少女には"愛"を理解する力が無かった。
大切に思う人間、特別に想う人間は多々あれど。そんな彼らに対する感情のひとつひとつに些細な違いを見出せる程、少女の心は万能ではない。
いつも額縁の中から他人を見てきた。
自分は彼らと一線を置く、遠くから見つめているだけ。好意を向けられれば素直に"嬉しい"とは思うものの、そこから先は否。
少女は乾いている訳ではなかった。ただ単純に、知らないだけ。

無知とは時として罪である。




「でな、その時の帝人といったら…」
「もーやめてよ正臣、恥ずかしいじゃん!」


いつも通りの帰り道、いつも通りの少年達と少女の並ぶ風景。
少女はいつも二人の少年と共に居た。だがそれは"共に"ではなく、"傍に"といった方が幾分か正しい。
二人の少年は少女に対して好意を抱いていた。それぞれ想いの程度に違いはあるものの、それは正しく"愛"だった。
そんな二人の間で少女は、ただ彼らの言葉を聞いているだけ。
耳から脳へと送られたそれらの言葉は少女を時に笑わせ、驚かせ、安堵を与える。
けれども、それだけ。
少女は彼らの言葉に己の言葉を重ねることがなかった。
少女は乾いている訳ではなかった。ただ単純に、言葉を知らないだけ。
こんな時彼らにどう返せばよいものか、何を言えば彼らが喜んでくれるのか。いつからか少女の返事は、控えめな笑顔だけになっていた。


「なー杏里、そう思わない?」


少年の一人が唐突に少女へ問いかける。己に対する不意打ちの言葉に、つい少女は口篭ってしまった。
その反応をどう解釈したか、もう一人の少年は気遣うように問いかけた少年を嗜める。


「園原さん、正臣の事は無視していいからね。どうせいつもの変なノリだし」
「変とは失礼な!お前、いつからそんな口聞くようになったんだ?んー?」
「ちょっ…痛いってば正臣、やめて、ははっ」


少女を置いて、少年達は尚も言葉を紡ぎあう。
元気よく笑って、時に怒って、感情を露にする二人。少女はそんな少年達がほんの少し羨ましくて。
額縁の向こう側でそんな二人を見て、控えめに微笑む。
今の少女にはそれが精一杯の表現だった。


「んじゃ、俺はこの辺で退散っと」
「あれ…正臣何か用事でもあるの?」
「んーモテる男はつらいってゆーか?でも俺の心は杏里のモノだから安心して!」
「また変な事言って…じゃあ、また明日ね」


交差点の曲がり角、一際元気な少年は両手を大きく振りながら向こう側へと駆けてゆく。
おっとりとした少年がそれに負けじと大振りに片手を振る。
その横で少女は片手を小さく振りながら、消えそうな声で「お気をつけて」と口にした。
遠くの少年に果たしてその声は届いていたのだろうか。少女の精一杯はいつだって儚い。


「さて、いこっか園原さん」
「あ…はい」


騒がしいほど元気な少年が去り、残った二人はとても静かだった。
少年はそれきり何も言わずに歩き出す。追いかけるように少女もその後を歩く。
最初こそばらばらに揃わなかった足音が、一歩、また一歩と進むうちに心地好く揃いのリズムを奏で始めた。
少年は少女に対する気遣いからだろう、歩調を合わせて足を動かす。時々ぎこちない音になるのが少し、かわいい、と少女は思った。

こつ、こつ。無言は少女にとって有難かった。
少女は言葉を交わすのが煩わしい訳ではなかった。ただ単純に、相応しい話題を知らないだけ。
二人きりになって、この少年にどんな言葉を掛ければいいのか。いつもは三人で、もう一人の少年が自分の分も喋ってくれるから。
口下手、なのだろうと少女は自らを評した。ごめんなさい、貴方を退屈させているかもしれない。
申し訳ないと思えど、額縁の中の少女に術はない。
いつだって他人に寄生してきた。自ら率先して何かをする、何かを言うだなんて、そんな機会はなかった。
知らないだけ。無知は時として罪。ごめんなさい竜ヶ峰くん。

こつ、こつ。細い路地を曲がった辺りで少女は気付く。あれ、もうそろそろ私の家に着いてしまう。
唐突に足を止めた少女に、少年は二歩ほど遅れてつられる様に足を止めた。


「あれ、園原さんどうかした?」
「え、いえ、その…」


頭に浮かんだ言葉、頭に浮かんだ疑問。果たして口にするのは正解なのだろうかと、言葉を知らない少女は悩む。
地面を見つめてぐるりと思案を巡らせた後、首を傾げる少年におずおずと少女は尋ねかけた。
自ら率先して、言葉を発した。


「あの…確か、竜ヶ峰くんのお家へ行くには大分前の道を、曲がる筈だったのでは…」
「そう、だね、ははっ…」


少女の問いかけに少年は、少し照れながら視線を逸らす。
その様子に、少女は首を傾げた。彼の言わんとする意図が掴めなかった。
少女はこの時、失念していた。普段なら額縁を隔てて見えているであろう少年の変化を、客観的に知ることが出来たのに。

自ら額縁の外へ一歩、踏み出していたのだ。
少女はいつも眺めていた額縁の向こうで、少年を見ていた。

そう、ちっとも客観的なんかじゃない。こんなに近くで目にしているのに、少年の気持ちを汲み取れないだなんて。
少女は鈍感な訳ではなかった。ただ単純に、向けられているその想いを知らないだけ。
宙をなぞるように彷徨った少年の視線はやがてゆっくり、少女の瞳とかち合う。


「なんていうか…今日は、もうちょっと園原さんとお話したいなー、なんて…」
「そう、なんですか。ごめんなさい私、ちっともお話出来てなくて」
「いや!気にしなくていいよ、その、ほら女の子を一人で歩かせるのも良くないなって!送ろうかなって思っただけで!」


そんな、わざわざ悪いです。口に出掛かった言葉を少女は飲み込んだ。
普段はあまりにも客観的に見ている所為で気付かない、その気持ちに。少年と同じ額縁の向こう側に立つ今、少女は気付き始めていた。
少年の向ける好意。
それはとても心地の良いもので、少女を嬉しい気持ちにさせるもので。
いつもならほんの少し心を温かくさせるだけのそれが、今の少女にはとても大きな感情の揺らぎだった。


「…竜ヶ峰くんも紀田くんも、いつも私に優しいです」


そして少女は、ゆったりと言葉を紡ぐ。


「紀田くんはとても楽しくて、いつだって場を和ませてくれます」

「私は口下手だからでしょうか、あまりお喋りが出来なくて。それでも彼は気にする事無く、笑ってくれます」


こつ、こつ。静かに少女は歩みだす。
通り過ぎた少年の頬をさらりと風が撫ぜた。


「竜ヶ峰くんはとても優しくて、いつだって私を気遣ってくれます」

「私は微笑う事しか出来ないけれど、竜ヶ峰くんの優しい瞳は凄く、ほっとする」


少年は唐突な少女の言葉へと耳を傾けるのに精一杯だった。
少女の後姿をじっと見つめる。二人の距離がほんの少しだけ遠くなった。


「二人の気持ちがとても嬉しいです。私は何もお返しできないけれど、本当に、嬉しいです」
「う、うん、ありがとう園原さん…」
「…でも、竜ヶ峰くんとこうして二人で歩いて。竜ヶ峰くんの足音はとても、心地好くて…」


ふわり、
少女は短く切りそろえられた髪を揺らしながら、振り返る。
夕日に照らされた黒は僅かに透けて光る。少年の瞳にはその輝きがとても眩しかった。


「私、本当に嬉しいんです。いつも紀田くんが私にくれるものよりも、もっと…竜ヶ峰くんがくれるものが、嬉しい」

「けれども、この気持ちをなんて言えばいいのか分からないんです。嬉しい以上の言葉が、見つからないんです」


少女の言葉に、少年はどう返すべきかと困り果てる。
だってこれはまるで、告白みたいじゃないか。少年もまた、少女に対して嬉しい以上の言葉が見つからなかった。
それでも一歩、少年は踏み出す。同じ額縁の中で立つ少女に近付く。
夕日に照らされた少年の瞳は、少女の髪と同じようにきらきらと眩しかった。
少年の頬が赤く染まる。
そして、少女の頬も同じように。果たしてそれは夕日に照らされているからなのか、否か。


「…また、送らせてよ」


少女は少年の言葉に、ふわりと微笑んだ。
その笑顔が形式的なものではなく、自然に少女から現れた変化だという事に少年は気付いただろうか。
釣られるように微笑む少年の瞳には、今の少女があまりにも眩しすぎて。


少女は愛をただ単純に、知らないだけ。
それでも二人には十分だった。
暮れかけた夕日の中、少女は去り行く少年の背を見送る。
また明日もここで同じように手を振れるだろうか。お気をつけて、少女の精一杯が少年へと届く日はきっと、そう遠くない。




ただ単純に、
額縁の世界なんてもう、必要ないの。








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