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▼ 眼を閉じなくても

あの人たちにはこちらの行動など筒抜けなのだろうが、大した出来事もなくここまで来ることができてしまった。それは臣下への信頼の厚さからか、はたまた様子をうかがっているだけなのか。どちらにせよ不気味さすら感じる平坦な道行きなことに変わりはない。それを感じているのは僕だけではないのか、行軍は嫌に静かだった。
しかしそれをいいことに、僕たちはあっという間に前線のほど近くまで来ることができてしまった。
関ケ原。ここですべてが始まり、しかし未だ僕には終わりの見えない場所。僕自身で直接手を下すことができればいいのに、当事者自身の手で決着というものを付けない限りこの輪廻は終わらない。そんな決まりに終着させたのはいったい誰なのか、悪く言えば運任せな道行きだ。
僕にできたことと言えば、ここに来るまでの障害を出来得る限り取り除き、たどり着きたくもない場面へと彼らを導くことだけだ。すっ、と視界が指さされる。

「それ三成、この道を行けばはや戦場よ」

 吉継が示す先は前線の喧騒が響く方向だ。既に開戦の狼煙は上がったらしい。入り混じるのは深紅と山吹。今まさに時代を牛耳る二つの勢力がぶつかり合っている。
三成はその先を見据える。見えているものは一つだけだ。

「刑部、それに左近、伊万里……すまない、礼を言う」
「んなの良いですって! んじゃ、行きましょ?」
「ああ…今こそ断罪の時だ」

 かつての仲間である男の名を叫ぶ。戦の狂騒をも貫く空気の振動。疾駆で遠のく背中を追ったのは島、その後を追うのは吉継と僕だ。
 行く末を、見届けなくては。底の方では、もうなにも見たくも聞きたくもないという僕がいる。それは多分、この状況を体験していない頃の僕だ。諦めも後戻りもするには遅すぎる場面に、とっくの昔に足を踏み入れていて、正しいことだと信じるしかなくなっているのだ。今もそうだ。こうして自分たちのかつてまでの信念を覆して潮流を掻き分け進んでいる。これに希望を掛けずに何を掛けようというのか。絶望したのはもうあれっきりでいい。もうたくさんだ。少しの間、僕は過去も未来も思い出さなかった
 
+++++

「左近──お前から怪異の気配を感じるのは…気のせいか」
「いっ やめろよ勝家こんな時にさあ! き、気のせいだろ、な! そうなんだろ!」
「確かに、こんな場所でするやり取りではないな……散った者たちに示しのつかないことだ」
「やめろってば!」
「お前でないとすれば、お前の周りの者からか…それとも……」
「……怪異っぽいと言や刑部さんかなぁ、これ聞かれてたら俺が怪異になっちまいそうだけど──でも、あの人らのとこには行かせねーぜ勝家」
「……ああ、私はただ、命を果たすのみだ」

+++++

進路を絶ちにかかる人間はもちろん少なくはない。いったいどれほどの小国を味方につけたのか、入り乱れる旗の柄をすべて見極めることはできない。
気配を感じさせずに、空気に紛れるように戦場を踏みしめた男に見覚えはなかった。しかし存分に血を吸わせた獲物がその男を象徴していた。男の視線は島に注がれていた。気が付けば島の目線も男を捉えている。並々ならぬ関係であることは明白だった。
ここは俺が、という島はやけに高揚している。こちらに視線が向かないのを合図に、三成を追った。
乱戦の真っ只中、まっすぐ突き進めるはずもない。手柄を挙げようと血眼で飛び掛かってくる男たちを跳ね除けながら、吉継の背中に張り付く。豊臣の名の知れた軍師とあっては血気づくのも無理はない。
この場所に連いてきた石田軍の兵士はそう多くない。城を完全に無人にしてしまうわけにはいかなかった。しかし大軍に少数で横槍を入れるような進軍の仕方で発揮できる力などたかが知れている。吉継を守ることが出来るのは、この場には僕だけだ。

「このまま三成を追うよな」
「無論よ」

 少人数など瞬きの間に囲まれてしまう。それを許さないのは兵の動きを見極める吉継の力だったり、力任せの僕の刃だったりする。
進む方向へ、決して立ち止まらずに道を開き続ける。敗走にも似た足取りで地面を蹴り続ける。襲い来る敵を迎え撃ち、跳ね除け、の繰り返しだ。吉継が対応しきれない敵を、僕は死に物狂いで追い回す。どこからどうやって凶器の手が伸びてくるのか全く分からない。頭の中は相当浮足立っている。 
自分の身を守ることより、確実に向こうの息の根を止めるという思考に支配される。痛みすら意に介せない。対峙する男たちと僕はさして変わらない酷い形相だろう。自分が、もしくは吉継が死ぬかもしれないという恐々とした鼓動を感じるのも久しい。ただひたすらに主の背中に引っ付いて、番犬の如く目の前に噛みつくしかない。

「ここはもうよい。後を追うが先よ」

 息を荒立てる僕を吉継は引っ張る。
どれくらいの時間がたったのか──進む先に邪魔はいなくなっている。聞こえてくるのも自分の喘鳴だけだった。
振り切ることができたのか、それとも極端に視野が狭くなっていたのか、定かではない。とにかく、気が付けば、という実感しかない。
足を持ち上げると氷の破片が音を立てて剥がれ落ちた。踏み出すごとに氷の割れる音がする。
これの方が早い、と神輿に引きずり上げられた。地面についたままの足が引きずられて土埃が上がる。

「……初陣の稚児でもあるまいに」

 固まった指を吉継が引き剥がす。締めすぎた手のひらから薙刀がようやくこぼれ落ちた。
 ぼう、と今来た方向を振り返る。
あちらこちらで小競り合いが勃発し、人間の叫びと蹄の蹴散らす音の合間でしきりに種子島の弾ける音がする。
いつの間にか、あの中を通り抜けて、音もなく三成のいる方へと進んでいる。
僕はどうして、まだこの身は生きているということを実感できているのだろう。どうしてこんなにも、恐怖やら不安やらの感情で目の前がぐちゃぐちゃになっているのだろう。きっと初めの方の僕なら思い当たることもあったのだろうけれど、今ではそのとっかかりすらない。
ある意味では平穏な心持で、随分と長い間を過ごしていたものだ。次に起こることを思いだして、決められたようにただ過ごすだけ。例えそれが誰かの生き死にに関わるようなことだったとしても、ただの過程として通り過ぎるだけだったのに。何か麻痺していたものが少しだけ正常に戻ったような気がした。

「もう慣れたと、思ったんだが」

 幾度となくこんな状況に陥ってきたというのに、武器の持ち方すらままならないほどに僕は血が上っていたらしい。

「何を、お前の戦下手は三成すら知っておろう」

 吉継と僕の思うところはすこし食い違っていたが、的外れでもなかった。
吉継は僕の正体を知らない。他よりも繋がっていた時間の長い、ただの配下としか見ていないだろう。僕がどれくらいお前に入れ込んでいるかなんて知りもしないのだろう。幼い頃から少々感じていた不公平を思い出した。どれだけ吉継に対して限りなく忠義に近い友情を感じていても、向こうからこちらへのそれを強く感じたことは少なかった。
もちろんそれを認知し、されることを要求するのは自分勝手でしかない。
こんな所に来て、放棄していた自分の願望がちらつくのが鬱陶しい。知らせる必要も、知られる必要もないのだ。二人が無事ならそれでいい。僕はどうなってもいい。
 僕は少しの間、未来のことを考えるのを忘れた。

*****

 戦の中心からはとっくに遠いところまで来てしまった。
 水へ潜ったのかのような静けさが覆い被さる。進めば進むほど、生者と死者が反比例する。追いかけている相手の足取りを描くように連なる骸。三成はまだ生きている。
確実にそこへ近づいているはずなのに、不気味なほど静かだ。嫌な想像が次々と浮かんでは消える。いや、想像というより今までの記憶とでもいうのだろうか。嫌というほど見てきた最期の姿が、目に浮かぶ。次の瞬間に目に飛び込んでくるのは一体どんな姿なのかなんてこと、考えたくもないのに。
空は厚い、黒い雲が濛々と立ち上るばかりで、凡そ青空など見えるわけもなかった。埃っぽい乾きは、眼を不快に刺激する。酷く凪いでいる。
視界は雲の色で埋め尽くされている。
一点だけが唐突に赤い。見つけた輪郭が徐々にその形をたどり、見慣れた人影を作り上げた。
青さを一切隠された背景と同化して三成は立っている。すでに動かない、かつての友を静かに見つめながら。
いつかの日のように唯々透明に光を映す瞳。
憎しみにまみれた彼はそこには居らず、彼が目指したところの、未来を見すえた豊臣の臣としてそこに居た。どこまでも三成は穏やかだった。
三成の生存を確認した僕は、体の不自由も吉継がいるのも忘れて飛び出した。案の定千鳥足でみっともない格好だった。僕を突き動かしたものは様々で、ひとつにはまとまらない。口から出るのは喃語にも近い、意味の無いものばかりだ。
 三成は訝しんで眉をひそめる。こちらの感情など知る由もないだろう。
三成と家康の間でのみ成立していた、家康の言葉を借りるなら絆というもの、三成は自身のそれを守り抜いたのだ。
そして僕も。
膝の力がぬける。腕を掴まれた。いつの間にか吉継が背後にいた。呆れ顔でこちらを見るさまはいつもの通りだ。三成を見やるとわからないくらいの動作でため息を吐いた。吉継も今までと変わらない格好で僕の目の前にいる。
それがどうにも現実的ではなくて、僕は今か今かと視界が反転するのを待った。
しかし、この関ヶ原の地で、三成も、吉継も、そして僕も、未だ息をして、こうして顔を突き合わせている。
三人が揃っている、その光景をあまりにもあっけなく目に映してしまっている。
これは夢か、幻か、などと思っても、いくら瞬きをしても、二人はそこに立っている。
夢にも見た。それが、この手のうちにある。

「伊万里、どうした呆けた顔をして、疾く本陣へ戻る」
「ヒヒ、そうよな、共に罰を受けるとほざいたゆえ覚悟も出来ておろうな」
「……やはりお二人はお怒りだろうか。このような行動を、二度も」
「ふむ、まあ太閤らにもそれなりの思惑があろう。さもなくば我等は当に違背にて追わるる身だ」
「しかしこの事実は覆せん。然るべき罰を受けるのは当然の事だ」
「ぬしを唆したのはわれも同然。左近も入れて仲良く罰を受けよ」
「帰還する。左近はどこにいる」
「今しがた、後続の者達から此方に向かうと伝令があった。道すがら顔もみえるであろ」
「そうか。……伊万里、貴様なぜ黙りこくっている」
「大方ここに来るまでに精根尽き果てたのだ。こやつの重いことといえば」
「貴様、一体どれだけ出陣してきたと思っている! 戦場で動かぬ輩など只の……」
「言ってやるな三成、それでも修羅場を逃れたのはこやつの力のあった故」
「しかしこの豊臣軍において力のないものは忌避される、伊万里聞いているのか、貴様が役立たずなどと評されるのは不愉快だ」
「お前、何故そのような顔をしている。情けのない顔では太閤らの御前に並べぬぞ」
「貴様が何を思うのか知らん。貴様共々、早く戻らねばならぬのだ。戻るのだ、共に」

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