落花は枝に | ナノ


▼ 1話


 
葬儀には知り合いだけ呼んでください。


きれいに印刷された遺言には彼女の店の相続や取引のあった店への事務的な言葉がまず無機質に並んでいた。
最後の数行にようやく私事が書き込まれている。たったの数行、数十字。折り畳まれたA4用紙の中の数平方センチメートル。
知り合いというそっけない単語の中に彼女の友人づきあいのすべてが詰め込まれているということに、銀時は言いようのない淋しさを覚えていた。

――葬儀には知り合いだけ呼んでください。親戚の誰某、同業者の何某、そしてしばらくお世話になったかぶき町の万事屋さん。

その日初めて万事屋の戸を叩いたのは見覚えのない老女で、遺言を頼りにここまで来たのだという。彼らはそのとき、荒川ナマエの訃報を確かに耳にした。


***


葬儀は底冷えする秋の終わりの日になった。青空に薄い雲がかかっていて、陽の光は地上に届くまでの間に少し勢いをなくしてしまったかのようで何となくパッとしない。
改めて届いた案内状にはまだシミの一つもなく、つるりとした紙の感触が新しい。ただそこに彼女の名前が載せられていることへの違和感は拭えない。懐にしまい込んだその紙切れはいやに重く感じた。
江戸の端、ターミナルも小さく見える個人商店の乱立する商店街の一角。銀時と新八、神楽の三人は喪服に袖を通し、言葉数も少なく並び歩く。かぶき町からは少し離れている目的地へ向かって、通いなれた道を。
目に痛い蛍光色の看板や、うず高く積まれた青果、声を張り上げる商売人がうごめく喧騒はいつもと変わらない。かぶき町とはまた違った活発な華やかさがあった。
ネオンを輝かせた闇夜の中を酔っ払いが千鳥足に、水商売の女が手招きし、いかがわしい空気を満たすかぶき町。それとは対照的に陽の光の下、盛んに客を呼びこむ声が風に巻かれ、働きアリのごとく人々があくせくとうごめいている。
そんな空気の中にかつて彼女は紛れ込んでいた。ナマエの後ろ姿が目の端に映るような、そんな感覚ばかりが冴えている。飲食店の排気口から漂う食事のにおいも今日ばかりは疎ましい。

「なんだか浮いちゃいますね、まちなかで喪服って」
「そりゃあな」

葬儀を知らせる白黒の看板は周囲の色合いに、にぎやかさに埋もれてしまい、通行人の目には映っていないようだった。その人ごみにだけぽかんと穴が、開いたような。

商店が一階、住宅が二階に据えられた珍しくもない建物。
出入りのために店のシャッターの片方は上げられ、片方は降ろされ、雨ざらしになっていたためか赤さびが居座っている。勝手知ったると敷居を跨いだ。

「なんにも無くなっちゃってるヨ」

思わず、といったふうに神楽の口から溢れた。店の中は内臓をくりぬかれた魚のようにがらんとして、暗かった。いろどりのある棚がなくなってしまっただけでこうも寂しい空間になってしまうのか。土間の空気は少しよどんで、足首は冷えた。
例の老女に手招きされ、二階へと通される。参列者は両手で数えても指の余るほどしかいない。さほど広いわけでもない部屋の隙間がそれでもいやに大きいように感じる。

居室の奥には一人分の棺桶がとんと置かれている。

部屋の中にいる人々は思い思いに会話などを始めているが、思い出話のようなしみじみとした話題は聞こえてこない。事務的な、現実的な単語ばかりを耳は捉えていた。他人の口から語られるナマエの姿を慰みに、胸のあたりに空いた穴を埋められればと思っていたが叶いそうにもない。
参列者が揃い、親戚らしいあの老女が二言三言あいさつを終わらせると、淡々と読経がはじまる。
どこにそんな写真があったのか、写真なんてこの数年撮る暇もなかったのか。遺影の彼女はぎこちなく表情を作り、少し若い。あまり見たことのない顔だ。記憶にこびりついているのは屈託なく口を開けて笑う女の顔。
銀時の眼は彼女にだけ向けられている。写真はそれ以上表情を深めることはないというのに。川底に沈んだ石を一つずつ拾い上げて確かめるように昔の事ばかり思い出す。
うつむきがちに押し黙ってしまった彼を見て、新八も神楽も眉を下げた。

***

「おいおい、男が女に寄ってたかって何? みっともねぇ」

彼女と万事屋三人にかかわりができたのは少し前のことだ。賑やかな街には様々な人間がいる。客を呼び込む盛んな商人から、値切りに精を出す客。ナマエの店も小さいとはいえ商店で、毎日お客は入れ替わり立ち替わる。愛想のいい客が来るのは純粋にうれしく思う。ただ最近、何やかやといちゃもんをつけてくる客が立て続けに顔を出し、少し疲弊する部分があった。
その日もまた男たちが敷居をまたぎ、攘夷だ何だのと嘯きながら商品を掻っ払っていこうとする。いいかげん何か悪態の一つでも吐いてやりたいと歯噛みして、口を開きかける。
不意に男の一人がもんどり打ち、地面に転がされた。
その背後に見覚えのある銀髪を認めて、開きかけた口はそのままぽかんとした。男たちの方が悪態を吐きながら逃げ去っていくのを横目に見ながら、視線を戻すとバチりと赤目とかち合った。

「あん、ナマエじゃねーか。久々だな」
「だれアルか?」
 
何でもない風に、よ、と手をあげるのを見て、なにも変わりない姿にひどく安心した。一方で、銀時の後ろから顔を出した赤い髪の少女には見覚えがなかった。
彼女はナマエを一瞥すると、酢昆布あるアルか? と駄菓子のコーナーに陣取った。
あるんじゃね? と続いた銀時はチョコ菓子を一つとると視線をナマエによこした。助けてくれたしおごるよ、というとやりぃと笑みを深めた。

「銀さん、寄り道はよしてくださいよ」

仕事は時間厳守なんですから、とぼやきながら次に顔を覗かせたのは眼鏡の少年だった。すみません、と律儀に頭を下げてくる少年は銀時より若いはずなのに妙に面倒見がよかった。

「……何だか、知らないうちに家族が増えてたのねぇ」
ナマエは店の中の3人を眺めながらにこりと笑った。銀時は不意を打たれたように瞬きする。「そんなんじゃねぇけど……」
 
そんな再会を果たした後、万事屋とナマエとの間にはかかわりが生まれた。
銀時は以前からナマエの事を知っていた風だったが、話すようなことでもねぇよ、とはぐらかされて新八も神楽も詳しい話を聞いたことはなかった。
対してナマエはおしゃべりだった。お登勢に拾われたばかりの銀時のようすを知っているようだったし、万事屋が三人になるまでの歴史も知っているらしかった。店を訪れるたびに他愛ない昔話をするのが銀時以外の三人には楽しみになっていた。

数か月前、病気がちだと彼女が口にしたときのセリフに似合わない笑顔は、彼らの記憶に新しい。

***

読経と木魚の音だけがきこえる狭い室内には親戚と思わしき老女が一人と、同業者らしい男女が数名。あとは万事屋の三人だけで質素も良いところだった。彼女の両親は、すでに故人だった。
銀時はただ、黒い枠に囲まれた彼女を見つめている。遺影の前に腰を落ち着けてから一言も発せない。
近しい人間の死は幾度となく経験してきた。戦争の最中においては、死者を弔うこともままならず駆けずり回ることもあった。死体を踏み越えることも、忘れたふりをしようと試みることもあった。誰かを失うという痛みに耐えることだけは慣れてしまっていた。

「この店は私が守らなきゃね」

曇りのない笑顔でそう言った彼女のことを気に掛けるようになるのに時間はかからなかった。
スナックお登勢に手伝いとして通っていたナマエと出会い、実家の店を継ぐからと顔を合わせなくなって数年。新八や神楽と過ごしてきた記憶はそんな昔の思い出の上に次々と降り積もって、いつしか思い出す機会もなくなった。再会したのはほんの偶然で、相変わらず化粧っ気もなく、まんまるに開かれた目をみて心臓が久しぶりに大きく跳ねた。
それから適当な理由をつけて顔を見に行くようになったのは言うまでもなく、店の忙しいときには依頼として万事屋三人で手伝いをしたこともあった 。
記憶にあるのは笑顔ばかりで、泣き顔も見たことがない。それは幸せなことなのかどうかと問われると素直に頷くことはできない。かといって自分が彼女を笑顔にさせられるような幸せをあたえられるのかどうかと自問しても、頷くことはできなかった。

こいつは、ちゃんと弔ってもらえんだよなぁ。
間延びした弔いの音を耳の奥に感じながら、浅くなっていた呼吸に気が付いて深呼吸をした。
荼毘に付され灰になり、石の下に隠されれば生前の相手への思いまでも共に隠されてしまうような心地である。

読経はいつまで続くのか。遺影の中の彼女も、途切れのない読経に少しいらだっているような気がする 。
きっとこれ以外にナマエが写っている写真なんて少ししかないのだろう。この家も遠くないうちに売り家にされ、ナマエがいた痕跡も少しずつなくなっていくのだろう。名字だけが刻まれた墓石くらいにしか、彼女を思い出すよすがはなくなってしまうのだろう。
石が積まれたように頭が重たくなる。微笑む彼女の口角も、細まった目元も、少しでも長く覚えていられるように見つめる。彼女がぱちくりと瞬きをする。
ついでにきょろきょろと会場を見まわし、よいしょと声を出しながら棺桶から立ち上がる。ぐぐ、と伸びをするとまた視線をあちこちに巡らせて、
「もしかして……わたし死んじゃった?」
 ヒュッとのどを詰まらせた銀時は、ここ数か月で出したことのない大きな悲鳴を上げた。





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