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▼ 傾くのは片方だけ

「伊万里さん! 無事っすかあ!」
「……島、あんまり、揺さぶるのは」
「あッすみません!」

 島は情けない声で飛びついてきた。僕はみじめに転がっていた。ただでさえ動くのも辛い状態だというのに、島の不用心な安否確認はさらに危険だった。あやうくまたこんな場所で死ぬところだった。
 徳川の追っ手は残らず地に伏せて二度と起き上がることはない。。さすがは豊臣の兵というべきか。不利な状況でも鬼気迫る奮闘ぶりで戦っていた。僕もそれに加担した豊臣の兵の一員ということになるが。それゆえに、裏切り者を始末することはできなかった。
島の戻ってくる間にすべてを終わらせることができない。確実に行動を終わらせるためには島の足が速すぎる。結局必死で敵を迎え撃つことだけに専念するしかない。仇敵が傷に呻きながらも、誇りを湛えた笑みを浮かべているのが心底憎い。僕の視線の先に気づいた島は、仲間の無事を喜んで騒いでいる。

「そうだ、今刑部さんたちがこっちに向かってきてくれてます、すぐに合流し、て……」
「歯切れが悪いな、どうかしたのか」

 唐突に顔色が急降下し、あの、あの、と口が魚のように開閉する。

「三成様が、伝令を聞いた途端飛び出して……!」
「三成が!?」

 ありえない、いままで自ら命令を破るなんてことを死んでもしなかったあの忠義の塊のような男が、そんなことをするはずがない!

「島、君嘘を言ってるんなら僕は」
「嘘じゃねえ! ここの人らを拾ってそのまま三成様を追うつもりだったんすよ!」

 左近の持ってきた知らせは場に痛いくらいの緊張をもたらした。蹲っていた兵士たちが慌ただしく立ち上がり始める。
三成の突飛な行動を全く予想できなかった。一人で乗り込むなんて、そんな感情任せのことを、まさか太閤様が生きている間に起こすとは。強烈な困惑で眩暈すら感じる。どうしよう、僕の知らない間にそんなことが起きていたなんて。

「伊万里さん、ほんとに大丈夫なんすか? まじで顔色が……」

島のその顔は決して取り繕ったものなどではない。そんな打算的な器用さを持っている奴ではないということは重々わかっている。

「……大丈夫」

光源が忌々しい。痛々しいほどの木漏れ日が、すべてを暴くように顔を差す。こうなっては体裁を取り繕うのも諦めるしかない。僕は初めて自分を隠すことを忘れ、島の肩を借りることにした。

「伊万里、もう動けるのなら足を使え」
「もう少しだけ、たのむよ」
「お前は図体ばかり大きいゆえ重い」

 吉継の神輿に腰を落ち着けたのは随分と久しぶりだ。他の負傷兵を乗せた時点で使える馬は無くなった。無慈悲に蹴落としたりしないでくれたのは嬉しいことだ。実際自らの力で動けない程身体は思わしい状態ではない。あの距離を往復した左近の方がまだはつらつとしている。馬に揺さぶられる負傷兵が目に入り、こっちでよかったと心底思った。
 三成の足取りを追う。恐怖に心臓を鷲掴みにされたまま。
怖いと思うのは三成がもしかすると家康を討ち果たすのではないかという希望を持ってしまったせいだ。二人の対峙する瞬間というのがいつも一番恐ろしい。希望を持たずにはいられない。希望を捨てて諦めることは二人の生存を諦めることと同義だからだ。堪えているとはいえ吉継には震えがバレてしまっているかもしれない。
瞬きをした次の瞬間に、あの懐かしい、埃っぽい、少し湿った、薄暗い畳を感じる。振り返った吉継が幼い顔でにやりと笑う。
そんな予感を感じないでいられるなら今すぐにそうしたい。
少なくとも、未だ吉継は吉継のままであるし、僕の手も子供の丸みを帯びてはいない。三成が向かった先に家康が居なかったのか、はたまた本当に家康を討ったのか……。瞬きの先に懐かしさが無い、ということだけが三成の生存を信じていられる唯一の証拠だった。
景色が少し開ける。にわかに周囲が色めき立った。未だ狼煙は上がらぬか、とつぶやくのが聞こえる。背景の濃緑に真っ向から背いて誇示される深紅。一目見ただけでただの一軍勢ではないということがわかる。豊臣軍の本陣というのは遠くから見てもそれだとすぐにわかる。それが見えたときに良い感情を抱けないのはここでは僕くらいだろう。
 先ほどの伝令によれば、海賊と合流した徳川の軍勢というのは石田軍と豊臣軍の対角線上にあるとのことだった。三成を見つける前に豊臣軍と合流してしまった形になる。もし三成があの疾走をしていたのだとすれば追いつけないのも無理はない。
吉継の神輿から降り周囲を見渡すが、ごった返した中では三成の姿はすぐには見つからない。そもそもまだここには帰ってきていないのかもしれない。島は真っ先に、三成が戻ってきていないかを確認しに行ったようだ。あまり考えたくはないが、島は少なくともこの二人に害を成すような存在ではないのではないか、と思う時もある。僕を裏切り者と称したくらい忠義の軸を三成に置いている人間だ。……今くらいは目を離しても大丈夫だろう。
吉継は何も言わず本陣へ向かおうとしている。ついていくべきだろうか。
三成の無事を確認するまではあまり下手な動きはしたくない。なにせ、これから何がどう転がるのか全く分からないのだ。一挙一動すべてに意識を張り巡らさなければいけない。一言発しただけで道筋が変わるかもしれないから。
訝しげに動きを止めた吉継。無言の視線を感じる。拒否する理由も思いつかない。ついていくしかなさそうだ。

「──三成は」

この状況のなかで息継ぎできる場所を探してしまう。押しつぶされそうな内側をどうにかして正常に保ちたいのだ。吉継は相変わらず内実を面の下に隠して悟らせない。
風に流されるままの包帯を捉えて吉継の反応を待った。神輿の速度はやや遅くなる。

「どうして太閤様の命令に背くようなことをしたんだろう」

 行動を変えざるを得なくなった結果、生じた出来事。今までなら絶対にあり得なかった三成の行動。やはり島が現れたことに起因しているのか、それとも僕が知らないだけで三成に何かあったのか。考えずにはいられない。重要な何かを見落としているのではないか。三成の思想を揺るがすような何かが。

「お前は知らなんだか。その太閤様が直々に仰せられたのよ、ぬしがただ見るべきは豊臣の未来のみ、とな」
「なんだって? そんなこと……いつなんだよそれは」
「そうよな、徳川が離反してそう時の経たぬうちよ、たしか」
「まるっきり始めの方じゃないか!」

そんな大変なことに今までどうして気が付かなかったのだろう! 豊臣秀吉がその口をもってそんなことを言ったのだとすれば、三成はどれだけ困惑したことか。今、三成がここにいないという事実は困惑の中で何かを見出せた結果なのか、それともやはり感情に従っただけなのか。どちらにせよ大きな分岐点にいたのだ。その変化に気がつかなかった自分が腹立たしい。

「徳川と豊臣、秤にかけるまでもないこととは理解しておろうがな、頭では……」

今ここでは豊臣秀吉は存命している。存命していなければ三成の目的は一つしか生まれないが、今の三成には自分で往く先を選択できるという余地が生まれてしまってる。もっとも、その選択を迷うはずがないと僕は高を括っていたのだが。
吉継が陣の中へ消えた後、僕の中の希望はますます大きくなるばかりだ。もしかしたら、もしかしたら、という泡のような感情が小さく弾ける。同時に背後から刃物を突き立てられる冷ややかな思考も表裏一体となって、僕の思考を留めている。瞬きの先は明るい。
 ふと、穏やかでない匂いが鼻をかすめ、重い足音が背後で止まった。目に飛び込んできたのは目に久しい若草色だった。

「み、三成……」
「帰還した、海賊の足は絶った」

 そう吐き捨てた三成が足を止めることはなかった。漂うほどの血を纏っていることに肝は冷えたが、本人は大したケガではないらしい。

「待ってくださいよう三成様ぁ!」

 遅れて、島がばらついた足取りで倒れこむようにやってきた。三成を見つけてそのままついてきたのだろう。一直線に陣へと向かう三成を追うのはさぞ大変だったろう。

「あーっ! もう無理! もう走んねえ!」
「追いつけるだけ、君の足はすごいな」

 へたり込んだその横に落ち着く。汗だくの顔を少し綻ばせて、身体だけは自慢なんで! と自慢げに言う。疲弊した動作では説得力もないが、ここまで戻ってきているという結果が何よりも証明している。
 島の息も整う頃、陣の方で何やら騒ぎが聞こえてきた。何かあったのかと島と顔を見合わせる。

「あ……秀吉様、半兵衛様も」

 豊臣の象徴ともいえる二人が確固たる足取りで隊列に加わろうとしている。支度が整い、これからついに徳川との戦が始まってしまうのだろう。その姿を目にした一兵卒たちは居住まいを正し、続々と布陣が形成されていく。伝令や隊長らしき人影がそこらを行き交う。
 あの頂点二人の思惑を知るすべは今の僕にはない。一体何を生かし、何を犠牲にするのか。その矛先が、左腕を自称する男やそれを後ろから支える男に向かうことが無ければいいと思う。
その後ろについているはずの男の姿を探したが、いない。島もそのことに気が付いたようで首をかしげている。

「三成様、けがを隠したりとかしてないっすよね……?」
「多分、あの足取りなら大したことはない、はずなんだが」

二人が完全に見えなくなったころ、陣から出てくる人影を目にした。
三成が、おぼつかない足を引きずって陣を出てくる。
ぎょっとした島が慌てて三成に駆け寄る。それを追いかけると、続いて吉継も現れた。こちらの様子はいつもと変わらないようにみえる。疑問の視線を投げかけるが、その口は開かない。島は三成に詰め寄り何やら騒いでいる。

「たっ、待機っすか

 ありえない、と島が呻く。三成は努めて平静を装っているが、その狼狽は隠しきれていない。

「私の自業自得の故だ、これも罰と思えば受け入れることに何の躊躇いも……」

 太閤様に従うという自動化された思考から、自動化された台詞が流れ出る。それほどまでに表情と一致しない台詞も珍しい。

「何を命令されたんだ?」
「自己判断で動いたことに対する懲罰代わりに、城の守りよ」
「そういうことか……」

 三成が家康を追いたいのと同じく、太閤様も家康との直接の決着を望んでいるのだろうか。それともただ、三成が確実に苦を感じる罰を与えただけなのか、その両方か。地面を凝視する三成はピクリとも動かない。

「……追いましょうよ、お二方を」

 縋るように島は言う。しかしそれは決して賢明な内容ではない。口を開いたのは三成の方が早かった。

「口を慎め左近、命に背くことなどこれ以上は許されない」
「でも三成様言ってたじゃないっすか、家康をやるのは自分だって!」
「島、君本気で言っているのか」

 こちらを向いた島は激しい焦燥を浮かべている。もちろん、三成の信念を気に掛ける心も解る。しかし、これ以上命令違反を犯せば、たとえ三成でも厳罰を課されるかもしれない。
いま、豊臣秀吉と徳川家康が対峙したとして、今までの歴史の通りに行くのだろうか。ふとそんな考えが頭をよぎる。豊臣秀吉が徳川家康を討ち果たす歴史は今までに経験したことが無い。徳川家康と石田三成が袂を別ち、関ケ原の大戦を起こすという変えようもない大きな出来事のきっかけになるからだ。
もし、今、その筋道を覆す結果に向かっているのだとしたら。ぐらりと脳髄が揺れた。

「三成、罰なら後でいくらでも供をしよ。しかしぬしが真に豊臣の臣となるならば、ケジメは自らでつけるしかあるまい」

 そうだ、三成自らの手で終わらせなければもう前には進めないのだ。

「ケジメ、か……」

 ああ、これはもう、その運命に転がっていくことが決まってしまっている。三成はほとんど無自覚に自らの自動化を解いて、自分の内側を覗こうとしている。なにを見ているのかは彼にしかわからない。けれど、紡がれる答えは決して的の外れたものではないに違いない。

「……罰なら僕だって一緒に受ける、いま従うべきはお前自身の考えなんじゃないか」

 死地に送り出そう、という言葉をこうも易々と口にしてしまえたことに吐き気すら覚える。状況に紛れて顔色の悪さは見過ごされたようだが、対して三成の瞳には徐々に生気が戻っている。
ここにはいない相手を睨みつける鋭利な色を湛えて、三成は立ち上がった。天秤は大きく傾いた。

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