※過去捏造・イザビッチ・R18



『ご無沙汰してます、お元気でしたか』


四木の元に男から電話が掛かってきたのは実に五年振りの事だった。
登録のされていない、見慣れぬ番号に四木は出るのを躊躇ったものの
しかして、あまりにも長い間呼び出しが続いたためやがて諦めたように通話ボタンを押してしまう。
その電話が彼にとって都合の良いものではないと、分かっていた筈なのだが。


「…失礼ですが、どちら様でしょうか」
『やだなぁ四木さん、プライベートの番号をそう誰にでも簡単に教える人なんかではありませんよねぇ』
「冗談ですよ、少し予想外だったものでね……折原臨也さん」


名を呼んだ瞬間、電話の向こうで男がくつくつと喉を鳴らした。
子供ほど、女ほど高くは無いものの年頃の青年にしては華のある声音。
四木が最後に聞いた臨也の声よりは、これでも幾分か低く変わったものだなと思いを巡らす。


『嬉しいですよ、四木さんがちゃんと俺の事を覚えて下さっているなんて』
「たまたま思い出しただけですよ、自惚れないで頂きたい」
『そんな事言って…実は、ほんの気まぐれで助けた子供をずっと気にかけてたーなんて事あったりします?』


電話の向こう、臨也の顔を四木はぼんやりと思い起こす。
まるで靄がかかったようにはっきりとしない姿形。しかしその目の輝きだけは、今でも鮮明に見えていた。
ただの粋がった中学生。
鋭く睨み上げる赤い瞳は、他人に対する敵意がありありと見て取れる恐ろしさだった。
薄暗い路地裏で、複数の男達に囲まれていた少年にどうしてあの時の俺は、目を奪われたのだろうか。


『ねぇおじさん、助けてよ』


顔も服も血塗れで、擦り切れたズボンの裾から覗く肌には痛々しいほどの痣。
一目見てその男達にやられた傷だと分かり、しかし恐怖も焦りも感じさせないあっけらかんとした声音はあまりにも場にそぐわなかった。
その違和感が気になったからだろうか。
放っておけば良かったと、後悔するのはいつも後になってからだ。
苛められた亀を助ける浦島太郎は、それからどうなっただろう。


『俺ね、あれからずっと四木さんの事が気になっていたんですよ…本当なら番号を貰ってすぐ、お礼の電話でもとは思ったんですけど』


自分はまだ世間知らずの子供でしたから、と電話の向こうで臨也は笑う。
得体の知れなささえ感じるその声音は当時の少年を思い出すようで、けれどもあの頃には無い薄ら寒さすら存在していた。
そうか、五年か。過ぎ去った年月が彼にもたらしたものの大きさを、四木はじわりじわりと感じ始める。


『当時もなんとなく、そうだろうなぁとは思っていたんですけれどね…ほら、四木さん、怖いところの人ですから』
「まぁ、そうですね。否定はしませんよ」
『ですから俺も、子供ながらに二度とこの人には関わるべきでは無いなぁと思いまして』
「…なら何故今になって、連絡など…」


愚問だった、四木は小さく舌打ちをする。
電話の向こうの臨也は相変わらず、くつくつと喉を鳴らし続けていた。
嫌な奴だ。四木の眉間には深い皺が増えてゆく。


『もう俺は、あの時のような子供ではありませんから』


"だからお礼をさせて下さい"
亀を助けた浦島太郎は、竜宮城へと招待された。





「…幾分か背が伸びましたね。体格も、少しは男らしくなられたようで」
「そういう四木さんはちっともお変わりない様子で、少し安心しましたよ」


にっこりと、読めない笑顔を浮かべる臨也。笑わない瞳は出会ったあの日を彷彿とさせる。
正直な所四木は、臨也の顔も体格も、その真っ赤な瞳以外の全てを忘れ去っていた。
なのに、だ。一目見ただけで全てを思い出せる程にこの少年、いや青年は強烈だった。


「…学生さんかと思っていましたが。卒業なされていたんですか」
「いえ、まだ学生の身です。今日はたまたま暇でして」


黒のコートをなびかせて、綺麗な瞳を細めて笑う青年。
半月を描く形のよい唇から覗いた舌は、爛々と輝くその瞳より赤かった。


「…まぁ、立ち話もなんですから。どうぞこちらへ」


新宿がホームグラウンドだという青年に呼び出され、無防備にも四木は単身臨也の家へと赴いた。
あまり良い気はしなかったし、警戒していないという事でもない。
一般人であろう青年の動向を張らせる訳にはいかないだろう、と判断したのだ。
僅かでも相手に隙を与えてしまった、だからこそ四木は普段以上に気を張っていた。
招かれた扉をくぐる、すっきりと整頓されたモノトーンの部屋はなるほど男の一人暮らしといった風情で、しかしどこか人間味を感じなかった。
上質な部屋の作り、そこそこの立地条件。この若さにしてどこから資金を得ているのかと四木は疑問を抱く。


「…ご家族とは一緒に暮らしていないようですね」
「ああ、四木さんみたいな大人の方からするとやっぱり気になられます?一応ここ、自宅兼仕事場みたいなものでして」
「名義は親御さんではないのですか」
「こう見えて、そこそこ稼いでおりますから」


何がそこそこだ、子供にしては十分過ぎるじゃないか。
臨也の口から直接彼の仕事を教えられた訳ではない。だが、この暮らしぶりを見るに相当の事を成し遂げていると確信した。
それも、真っ当な仕事ではない。限りなく自分と近いところに居る筈だ、と。
黒塗りの皮のソファへぎしりと腰を落とす。
二人分のコーヒーカップを手にした臨也が、それらをゆっくり見せ付けるようテーブルに置いた。


「冷めない内にどうぞ、お砂糖やミルクはどうなさいます?」
「いえ結構」
「奇遇ですね、俺もブラックが好きなんです」


にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべた臨也が、ゆったりと向かい側へ腰を降ろす。
いかにも上品そうにカップを手に取り、楚々と口をつける。
立ち上がる湯気が、その端整な睫毛を揺らした。


「…失礼、一本いいでしょうか」
「ええ、そうかと思って灰皿も用意してありますよ」


気が利くでしょう?四木の前にガラス製の灰皿を差し出す臨也の手つきは、どことなくねっとりとしていて。
まるで娼婦のようだ、胸ポケットから取り出したライターを荒々しく点ける。
やがて四木が煙草を吸い終える頃、臨也はじっくり時間をかけて飲み干したカップをかたり、とテーブルへと置いた。


「…警戒、やっぱりされてますよねぇ。先ほどから一口もお飲みにならない」


赤い瞳が鋭く四木へ突き刺さる。
その視線を遮るように、二本目の煙草へ火を点けようとするが。


「ねぇ四木さん、俺はお礼がしたいだけなんですよ?」


臨也の細く長い指先が、四木の手を止める。
がちゃり、臨也はテーブルへと身を乗り出す。片手を四木の首へと回しながら、もう片手は器用にカップを隅へと避けていた。
手馴れているな、開こうとした四木の口を制止するように臨也の唇が重なる。
一方的に絡められた舌は焦げ付くほどに熱く、コーヒーの苦い味がした。
ねっとりと、まるで唾液を味わうように絡みつく臨也の舌。いたずらに甘咬みしてやれば、華奢な肩がぴくりと揺れた。

竜宮城へと招かれた彼は、美しい乙姫と出会って。
それから、それから……





「はっ……ン、ぅ…」


自分の下、真っ白なシーツに埋もれまるで女のような声で乱れる青年を見下ろして、四木は後悔していた。
こんな関係を結びに来たのではない。こんな関係を許すつもりではない。
無い、無い、どれもこれも四木の想定の範囲外だった。
ぐちゅり、結合部からは卑猥な音が漏れ響く。
ゆらゆらと腰を揺する度に臨也は身体を震わせ、赤い瞳をいっそう赤く染め上げる。
涙で滲んだ視線は、子供のものではなかった。
なるほどこういう類の仕事なのか、理解したと同時に湧き上がる嫌悪感。

何がお礼だ、ふざけている。
子供の、ましてや男の身体を抱いて満足出来る程四木は強欲な人間ではない。
それでも誘われるがままに手を出したのは自らだ。頭と下半身は別物だと、よくもまぁ上手く言ったものである。


「ぁ、あ、四木さ、きもちい?」
「…ああ」
「そう、ふふ、良かった……ンぁ、もっと動いて、いいよ」


淫らに両足を開き、うっとりと己に突き刺さる四木のそれを見つめる臨也。
本当に、ふざけている。
あの時自分が助けた少年は果たして、こんな醜い世界を知っていたのだろうか。
猫なで声でもっともっと、と強請る臨也を見つめる四木の心には、どす黒い思いしか浮かばない。
どうせなら子供らしく無邪気に甘えられた方が、まだ幾分かマシだ。
こんな汚い、欲望を剥き出しにした声音なんて……吐き気がする。


「…ちょっと、黙ってろ」
「え…んぐ、ぅ……ン、っ…」


深く口付ける。
それはキスといえるほど優しく柔らかいものではなかったけれど、臨也にはどうでも良かったのかもしれない。
奥を激しく突けば突くほど、臨也の舌は四木の咥内を蹂躙する。
くちゃ、くちゃ、上からも下からも卑猥な音が漏れる。四木を受け入れていた淫らなそこが、一際強く締め付け始めた。
なんだ、もうイくのか。お礼という割には随分呆気ない、これじゃあ他人を利用して己の快楽を求めているだけじゃないか。
悦ばせる為の行為をまだ知らない臨也に、やっぱり子供だったと落胆する。
同時にどこか、ほっとしていた。

四木の骨ばった手のひらが、今にもはち切れんばかりに充血した臨也の性器を包み込む。
途端に臨也はびくびくと身体を震わせた。
裏筋へと浮き出た血管を、つうと指先で撫ぜる。堪らず唇を離した彼は、やがてうっとりとした瞳で欲望を吐き出した。


「ふ、ああっ…!っは、ァ……」
「ッ……!」


その締め付けは想像以上だった。
寸前で引き抜こうとした四木の性器をぎちぎちに咥え込んだそこは、逃げる事を許さない。
まるで搾り出そうとする様な締め付けに、我慢も出来ずに精を放った。
はあ、はあ、と肩で息する四木の下で臨也は微笑む。怖いガキだ、そう思った。
やがて萎えきったそれをずるりと引き抜けば、やや遅れて彼のナカから己の吐き出したものが流れ出る。
ああ、しまった。その時になってようやく自分が何をしでかしたのか、四木は後ろめたさを覚える。


「…すみません、中に…」
「ああ、いいですよ別に…俺、男ですし。何も気にする必要ないです」


対して臨也はあっけらかんとしていた。
慣れているのだろう、ベッドサイドに置かれたティッシュに手を伸ばしてきぱきと精液を拭き始める。
最中はあんなに甘えてきたくせに、この変わりようは一体何なのだろうか。
振り回すなら最後まできっちりするべきだろう、とお門違いの説教を垂れたくなった。


「…折原さん、シャワーどうぞ」
「一緒にどうです?」
「いえ結構、一服してから借りますので」


煙草に手を伸ばしながらきぱりと答えれば、またそれですか、と臨也は小さく呟く。
その表情が何となく寂し気に見えて、四木の手が止まった。
ふと目が合う。赤い瞳の奥、彼が何を思っているのか読めない。
視線をそらし、煙草を取り出した。ふっと笑う声がして、その少し後に臨也が丸めたティッシュを放り投げた。
部屋の隅、小さなゴミ箱の端に当たったそれは器用にそのまま中へと落ちる。
何かをする度に一々引っかかりを覚えさせる彼らしい、そんな気がした。


「ではお先に失礼します、出てきたら居なくなってたなんて事しないで下さいよ」
「さあ、どうでしょうかね」


にやにやと笑いながら煙草を燻らせる。
一旦部屋を出ようとした臨也だが、四木のその言葉に突き動かされるかの如く彼へ詰め寄った。
ぎしり、四木へと乗り上げる彼の肌は冷たい。
先程まで熱を分け合っていた互いの素肌が擦れあう。
四木は煙草を咥えたまま、その先端は今にも臨也の唇に当たりそうである。
それでも微動だにしない臨也は、まっすぐ四木を見つめたまま彼の首へと腕を回した。


「貴方が帰ってしまう前に一つ、言っておきたいことがあるんです」
「…なんでしょう」
「四木さん、敬語、似合いませんよ。警戒されっぱなしですね」
「そんな事ありませんよ」
「嘘、セックスの時はあんなに荒っぽい口調だったのに勿体無い」


臨也の細い指が煙草を取り上げる。
フィルターを咥えていたはずの四木の唇に触れたのは、そんなものよりも柔らかくて、熱い。
軽く触れただけの唇は、ちゅっ、と小さな音を立てて離れる。
それが物足りなく感じて。四木の手は自然と引き寄せるように臨也の頭に伸ばされていた。
啄ばむ様なキスを幾度か繰り返す。
やがて名残惜しそうに唇を離せば、赤い目を細めて微笑う臨也と目が合った。


「……もしかして四木さん、快楽に弱い方だったりします?」
「折原さんほどではありませんよ」
「肯定ですか、可愛いですね」
「…そういうお前は可愛くねぇガキになりやがって」
「ありがとうございます」
「ちっとも褒めてねえぞ、早く入れ」
「はは、四木さんこわーい」


ベッドから身軽に飛び降りた臨也は、ぺたぺたと裸足で床を駆けてゆく。
子供じみたり大人ぶったり、よく分からない奴だなと四木は苦笑を漏らす。
視線をベッドサイドへと流せば、ガラスの灰皿に吸いかけの煙草が置かれていた。
ちっとも吸っていない煙草。そのくせ煙だけはゆらゆらと立ち上がっている。
ぼんやりとした煙の中、ちりちりと燃える炎だけが嫌に赤い。
まるで臨也の瞳を思わせる色だ。

煙草の先端をぐりぐりと灰皿へ押し付ければ、呆気なく火は消える。
それなのに網膜から赤が離れない。
あの時と同じだ、敵意を含んだ鋭い瞳。それをずっと忘れられずに居た。


「…警戒してるのはお前の方じゃないのか」


読めない笑顔で、大人のふりして、必至に取り繕う。
そんな様でよくお礼だなんて言えたものだ。
浦島太郎は竜宮城へ辿り着いたけれど、俺はまだ何も見つけてなどいない。彼の真意すら。
扉を隔てて微かに、シャワーの音が響く。
もし今シャワールームへ行ったら臨也は驚くだろうか。動揺するだろうか。
甲羅を固く閉じたままの彼の、子供らしい一面を見る事が出来るだろうか。




四木は失念していた。
折原臨也という青年に、いつまでも出会った頃の面影を追い求めていた。
浦島太郎は玉手箱を開けた事により、幻想の世界から引き戻される。
それは彼にとってはとても残酷な、現実。

さあさあと水の流れるバスルーム。ドアノブを捻り、ゆっくりと扉を開けた。
途端に立ち込める湯気の中、ぼんやりと霞む中で見えた赤い瞳は。

それはそれは楽しそうに、笑っていた。




人生は御伽噺
亀は苛められていた、ふりをしていた。








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -