落花は枝に | ナノ


▼ 2話


「銀ちゃん、朝からソワソワうざいアル。うっとうしいネ、いつまでも引きずってんじゃねーヨ。しつこい男は嫌われんぞ」
「うっせー! ほっとけよ!」
「うるさいのは銀ちゃんのほうアル! いい歳して葬式で騒いでんじゃねーヨ!」
「だからアレはちげーんだって! スタンドがぁ」

朝から落ち着かず部屋をうろうろしたり、腰を落ち着けてもひたすら貧乏ゆすりをしていたり、挙句自分からはめったにしない部屋の掃除なんかをはじめてしまったり。神楽の目つきが徐々に白くなっていくのを感じながら、それでも、どうしてもいつもの調子にもどるのは難しく思えた。
なんだかんだと言い訳しようにもあの葬式で年甲斐もなく騒いでしまったのは事実であり、引き合いに出されるたび頭を抱えたくなる。
箸で人を指すんじゃありません!と言い返している間に最後のおかずを奪われてしまった。豪華にネギ入りの卵焼きにしたというのに、食卓という名の戦場で俺は敗北した。
新八はまだ来ていない。不毛な言い合いを仲裁してくれる人間もいない。口げんかの末うるせーこのゲロインが!とキレたところ、うるせーこの天パ!とぶん投げられて玄関の戸が吹っ飛んだ。

「もういいアル。何にビビってるのか知らないケド、落ち着くもんも落ち着かないネ」
「誰がビビって……ちょ、待てよ神楽、置いてくのか俺を! 一人にするのか俺をォ!」

吹っ飛ばした玄関の戸を踏みつけに、神楽はいってきまーすと出て行ってしまった。せめて自分の皿くらい洗っていけ。
一人残されて、途端に静かになった事務所で倒れたまま冷や汗をにじませる。自分以外の人間がいるという安心感で保っていた最後の平常心が崩壊していく音が聞こえる。朝のはずだ、窓からは陽の光が差し込んでいるのに、どうしてか部屋の中は薄暗い。机の影や暗い通路の奥には何者かが潜んでいるような。
むくりと起き上がり玄関の戸をはめ直す。そして行き場をなくした手で頬をぱんと叩く。

「こんなにビクビクしててもなんも始まんねーよ、いやなんにもビビッてねぇけど」
「あのう、大丈夫? 銀さん」
「ギャーッ!!」

半透明の彼女、ナマエがすべるように壁から顔を出した。のけぞった拍子に直した戸へ思い切りぶつかり派手な音がたった。
見納めになるだろうと目に焼き付けたはずの顔がどういうわけか目の前にある。頭には三角のあれ、身に着けた白い着物は左前、いわゆる死装束ではあるが。

「ではあるが、じゃねェよ! どういうわけも何も死んでるからじゃん! 半透明なのもじゃん!」
「わ、わかったから、そんなに明確にツッコミしないで…。ちょっとへこむから…」

 ***

時は少しさかのぼり、件の葬式会場。
盛大に悲鳴を上げ、新八と神楽から非難と蔑みの目を向けられ、それでもやっぱり見えてしまっている幽霊のナマエに激しく動揺しながら、俺は叫びそうになるのを必死に堪えていた。どうあれ今は厳かな葬儀の場。これ以上悪目立ちするのは思わしくない。ただでさえ少ない参加者の中で銀髪の男と眼鏡の少年とチャイナ娘の組み合わせはすでに目立っていた。
この式の当事者であるナマエはといえば、遺影をみてもっといい写真はなかったのかと文句を垂れたり、参列者の顔をみて嬉しそうに笑ったりしていた。俺の目の前で。

「あ、万事屋さん…」

来てくれたんだ、とはにかむ顔は生前と何ら変わりなくこちらに向けられていた。彼女は足音もなく歩み寄る。幽霊のくせに律義に歩くんだなぁ、と見当違いの気付きが脳裏をよぎる。恐怖なのか嬉しさなのか、煮詰められた混乱をいろいろな所から漏らしそうになりながら、白くなるまで手を握りしめていた。
この世で一番苦手な幽霊、もといお化け、もといスタンド。スタンド旅館や定食屋の親父の葬式での経験が瞬く間にフラッシュバックする。あんな思いをするのは二度とごめんだと思っていたにも関わらず、二度あることは三度あった。
ナマエは何にも気づいていない神楽の頭を懐かしそうになでようとする。なでようとしたその手がするり、と通り抜け、あっと罰の悪そうな顔をしてその手を引っ込める。自分でもまだ状況を完全に受け入れることができていないのだろう。神楽の頭を半透明の腕が通り抜けた光景を見た俺もそんな状況を受け入れることができていなかった。気持ち悪くなってきた。
ナマエは一通り会場を動き回ると満足したように俺の少し前方に足を止めた。そして俺の方を見た。ドキリと心臓が音を立てて素早く目をそらす。恐怖ももちろんあったが、もう見ることもできないはずだった微細な表情をとらえているということが、心のうごめきが心臓と直結している。
見えていることがバレてしまったら何が起きるかわからなかった。
背中を冷たい汗が伝っている。視線がずっと突き刺さっている。もう葬式の流れなんか頭に入ってこない。なんで? なんでまだこっち見てんの?
さりげなく窓の外を眺めるふりをしてこちらをガン見しているナマエを眼の端に入れる。すこしだけ口角をあげて笑んでいる。その顔には親しみがありすぎる。妙な気持ちに歯止めをかけられず、明後日の方向を向いたまま動けなくなった。

「あっ!」

ナマエが突然声をあげて俺はひっくり返りそうになる。横から新八が「さっきから落ち着きないですけどどうしたんですか? 厠ですか?」などと言ってくる。「なんでもねーよほっとけよ……」
どうしよう、忘れてた、と焦ったように零しながら部屋の中を見回している。見回したところで部屋の中には俺たちと参加者と棺桶くらいしかない。ナマエの視線は部屋の後ろを貫いている。確かこの部屋ともう一部屋、寝室に使ってた部屋があったような。

「パソコン…見られたら死ぬ…!」

パソコン、というハイカラな単語がその口から出てきたことに意外さを覚えつつ
「……いや、死んでるじゃん」
と口から流れ出てしまったと気付いた時にはもう遅く、

「え?」
「あっ」

ばちっと、視線がかち合った。幽霊のくせにみるみる顔を真っ赤に染めるナマエに対して、俺は完全に血の気を失い卒倒寸前だった。

「ぎ、銀さん!? 見てたの、見えてるの!?」
「ふ、普通に話しかけてくるんじゃねぇ…! そして幽霊のテンプレ台詞を吐くなぁ…!」

絞り出すような小声で抗議をするも狼狽しているのはナマエも同じで、俺の声は聞こえていないらしかった。ここでまた騒ぎ立てるのは得策ではないため必死に口をつぐむ。神楽が不審そうに顔を覗き込んでくるのを手で押し返す。
「銀ちゃん、手がべちょべちょネ、気持ち悪い」「なんも気持ち悪くねぇ!」
冷や汗の量だけで脱水を起こすんじゃないだろうか。
頭を抱えて悶えていたナマエがそろり、とこちらを見る。幾分か落ち着きを取り戻したらしく、咳払いをしつつ横に腰を落ち着けた。……横に?

「オイィ…なんでそこに座んだよ」
「だって…いまさら棺桶に戻るの、恥ずかしいじゃん」
「なんでだよ、恥ずかしくねぇよ、だってお前おばけだもん、誰にも見えてねぇもん、帰るべきところに帰るんだよ」
「銀さんには見えてるでしょ」

あれ、なんで俺お化けと会話してんの?
そんなやりとりをするうちに読経は終わってしまったらしい。経を読まれるべき相手と一緒にその経を聞くという奇怪な状況を乗り切った。いや一緒に聞くってのは別に間違ったことではないんだけれども。
霊柩車に乗せられ火葬場へ、体が燃やされる光景を引きつった顔でナマエは見ていた。俺はどういう顔をすればいいのかわからなかったが、笑えばいいってもんではないということだけは承知していた。エヴァ理論がなんにでも通用すると思ったら大間違いだ馬鹿野郎。
自分の体が燃え残った骨と灰だけになり、様々な人が骨を拾って骨壺に詰めているのをみながら、ナマエはいちいち顔色を変えながらうへぇとかいやぁとか言っている。悲鳴を上げたいのはこっちだというのに。

墓地につく頃には日は沈みかけ、影も橙になろうかという頃合いだった。道中ずっとナマエの存在を感じながらびくびくと歩いたが、墓地に踏み入ると謎の安心感で満たされた。ある意味ここがゴールであり、ここさえ乗り切ればこの奇妙な展開も終結するはずだからだ。
墓には荒川と刻まれ、それを見た途端あいつは本当に死んでしまったんだなと腹の奥底が冷える感覚がする。ふと周囲を見渡すとナマエの姿はなかった。

骨壺が収められ、参加者もちらほらと帰り始めている。今日はありがとうございました、と老女が頭を下げたのを見送り、墓前には俺たち三人だけが残された。
神楽がポケットから酢昆布の箱をとりだしぽん、と置く。そしてぱんぱんと柏手を打つ。
「神楽ちゃん、それは神社でやるやつだから」
「そうナノ?」
手を合わせるだけでいいんだよ、と言いながら新八は数珠を鳴らして合掌している。こうアルか、と神楽も見様見真似で手を合わせている。
ターミナルのほうを見ると少し雨雲がかかっていた。今晩はきっと雨だろう。
妙なかたちとはいえまたあの顔を見ることができたのだ。きちんと別れの挨拶くらいできたかもしれない。ナマエは生前と同じように何も言わずにいなくなってしまっていた。
きっと、あいつに未練たらたらなのは自分だけで、ナマエのやつは俺のことなど一人の知り合いくらいにしか思っていなかったのだろう。勝手に満足して、そそくさと成仏してしまったに違いない。恨めしい。
新八と神楽が顔を上げたのを見計らって、終わったなら帰るぞ、というつもりだった。

「いや、やっぱお前ら先に帰ってろ! 俺ちょっと用事思い出したから」
「用事って、まさか飲みに行くつもりですか?」
「違うわ! いいから、すぐ終わるから」

いぶかしげにこちらを見ていた二人はなぜか納得したかのように目を見合わせると夕飯までには帰ってくださいよ、といって墓地を後にした。二人が完全に見えなくなったのを確認して、首をぎぎぎ、と言わせながら振り返る。
見覚えのある背格好、見覚えのある三角形、見覚えのある半透明。墓石の陰から申し訳なさそうにこちらを覗いているのは明らかにナマエだった。下手したら、いや下手しなくても完全にホラーに分類される光景だった。一刻も早く逃げ出したかったがさっきまで考えていた挨拶やら、未練やらが足をつかみ上手く動けない。

「やっぱり、銀さん、霊感あるんだね……」
「お前は……アレ、やっぱりそういうアレなの、ね」
「いやまあ、ここまで来ちゃったら実感せざるを得ないというか」

墓石をなでるように手を添えたナマエは寂しそうに目を細めている。
別れの言葉、ということばが頭を占めた。これが本当に最後なのかもしれない。いつかみたように、この世の未練から放たれた幽霊が霧散していく光景を思い出す。いろいろと伝えたかったことはある。結局一つも言えないうちナマエは逝ってしまったが、いまならできることなのかもしれない。きっと俺の言葉ごとき、こいつの人生のうちでは意識するにも足りないくらいのものでしかなかったかもしれない。
ナマエは生前そうしていたように手を後ろに組んでじっと、こちらを見ていた。付き合いのあった俺を気遣って待っていてくれているのだろう。すこしだけ許された最後の時間に。俺のことなど放っておいてすぐに成仏してしまってもいいのに。

「……お前にはいろいろと世話になったな。助かったよ、気の置けない知り合いでいてくれて」

最後、という言葉をのどの奥で反芻する。本心だった。言いたかったことの中に含まれていた一つを口にするだけで口が乾いた。そのあとに続いて次々と言葉がつながり口を動かそうとする。

「……まぁ、その、妙な感じになっちまったけど。向こうでは楽しくやれや」
「…うん」

それらを押しのけて出てきたのは当たり障りなく味のしない言葉だった。
ナマエはまた寂しそうに眉を下げ、薄っすらと笑った。
「また会いに来るからな。供え物……は、あんまり期待すんなよ」

じゃあなと踵を返した。声は聞こえない。これ以上会話が続いたら身も世もなく思いの丈をこぼしたかもしれない。別れの間際に自分の未練を押し付けてどうする。あいつには未練なく逝ってほしかった。
墓地を出、少し歩く。馴染みのある通りに差し掛かり、自分の陰がコンクリートと混ざり合い深くなっていることに気が付いた。ネオンの中にいても自分だけはその光を受け付けず、沈んでしまっているような。しけた面ですね、またパチンコ負けたんですか、と軽口をたたく様が浮かぶ。後ろ髪を引かれ、振り返る。
ナマエは申し訳なさそうに宙に浮いていた。え?

「アレ!? なんで!? なんでついてくんの!? 成仏するんじゃねぇの!?」
「いやぁそれが、成仏、できなかったみたいで……」

もじもじ、とバレンタインチョコを渡すときの中学生並みに照れながら頬を掻く。

「それにしたってなんでついてくんの!? ふつう墓にとどまるとかそんなんじゃないの、しらんけど!」
「なんか、銀さんが動くと勝手についていっちゃうっていうか、引っ張られるっていうか…」
「……」

それって、取り憑いたとかって、いうんじゃないんですか?




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