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▼ 僕の無駄遣い

「左近、伊万里はどうした」
「あ、そうだ! 伊万里さん、伊万里さんも大変なんすよ!」

われらの静止に傾ける耳を失った三成は瞬きの間に怨敵の元へと消えた。徳川の急襲の知らせが本物であるならば、賢人は既に迎え撃つ支度を整えている頃だろう。陽動のための偽の知らせかとも疑ったが左近いわく、こちらに向かっていた賢人の使者と鉢合わせをし聞いたものなのだという。

「伊万里がどうした」
「その、徳川の追っ手がつけてたらしくて、応戦を……」
「奴が食い止めておるのか、ぬしの方が早駆けゆえ伝令を任せたか」

伝令に向かわせたのは左近と伊万里を含むごく少人数である。そう長い間持ちこたえられはしない。
左近が無事に伝令を果たしたのは不幸中の幸いだろう。情報が途絶えれば本隊への合流は叶わなかったであろうし、下手をすればこちらが討たれる可能性すらあった。足の速い左近に伝達役を任せたのは正解だ。

「分かった、あちらへ戻るついでに奴らを拾うてゆくぞ」
「もとよりそのつもりっす! おれ、先に行ってます!」

疲れを忘れるほど身体が昂っているのだろう。息を整え終わらないうちに踵を返してまた駆けていった。後ろを任せた奴らに負い目でもあるのか、はたまたそう思わざるを得ないほど伊万里らは劣勢に立たされているのか。隊列を仕切る面々に仔細を伝えすぐさま左近の足を追った。

*****

もちろんこれを知っているのも僕だけなのだが、八合わせた竹中半兵衛の使者というのは裏切り者である。関ケ原での戦が始まる直前に豊臣を裏切って石田軍を襲う人員である。別に裏切って徳川の仲間になるというだけでは命を狙ったりはしない。吉継や三成が命を落とす直接の原因だけだ、消してしまいたいのは。
島はきっと吉継に急襲の知らせを届けてくれている頃だろう。こちらが率いてきた人員と半兵衛様の使者を合わせても徳川の追っ手の人数には届かない。開けた土地でないということだけが唯一の助けだが、殲滅されるのも時間の問題だ。

「左近があちらへたどり着くまでの時間稼ぎよ、皆、耐えるのだ!」

勇ましい豊臣の兵がそう呼びかけると呼応するように叫びが上がる。豊臣の誇りや忠義といったものを植え付けられている面々にとっては、防衛のための肉壁になることなど既に心得てしまっていることなのだろう。
数で勝る徳川方は、こちらの規模を見極めるためにゆっくりと追い詰める。
退路に押し返されるように距離は詰められる。ここを通さなければ良いだけであるから無暗に飛び掛かったりしない。つくづく出来た豊臣の臣下だ。
数の優位を確信したのかとうとうとびかかってきたのは徳川兵だった。続いた緊張状態が一気にほどけ、混乱へ陥るのはあっという間だ。背水の陣とでもいうべきか、豊臣兵は必死に持ちこたえている。
こういう場面には幾度となく遭遇している。僕の役割をとても果たしやすい。
僕の懸念は他人に行動を知られることだ。同士討ちが知られた時点で命の保証はなくなるからだ。混乱に乗じて相手を討てるのが一番いい。
僕はどうにも戦いの中での才能というのがない。何度も何度も鍛錬というのはしてきたつもりだが、終ぞ駄目だった。武器を扱うというより武器に振り回されているというのが当てはまるような有様なのだ。この力がなければ戦場に立っているのがやっとだったろう。力を操るのは得意ではないが、精密な動きをさせないというのであればだれにでもできる。
氷柱の針山が八方へ殺意を向ける。密集した小競り合いの真ん中でのそれは度が過ぎるほどに、効きすぎる。敵も仲間も見境なく串刺しに出来る。体を貫いた先端は薄汚くどすの利いた赤になる。そうして僕の未来の仇敵はいなくなった。

「伊万里さん」

ぐるり、と目を向けると島左近がいた。

「アンタ、何、何をしてんすか」
「……島、早かったじゃないか。無事で良かった、こっちもなんとか食い止め」
 
島は予期せず掴みかかってきた。それをかわす術を僕は持ち合わせていない。そのまま殺されるのかと思ったが、島にその気はないらしい。ぶるぶると肩を震わせるのは怒りからだろうか。

「伊万里さん、アンタこんな時に徳川に寝返りでもしたってのかよッ、同士討ちなんてどう言い訳しても」
「島、君何を言ってるんだ、どうして僕がそんなことをしないといけない」

冷や汗と動悸は止まらない。極めて落ち着いた口調で言い訳をするが効果はない。僕が口を開くたびに島の手の力は増していく。

「──全部見てた、って言ったら」

僕は息を詰めた。

「わざわざ味方も射程に入るような位置であんなことする意味がねェよ! 伊万里さん、アンタが何を考えてるのかは知らないがこんなことしてタダで済むわけが……」

掴みかかる腕に僕の手を這わせる。

「僕は、吉継に一生仕えると決めているし、三成の進む道を手助けしてやりたいとも思ってるんだ」

腕を振りほどこうとすると勘違いしたのか腕の力はまた強くなった。そろそろ息苦しい。僕は細かい動きが苦手だが、単純な動きならどうということはなくできる。

「君がそれを信じてくれるかどうか……信じてくれなくてもいいか、僕には二人のためにしなくてはいけないことがある。二人の邪魔をする奴らは誰であろうと許せない──」

 島が眼を剥いた。手のひらから腕へと侵食する氷に気づけないはずがない。腕を離そうとするももう遅い。手のひらから肩まで歪に氷に掴まれた島を逃がす余地もない。そんな顔をする島を始めて見ることになった。失望の顔だ。

「アンタ、それは只の独りよがりっすよ」

 ピシ、とひび割れる音が嫌に大きかった。

「三成様も、刑部さんだって、そんなこと頼んじゃいない」
「黙ってくれ」

 早くその舌を凍らせてしまいたい。真実など僕の中にしかない。これは必要なことなのだ、二人のために、僕らをこれ以上不幸にしないために。また舌が回る。

「アンタの自分勝手に、巻き込んでいいような人たちじゃないだろッ!」
「じ、ぶんかって……?」

 とうとう表情を作ることができなくなった。喉に氷塊を詰め込まれる。掠れた喘ぎは言葉にならない。

「ちがう、自分勝手なんかじゃない、勝手なことを言うなッ!」

 僕の生きてきた意味は二人のためにある。それ以外には何もない。ただ二人のために生きてきて、殺してきた。今だって目の前の何も知らない男を手にかけようとしている。生きてきた意味を否定される筋合いなど一つもないではないか。僕たちのことなど何も知らない男に!

「君が現れてから、何もかもがめちゃくちゃだ」

 ただ対象が増えるだけだ。ここで終わらせてしまえば何も問題はないのだ。
──島の腕は自由だったろうか? 

「これも、俺の自分勝手なのかもしんねえけど……」

 振りかぶる島の手には小刀が、忌々しくも備わっている。

「アンタのしていることは裏切りだ」

 心の底から心外な言葉を真正面から受け止める。何か反論の言葉をぶつけてやりたかったが、それは叶わなかった。氷の溶ける音を聞きながら、無様にも再び僕自身を無駄遣いする羽目になってしまった。


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