわば用意された友人のような者。近くの村や家臣の子供の中から何人かが今までその役割を果たしていたのだが、病を持っていると知れると途端に誰もが身構えてしまった。それを見抜けない紀之介ではなく、どれだけ相手が取り繕うとも意地悪く笑い、誰をも恐ろかしていた。
そんな中、和尚御墨付の話相手として伊万里は紀之介に紹介されたが、結果として二人の馬は合ったようである。

「どうして僕を?」
「礼儀だとかなんだとかを理解できるのはまだおまえくらいだからだ」

礼儀も何もない態度で若様と遊んでいるとは夢にも思っていないらしい。
伊万里の住処は城下から離れた場所にある古ぼけた寺だ。物好きな和尚がみなしごを拾ってきては世話をしている。収入もないのに面倒を見なければいけない人数は多い。もっぱらちびっ子の面倒を見るのは年長の伊万里だった。和尚が彼を話し相手として敦賀城に差し向けたのも、少しでも負担を減らすための策だったのかもしれない。

(どうあれ、ここにいるほうが楽だからなんでもいいんだけどね)

たくさんの弟分たちの面倒を見ることにくらべれば、ただ駄弁って一日過ごす方がよほど楽だ。
しかし今日に限ってはそんな考えも砕かれそうになる。

「紀之介ぇ」
「情けない声を上げるな」

今年は雨が少ない。代わりに陽の光は強い。そして、雨が少ないというのに湿気だけは充実していて、体の節々に巻いた包帯の下は酷く不快だった。着物一枚しか着ていない伊万里でさえも、うだる暑さに打ち勝つ気力はないらしい。暑い暑いとひっきりなしに呻く。暑さが余計に増しているような気がしてうっとうしいことこの上ない。また汗が一筋流れ落ちて、読んでいた文字をにじませた。

「全く、もう少し静かにできないのか」
「どうにもなんないじゃないかこれ、騒ぐくらいしかできん……」

完全に気の抜けた返事をよこしてくるが反論の余地もなければ元気もない。紀之介は本を読むことにも集中できなくなってきた。

「伊万里、桶に水でも張れ。何もないよりはましだろう」
「……承知しましたよお」

うげぇという顔になりながらのっそり立ち上がる伊万里を後目に、紀之介は板の間の冷たい場所へ移動した。
一応二人は主従の関係である。紀之介が指示を出せば伊万里はそれに従わざるを得ないのだ。しかし命令という形のやり取りはいままでほとんどなかった。こういうときだけその関係を利用してくるのだから全くいい性格をしている。
伊万里は縁側から飛び降り、屋根が作っていた陰から飛び出した。視界が一瞬白に染まり、日陰にいたときとは比べ物にならない日光が肌を突き刺す。歩き回っても、じっとしていても、暑苦しさはまとわりついてくる。ちらりと後ろを振り返ると障子の影から主の足だけが覗いている。

「ちくしょういいご身分だな」
「ヒヒッ、本当のことだからな」

手を振る代わりなのか足をぶらぶらと揺らしている。
大きな桶に水を張る苦労をあいつは一生味わわないんだろうな、と伊万里は思う。成長した紀之介が、同じく成長した自分に命令して桶に水を張らせている場面。あり得すぎてぞっとしない。
もう十と数歳になるとはいえ井戸から水を引き上げるのは重労働だ。桶が満たされる頃には最初より余計に汗をかくことになってしまった。

「紀之介さまあ、用意ができましたようっと」
「ごくろうごくろう、大儀であったぞ」

暗がりから出てきた紀之介はさながら妖怪のような笑みを浮かべて桶に足を浮かべた。いつの間に持ってきたのか、菓子の皿を自分の横に置いた。
伊万里はそれを見届けてから井戸に向かい、頭から水をかぶった。

「いやまったく小姓というのはよいものだな」
「現金な主め」

髪からしずくを垂らしながら伊万里も縁側に腰かける。
足で水と戯れている紀之介は楽しそうな顔をしている。それは単に涼しくなったからだけではないなということに伊万里は気が付いていた。
紀之介は他人の不幸話が好きらしい。本人は気がついていないが、こういう話になると平時よりも口角が上がる。いい性格してるよと思いながら、城下町の人間にも確かこんな人がいたとも思った。やれ誰それが腕を折った、何某が財布を落としただの。敵の不幸は蜜の味がするらしかった。
悪い顔で自らに語りかけてきた者を思い出し、紀之介と重ねてみる。しっくりとは来なかった。

(別に僕が敵ってわけじゃないんだろうけど)

ふと横をみると皿の中の菓子はあと一つしか残って居らず、すかさず手を伸ばしたが紀之介の方が速かった。ひょいと放ると器用に一口で食べてしまった。伸ばしかかった手の行き場を無くしてしまった伊万里は悔しそうに呻きながら睨むしかなかった。
そんな彼を見て紀之介はさも嬉しそうに引き笑いを漏らしたのだ。

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