「夏目、デートに行こうか」
「…はい?」

彼の発言はいつもどこかおかしい。
いや、彼は至って真面目に発言しているつもりなのだろうけど
どうも通常の人間には理解しがたい感覚だったりする訳で。

「…あの名取さん、今何て…」
「だから、デートに行こうよ」

デートって、こういう関係の場合にも成立する言葉なのだろうか。
普通は男女間のみに使われると思うのだけど。

「…俺、別に名取さんと付き合ってないです」
「ん?付き合って無くても一緒に出かければデートじゃない」
「…それは男女だからだと思うんですけど」
「まぁまぁ、細かい事を気にしたら楽しめないよ、夏目」

何だか誤魔化されてしまった気がする、子供の俺は大人のこの人にどうも敵わない。
そうしてデートと称したお出かけに、上手い事連れ出されてしまった俺は
気付けば見知らぬ海辺に、立っていた。
ザザァ…と波が寄せては返す。
太陽の光が水面に反射し、きらきらと眩しい。

「…どうして、こんな所に」
「夏目は嫌いかい?海」
「いや好きですけど…」

何だか会話が上手く噛み合わないなぁと溜息を吐く。
普段ならニャンコ先生や柊が側に居て、俺が返答に困っていればさり気なく助けてくれるのだが
生憎今日は、文字通り"二人きり"の為それは叶わない。



名取さんと共に過ごす時間はとても好きだ
この人は俺を常に気遣ってくれ、俺の言いたい事も感じている事もちゃんと理解してくれる。
…見透かしている、と言った方が正しいのかもしれないが。
心地好い空間を与えてくれる、そんな彼だが
元々の性格の為だろうか、所謂"人とはテンポがズレている"時があって
そんな時口下手で人馴れしてない俺は只管に一人困ってしまうばかりだ。
もしかしたら、俺がそういう性格なのを分かっていてわざと困らせているのかもしれない。
案外そんな意地悪い部分もある人だ、侮るでないぞ夏目貴志。

「昨日本を見てね、この辺りは昔ながらの景色を残した穏やかな土地だと書かれてたんだ」
「…そういえば途中の道も、まだあまり拓けてない印象でしたね」
「それで、都会の喧騒よりは誰も居ない静かな場所で夏目と過ごしたいなぁ、とね」
「…嬉しいですけど、まだ海開きには早いですよ」

ザザァ…とひっきりなしに波の音が響き渡る。
時々大きい波が足元にまで来るものだから、ジーパンにシューズ姿の俺は濡れたらどうしようと思わずハラハラしてしまう。
空はからっと晴れ渡り、雲ひとつない快晴。
だが夏にはまだ遠く、吹く風はどこか冷たい印象。
長く広い砂浜を男二人が連れ立って歩くなんて、ハタから見たらそれはもう不思議な光景だろう。
名取さんはそんな事など気にしていないのか
さくさくと噛み締める様に歩み、時々足を止めては砂をじっと見下ろしている。
いよいよ彼の意図が分からない。

「あ…ほら名取さん、波来ますって」

大きい波が襲ってきてもお構い無しの彼を心配し、服の裾をきゅっと引っ張る。
俺の手元に気付いた彼は、ちらと視線をこちらに向け優しく微笑んだ。
…その笑みがあまりにも綺麗で、きっと女の子なら今の笑顔にコロッと落ちるんだろうな…なんてどこか冷静に考えてしまう。
自分の頬も、しっかり赤くなってしまったのは仕方の無い事で。

「夏目、ごらん」
「え?」

名取さんは足元を指差す。
意味を理解出来ずきょとんとする俺に、くすり、と小さな笑みを溢すと
しゃがみ込んで足元に転がる小さな何かを拾った。
それはとても淡く、今にも壊れてしまいそうな程脆く、今までに見た事もない程に美しい…

「…貝殻?」
「ご名答、綺麗でしょう?」

彼は小さな貝殻を高々と天に翳した。
太陽の光を受けキラキラ輝くそれはまるで、宝石の様だと素直に思う。

「ここの海岸、マニアには有名な貝殻の名所らしくてね」
「そんなマニア居るんですか…」
「夏目に是非見せてやりたいなーと思って、気付いたら誘ってたんだ」
「は、はぁ…」

気持ちは嬉しいが何故俺なのだろう。
浮かんだ疑問を口に出すのは野暮な事だろうか
そう考えてしまう辺り、俺はこの人に毒されているのかもしれない。
ぐるぐると思考を巡らせる俺を横目に、彼は次々と貝殻を拾っては大事そうにハンカチで包んだ。
自然と、それに倣って自分も貝殻を拾う。
貝殻からさらさらと零れる砂さえ、何だか特別な物に見えるから不思議だ。

「…塔子さん、こういうの好きかな」

ふと頭に浮かんだのは、母親代わりのあの人。
まるで少女の様に可愛らしいものを慈しむあの人に、このキラキラと眩しい貝殻がぴったりだなと思った。

「夏目は、優しいね」

俺の呟きを聞いていたらしい名取さんが、ぽん、と俺の頭を撫でる。
それが何だか嬉しくて
波飛沫が跳ねる浜辺を、夢中になって駆けた。




「それにしても、もの凄い量ですね…」

帰りの電車に揺られながら、隣に座る名取さんの手元を覗き込む。

「後に来る人の分はちゃんと残したのにねぇ…流石は名所」

ハンカチに包まれた貝殻を一つ摘み上げる、長い指。
夕日を受けて輝く貝殻は、昼間のそれとはまた違う色。
オレンジの日に照らされた彼の顔も、昼間とはまた違う表情に見える。
暫く貝殻を弄んでいた彼が、ふと俺の視線に気付く。
自然とかち合う瞳
逸らせなかった。

「…夏目」

驚くほど柔らかな声音で名を呼ばれ、ぞくりとした。
言葉や音には魂が宿ると言うが
今の彼の言葉にも、魂は宿っていたのだろうか。
長い指にはもう貝殻は無い。
代わりに俺の頬を、その滑らかな指が優しく滑った。
トンネルに差し掛かり車内に影が落とされる。
目の前で微笑む彼の顔は矢張り、先程とは違う色を帯びていた。

「夏目」

もう一度、今度は強く名を呼ばれる。
俺は妖ではないけれど
この声に名を呼ばれれば逆らう事さえ出来ずにこの身を投げ出すだろう、そんな気がした。
否、人だからこそそう思ってしまうのだろうか。

「…デートの最後はやっぱり、これで締めるべきだと思わないかい?」
「へ…って、なに!?」

大きな両手でしっかりと頬を包まれた。
かと思うと次の瞬間、額に温かくふわりとした感触。
呆気に取られている俺の耳に、ちゅっと可愛らしい音が響いた。
なんだ、今の。なんだ。

「あっあの、人に…」
「大丈夫、ここの車両は俺達しか居ないから」
「だけど、これは…」
「たかがおでこにキスしたくらいで、可愛いね夏目は」

けらけらと笑う名取さんが、とても意地悪く見える。
こんなの今まで一度もした事も、された事も無い俺にとってはかつてない程の大事件だと言うのに。
やがてからかわれているのだと気付き、上手く立ち回れない自分を恨んだ。

「ごめんね夏目…怒った?」
「べ、別に怒ってないですけど…」
「けど、何?」
「っ…それ、は…」

改めて尋ねられると恥ずかしいじゃないか。
思わず赤くなるのを見られたくなくて、ふいと顔を逸らした。
そんな俺に何を言うでもなく頭を撫でる大きな手は
矢張り、優しいいつもの名取さんだった。
ガタンゴトン…と電車は揺れる。
あと少しでいつもの駅に着くと、少しくぐもったアナウンスの声がそう告げた。
この人と過ごす時間の終わりを告げる、その物悲しさ。

「…ねぇ夏目、今日は楽しかったかい?」
「あ…」

まるで、己の心を見透かされたかの様なタイミングで尋ねるものだから。
咄嗟に言葉が出ず、俺は小さく頷いた。

「そうか、良かった…
お互いが楽しい時間を共有できたら、それはもうデートと言ってもいいと俺は思うんだよ」

名取さんはもう一度、優しく俺の頭を撫でる。
子供の俺は大人のこの人に、矢張りどうしても敵わない。
俺はまた、名取さんとデートが出来たらいいな…なんてぼんやり考えていた。





「…で、何だこの荷物は」
「なんか名取さんが…後でいい物送るよって言ってた、様な?」

後日俺の家に小さな包みが届いた。
差出人は名取さん、中には特殊加工された貝殻のブレスレットが
何故か、二つ。

『一つは夏目、もう一つは塔子さんにどうぞ』

「なんじゃこれは、あの男どうせ寄越すなら美味いもんにしろー!」
「……」

食べ物ではないと分かるや否や、ニャンコ先生はさっさとどこかへ消えてゆく。
優しいあの人の笑顔を思い浮かべる。
あの笑顔で大抵の女性はイチコロだろう。

「…塔子さんは、渡さないからな…」

天性の女たらしは恐ろしい、そうして俺の困り事がまた一つ増えた。




Tempo come gioielleria








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