「……あっ」

ぽとり、とアイスキャンディーが畳に落ちた。
手に持っている棒の先には、僅かに青のそれが残る。
残った量より落ちた量の方が多いなんて、何だか悔しい。

「なんだ夏目、どんくさい奴だな」
「仕方ないだろ…最後の溶けかけは食べにくいんだって」
「ふむ、勿体ないから食ろうてしまうか…三秒ルールだな」

そう言うと隣にいた猫は、畳に落ちたアイスをぺろりと舐め始めた。
はしたないなぁ、と内心思いつつも口には出さず
棒に残った溶けかけのアイスを、今度こそ落とさぬ様にと頬張る。

開け放たれた窓からそよそよ、生温い風が通り過ぎる。
初夏とはいえ太陽が高く昇る昼間だ、じりじりと焼け付く日差しが鬱陶しい。
つう、と首筋を伝う雫
折角冷たい物を食べたと言うのに、こうも早く汗が滲むのでは意味がないな…と溜息を一つ。
遠くでセミの声が響く
土から出て一週間の命しかない彼等の声は、五月蝿くもありどこか物悲しい。

「もうセミが鳴き始めたか…生き急ぎおって」

畳のアイスを舐め尽くした猫が、今度はぺろぺろと毛繕いをしながら呟く。
何の気無しに発したのだろうか
その言葉が何故か酷く、耳に残った。



「…暑い…」

気を紛らわせようと読書に耽っていた。
が、どうしてもこの気温には勝てないようで
ぱたぱたと扇ぐうちわも空しく、頭からつう…と汗が流れるばかりだ。諦めて足元へと置いてしまう。
初夏ってもうちょっと涼しくてもいいんじゃないのか。
誰にともつかない文句を心の中で呟く。

「夏目、アイス持ってこいアイス」
「さっき食べただろ…一日にそんな何本も、お腹壊すぞ先生」
「なんじゃケチくさい」

同じ様に暑さに項垂れていた猫が、足元でごろごろと転がる。
ただでさえ暑いのに、足にぴたりと引っ付かないでほしい。
訴える様に猫に視線を移すと、ふと視線が交わった。
無駄に大きいその眼
じっと見つめられるのは何だかばつが悪い…視線を本へと戻した。
無数の文字の羅列を目で追う。
けれども上手く頭に入らない、暑さで頭がぼうとしてしまっているのだろうか。
また頬を汗がつう、と垂れた。

うちわを扇ごうと足元に手を伸ばすが、その手には思わぬ感触。
ふわ、と柔らかい毛並み。
なんだろうか…手の先に視線を移そうとした途端、頬に熱い吐息がかかる。

「なっ…」

なに、という言葉は声にならなかった。
ぴちゃりと耳元に響く水音
首筋から頬までを、大きな舌に舐められる。
訳が分からない
なんで今、目の前にこの大きな妖が鎮座しているんだ。
なんで今、この妖は俺を舐めたんだ。
なんで、なんで。

「ぁ…っ」

ぴちゃり、とまた耳元に響くその音。
いやらしい気持ちになる、嫌だ、嫌だ。
手からばさりと本が落ちる。しおりを挟み忘れた…なんて、それどころでは無いのだが。

「せんせ…斑、っ…」

妖の名を呟く。
彼の柔らかな毛並みを撫でると、熱く大きな舌が首筋から離れた。
見下ろす鋭い金の瞳と、視線がぶつかった。

「…しょっぱいな」
「……な、にが」

低く心地好い声。
俺は案外、この声が好きだ。

「美味そうに見えたんだが…ただしょっぱいだけだ、つまらん」
「…何だよ、それ…」

もしかして俺を食べるつもりだったのか、冗談じゃない。
さっきまで熱に侵されていた脳が、すっと冷めていく。
一瞬とはいえ、こんな妖相手にいやらしい気持ちを抱いてしまった己を恥じる。
馬鹿馬鹿しい、俺も先生も。

「わ、悪ふざけが済んだならもう離れてくれ…暑いんだから」

ふいと視線を逸らし、落ちた本を拾う。
どこまで読んだかなんて分からない、そもそも文字は追えど頭になど入らなかったのだから。
適当なページを開き、また無意味に文字を追う作業に戻る。
読んでいるフリだと、この妖には気付かれているのだろうか。
視界の端に映る彼を
どうしてか意識してしまって、やはり馬鹿馬鹿しいと己を恥じた。

妖はその大きな姿のまま、俺にぴたりとくっついて身を丸める。
あついのは夏の所為か
妖がひっついている所為か
彼から洩れる吐息の所為か。
日は傾きかけ、窓から差し込む光はうっすらオレンジの色。
遠くではまだセミの声が響いている。

けれども今は、それより大きく響く鼓動の高鳴りが
酷く耳障りなほどで、俺は困ってしまうんだ。




ある夏の日








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -