人間の欲求とはなんとも不便なものだと思う。
食欲に性欲に睡眠欲、これらは人間の三大欲求と言われているけれど
例えばその内の一つを満たしたとしても完全なる満足感は得られないし持続もしない。
また新たに欲求が生まれればそれを解消せんと、同じ事を繰り返す。堂々巡り。なんて無意味。


「じゃあ死ね、そうすりゃ無意味な事なんてしなくて済むぞ」
「…シズちゃん、その言葉君に返すよ」


がぶり、と喉元に硬い歯が当てられる。
噛み付く彼は今、どんな欲に突き動かされているんだろう。
食欲でさえなければ何でもいいや。
俺はまだ死にたくないし、食べられてシズちゃんの中に取り込まれるなんてもっと嫌。
そこまで生にしがみ付いてる訳じゃないけれど
首元にくっきり残った歯形、その下をどくどく脈打ちながら流れる血の音に少なからず俺は安心する。
彼がその気になればきっと骨でさえも、いとも容易く噛み砕いてしまえるんだろうな。
じゃあ俺は今、生命の危機を回避した事になるんだろうか。この命はいつだって彼のさじ加減一つだ。


「食べられるかと思った」
「手前なんか食ったところで不味いだけだろ」
「そうかな、骨くらいならいいダシ出ると思うんだけど」
「スープ作って飲めってか」


ぴちゃり、歯型の上を舐める様に這う舌はとても柔らかくて、熱い。
当たり前だ、血の通った生き物なんだから。
薄っぺらな舌に巡らされた血管全てが活動している限り、この熱は失われる事などないだろう。
面白くない。こいつだって俺と同じく、生命の危機に晒されてしまえ。
彼の口に指を突っ込み、舌の根元をぐっと掴んだ。このまま引っこ抜いてやろう、そうすればこの舌が熱を孕む事なんて二度とない。
そして冷たくなった舌から段々と、いずれは身体全てが冷たくなって死んでゆく。
想像したらほんの少しだけそれは楽しかった。


「…っ、痛い」


ぼんやり考えていると指の付け根に痛みが走る。
ああなんだ、噛まれたのか。彼の口から引き抜いた指には首元と同じ歯型。
また死に掛けた。また生かされた。人生とは常に戦いなんだろう。


「何も噛まなくてもさぁ…」
「手前が変な事するからだろうが、あぁ?いざやくんよォ」
「変なんかじゃない、これは知識欲だよ。舌を引っこ抜いたらシズちゃん死んでくれるかなっていう単純な好奇心」
「思ったところで試すな」
「じゃあシズちゃんも俺に噛み付いたりしないでよ」


肌の上を滑る手は、俺のものより幾分かは大きいけれどそれでも華奢。
細く少しかさついた指先に擽られて、そこから熱がじわじわと広がってゆく。
ああ、こうしてその熱が全身へと回ってしまったら俺はどうなるのかな。焼け死ぬのだろうか、それとも腐り落ちてしまうのか。
もしかしたら既にこの身は腐りきっているのかもしれない、それがシズちゃんに触れられたからなのか否かは図りかねる。
肉のない脇腹に彼が噛み付く。
ひくりと痛みが走って思わず金の髪を鷲掴むが、野獣みたいな鋭い眼をこちらに向けるだけでその行為を止めようとはしなかった。


「手前は大人しく身体差し出してりゃいい。一々抵抗すんな」
「あは、シズちゃん暴君だよそれは」


呆れ半分にそう言葉を漏らす。優しくされたい訳じゃないけど、痛くされるのはそんなに好きじゃないからさ。
だからせめて丁寧に、扱ってよ。
次々と溢れる欲求を突きつければ、彼は心底不機嫌そうな瞳で俺を睨みつける。
はは、これじゃ酷くされる事になりそうだな。
別に"愛してくれ"なんて言ってる訳でもないんだし、少しくらい優しさを見せてくれても罰は当たらないと思うんだけど。
そう思い、けれども言葉は飲み込んだ。

冷静に考えれば彼が俺に優しくしてやる義理なんてないし、それは俺も同じ。
大切に、慈しむ様に彼に触れられるなんて
想像するだけで何だかぞっとした。ああ、優しくされても手荒にされても結局同じじゃないか。
真っ直ぐかち合った瞳は不愉快そのもので、見たくなんてないものだから俺は瞼をぎゅっと閉じる。
何を思ったのか、彼はそっと顔を近付け唇を重ね合わせてきた。
最悪だ、塞がれた唇の奥で漏れた声はまさに絶望。絡み合う粘膜の感触に俺は、いっそこのまま死ねたらいいのにと渇望した。


「っは……キスとかさぁ、俺好きじゃないんだけど」
「知らねぇよそんなの」
「このまま呼吸も何もかも飲み込まれて死ぬかとすら思うよ」
「話続けんのかよ」
「でもおかしいな、俺シズちゃんにキスされるくらいなら死んだほうがマシなのに」
「じゃあもっかいキスするか、呼吸止まる前にショック死だ」
「出来るならそうしたいね」


今この時を否定するかのような、死への欲望。
本当に死んでしまえば、きっと彼に振り回される事もなく満足を手に出来るだろう。
けれども俺はまだ生きていたい、ああなんて矛盾なんだろうか。
生きる限り尽きない煩悩というものに、今正に俺は悩まされている。
そうか、俺も人間なのか。不思議とどこかでほっとしていた。


「ねぇ、シズちゃん」
「なんだ」
「もう一回キス、してよ」


満たされない欲求
死への渇望
無意味な事の繰り返し
彼は一体この行為にどんな欲を抱くのだろう、そんな単純な探求欲。

唾液に濡れた彼の唇を、舌先で拭うように舐める。
不快そうに揺れたその二つの瞳に映る己はきっと
それはそれは、欲に塗れた姿なんだろうな。





無意味な欲求を、俺達は延々と繰り返して生きてゆく








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