またやっちまった、
血の滲んだ拳を見つめたって後悔しか起きやしない。
少し腫れた指はそこだけ赤黒く変色していて、けれども痛みなんて微塵も感じることはなかった。


「静雄ーどうした」
「あ…いえ、なんでも」


少し前を歩く上司が、顔だけをこちらに向けて尋ねる。
そっけなく返事をすれば一瞬の間の後に、そうか、とまた前を向く。
俺はその顔を、まっすぐ見る事が出来なかった。

仕事柄、タチの悪い連中に絡まれるなんて少なくない。
俺はそんな時の用心棒だ、ちゃんとした理由があってそういう輩に暴力を振るうんだ。
頭では理解していても、この人並外れた力はやっぱり理不尽すぎる。今日は一体何人殴りつけたのだろう、もう覚えてすらいない。
どんなに多くの人間を殴りつけたって痛みを感じないこの拳を、俺は正当防衛という名の元に振りかざす。
一発、二発、三発。
そうしてトムさんにもういいと止められるまで、その手が止むことは無い。
俺はどこかが壊れてしまっているんだろうか、いつも考える事だ。答えは誰もくれない。


「…トムさん」
「んー?」
「…今日、すんませんでした」
「んー」


いつもの様に取立てをしていた途中、往生際の悪い男が刃物で襲い掛かってきた。
その相手が俺であれば、なんて事は無い、刃物の切っ先をひん曲げてしまうだけで良かったのに。
男はよりによってトムさんへとその刃を向けた。
幸い衣服を掠めただけで済んだのだが、俺にそんな些細な事はそう、どうでも良かったんだ。
ぐしゃり、己の拳が男の顔面にめり込んだのだと自ら気付くまで時間を要した。
気付いた時、既に男の意識はないも同然だったろう。けれども俺は幾度も、幾度も、狂ったようにその拳を振り続け。


「ま、お前が俺を守ろうとしてくれるのは嬉しいけどな。少しは加減ってもんを覚えた方がいいぞ」
「…ほんと、すみません」
「もう気にすんな、終わった事だ」


ほんの少し肩をすくめた彼の背中すら、なんだか見る事が出来ない。
参ったな、守りたいだけなのに迷惑ばかりかけている現実。
自然と後ろをついてゆく歩調が遅くなる。広がる距離、縮める事を躊躇ってしまう。
下ばかりを見たままもたもたと歩いていれば、やがてどんと前方のものにぶつかった。


「っ…」
「しーずお、ちゃんと前見て歩けって」
「……」


それがトムさんの体だと気付いたら、恥ずかしいやら申し訳ないやら益々顔が見られない。
やべ、謝らなきゃ、思いっきり後頭部に頭突きした気がする。俺は痛くなくてもトムさんは痛かっただろうな。
何かを誤魔化すように指先でサングラスをつうと持ち上げた。
ああ、もう、いっそ何も言わず歩き出してくれた方が気が楽なのに。
ちらり、彼の顔を見やればいつもの優しい目がこちらを覗きこんでいた。
そうして目の前にすっと、手が伸びる。


「ほれ」
「…なんすか」
「手ぇ出せ、手」
「は…」


およそ訳が分からずぽかんとしていると、痺れを切らしたのか強く手首を掴まれる。
そのまま歩き出した彼につられて、よたよたと足を動かした。
血の滲んだ手。暴力に濡れた手。そんな俺の手を彼の綺麗な手が包み込む。


「気にすんなって言うのも無理な話かもしれないけどよ」
「はい…」
「俺はさ、お前のそういう所もひっくるめて全部、ちゃんと、認めてっから。他の奴は許さなくても俺は許すから」
「……」
「だからせめて俺の横に居る時だけは、堂々としてろって。後先考えずに動くのもお前の役目だぞ」


その後片付けをすんのが、俺の役目。
お互い補い合う為に一緒に居るんだろ。
前を歩くトムさんの顔は相変わらず見えないままで、けれどもその声も繋いだ手も、とても優しくて。
思わず溢れそうになる涙を堪えるために、はい、と言葉を搾り出した。
精一杯の俺に気付いて、それでも何も言わないトムさん。
せめて繋いだ彼の手が冷たくなってしまわぬように。ほんの少し遠慮がちに、繋がれた手をきゅっと握り返した。




化物と憂鬱
願わくばいつか綺麗な手で、彼を守れますように。








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