「…ん、ふ……んぅ、っ…」

鼻に掛かる息遣いと、ぴちゃぴちゃ漏れる水音。
煙草の煙が揺らめきながら昇ってゆく、その様を見つめながら
先程から続くこの耳障りな音に、盛大なほどの溜息を吐き出した。
薄汚れた灰色の壁を見つめるその視線をほんの少し下げれば、辺りと同化する程黒々とした髪の毛が揺れている。
どこか柔らかなその髪を一房取り、指先で弄ぶ。
当の本人は、俺に髪を触られている事にすら気付かない程その行為に没頭していた。

何だか、気に食わない
しなやかなその黒髪を目一杯掴む。
奴は伏せていた瞳をほんの一瞬俺に向けた。そう、本当に一瞬だけ。
直ぐにまた目を瞑り、陶酔しきった赤い顔で行為を続けた。





『ねーシズちゃん、君ってまだ童貞なわけ?』
『………あぁ?』

久々に池袋へ足を運んだこいつをそれはもう精魂込めてお出迎えしてやろう。
そんな心優しい俺の投げ付けた自販機をひょいと避け、俺を真っすぐ見つめたその男は
俺と視線を合わすなり、そうほざきやがった。
本日臨也の姿を見つけてから僅か十秒。
その十秒、別段これといった会話もなくいきなりである。

『…あれ、もしかして聞こえてなかったのかな?それとも図星だから恥ずかしくて無言?まぁ分かってるんだけどねシズちゃんが未だ清い体のままだなんて事さぁ、だってシズちゃんだし。でもこの世界何が起こるか分からないじゃない?だって人間は十人十色どころか何万も何億も居て、それらが常に反応し合ってはさっきまでと違う物事を生み出す、万が一なんて可能性も捨てきれないわけ。だからその僅かなもしかしての意味を込めてもう一度聞くけど、シズちゃんまだ童貞のままなの?』

『…………手前は何が言いてぇんだ、おい』

息つく暇も無く一気に単語をずらずらと並べたその口は、にっこりと半円を描く。
対して俺は、奴のそれはもう理解に苦しむ発言に思わず反吐が出そうになるのをただ必死に堪えていた。
俺が不機嫌な視線を投げかけているのに、お構いなしに奴は言葉を続ける。
毎度の事だが、よく疲れないものだ。

『もう二十何年も生きてきてさ、未だにシズちゃんが童貞だって事は…ぶっちゃけもうこの先も、そんなチャンスに巡りあう事なんてないんじゃないの?
 そう思ったら何だか可哀相に思えてきちゃって…ああ別にシズちゃんの事じゃないよ、あくまでもその使い道の無いキミの息子さんに対してなんだけど』
『何で俺が手前なんかにそんな心配されなきゃなんねーんだ』
『うわぁ、会話が成立しちゃった。もしかして初めてじゃない?やだなーちょっと嬉しいかも、ああ君との会話がって事じゃなくて会話が成立した、それ自体の事を言ってるんだけど』
『…………』

ギリ、と歯軋りする
この五月蝿くて仕方ないノミ蟲の喉を一刻も早く掻き切り、二度と言葉を発せぬ様にしてやりたい。
だが生憎手近な場所にはもう建物しか残っていない。流石に建物を持ち上げ投げつける事だけは出来そうになかった。
くそ、さっき余計に自販機を投げなけりゃよかったな…
気づけば奴はナイフを此方に向けていた。
俺にはそんな物通用しないと、とっくに知っている筈なのにだ。

『…色々と言ったけどさぁ、つまり、そういう事なんだよね』
『そういう事って何だよ』

顔色を一切変えずに、奴はこちらへと駆け出す。
小さいがそれなりに鋭いナイフの切っ先が、俺の脇腹をヒュンと掠めた。
…ん?何で掠めるんだ、俺は一切避けようとなんてして無いのに…
的外れのナイフはそのまま足元に落下し、奴は俺の左腕を両腕で掴む。

『…うわっ!?』

思い切り引っ張られる
てっきり次なる刃物が飛んでくるものだと構えていた俺は、予想外の行動を取られ思わず体勢を崩す。
人気の無い路地のそのまた薄暗い通路へ、そのままズルズルと引きずられた。

『…何だ、おい、攻撃してこねぇのか……』

腕を掴む奴の体から、仄かにアルコールの香りがするのをその時になって初めて気づいた。
そういえばいつもより顔が赤いんじゃないのか。
服の上から触れる両手は、珍しく熱い。なんだただの酔っ払いの絡みか。
珍しい事もあるもんだと、小さく息を吐いた。
通路のそれはもう奥、薄汚れたダンボールや壊れたテーブル…どう考えても粗大ゴミだが
無造作に詰まれたそれらの中にある壊れかけた椅子に、まるで座れと言わんばかりに奴は俺の体をぐいと押す。
ここで反抗しても面倒な事になるであろう、大人しく従う。

『…で、こんな目立たねぇ場所に俺を連れて来て何の用だ?』

酔っ払いなんてマトモに相手にしてられるか。腰を落ち着け、胸ポケットから煙草を取り出す。
大分残り少なくなったライターをかちかちと弄り、火を点けた。
…点けようとした。
吸おうとした寸前に、奴の指によって煙草が奪われた為にそれは叶わなかったのだが。

『……何しやがる』
『んー?ちょっとまだ早いからと思って…こっちは準備出来てないってのに』
『は?意味分かんね…ちょ、おい馬鹿おま…』

奴は俺の足を割る様に、その間に座り込む。
まるで手品かと思う程の早業でベルトとスボンのボタンを外され、いよいよ嫌な予感がした。
するり、とその細くしなやかな指が下着をまさぐる。
上目遣いににこりと笑うその顔は、やはり赤い。いい加減にしろこの酔っ払い。
奴が取り上げた煙草を軽やかに投げ返してくるのと、無遠慮に俺の下着から性器を取り出すのは同時だった。

『もし温かさを知らずに一生を終えるんだと思ったらあまりにも哀れだから……シズちゃんがその煙草を吸い終わるまでの間だけ
 特別に俺が、この子を可愛がってあげるよ』

とびっきりの笑顔を向けてそう言い放つと、顔よりも真っ赤な舌をちらりと覗かせた。
相変わらず臨也の行動は…俺を不愉快にさせる、そんな事ばかりだ。





「ん、ん…っ、ンぅ……っふぅ…」

ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ
どこか粘着質なその音が、より一層奴を満足させる。
一心不乱に舌を動かす姿を見つめながら、短くなり始めた煙草をすうと吸い込む。
それに合わせるかの様に、奴は愛しげに舐め尽くしているその先端をちゅっと吸った。

「っ……馬鹿、それやめろ…」
「んぁ…どうして?もしかしてもう限界?堪え性無いなぁ……んむ」
「あ、手前……やめろ臨也、マジで…っ」

いいよ、出しても
しゃぶったままそう告げられ、不覚にも下半身がズンと疼いた。
俺の反応を楽しんでか、奴の舌は先端ばかりを刺激する。
尿道口をぐりぐりと舌先で押し拡げられ、思わず快感の声が漏れた。
なんだこれ、なんだこれ。
まさかこいつにこんな事をされる日がくるなんて、想像もつかなかった。
そもそも何がどうしてこうなるんだ、俺は男でこいつも男で、それで…なんだ、兎に角おかしいだろ。
誰にも触られた事の無い性器を、男、それも大嫌いなこいつに擦られて舐められて吸われて。
望んでも居ないのに大きくなってしまう、そんな男の性が憎い。

「く……ッ!」

一際強く先端を吸われ、情けないかな俺は欲を吐き出す。
ほんの一瞬眉をしかめたが、まるで当たり前の如く
びゅくびゅくと溢れ出るそれを、臨也は飲み干した。
それもわざわざ見せ付ける様に、口の中でくちゅくちゅと弄んでから盛大にごくりと喉を鳴らしてだ。うっぜぇ。

「はぁ…シズちゃんの精液、すっごい濃い……もしかして溜まってた?俺いいタイミングだったんじゃない?」
「んな訳あるか…」
「素直じゃないなぁ、ほんと」
「黙れ酔っ払い…」

荒い息で、俺は奴の瞳を睨み付ける。
冷たく綺麗に光るその眼球に映っているのはまさしく俺の筈だが、それはあくまでも映っている、というだけで。
きっとこの男は本当の意味で、俺を見ては居ないんだろうな…なんて思う。
熱を失いすっかり萎えきった性器が、だらしなく頭を垂れるその両脚に
おもむろに、奴が乗り上がる。
わざとだろう、コートの裾が敏感な性器の先端を擽る。不覚にも感じてしまった。
かつて無い程に互いの顔が近づく。
すっかり忘れていたが、こいつはかなりの美形だ。滑らかなカーブを描く長い睫毛につい視線が行く。

「つーか手前、ほんっとに…くせぇ、酒くせぇ」
「このタイミングでそんな事言う?デリカシー無いなぁそんなだからいつまで経っても童貞なんだよシズちゃんは」
「童貞童貞うるせぇよ」
「いいじゃん、本当の事だし」

ちゅっ…と臨也が俺の鼻先に口付ける。
それが何だか、無性に可愛らしく思えてしまった。
憎たらしいその頭を抱き寄せようと、髪に手を絡ませ…そこで、漸く気づいた。

「あ……煙草…」
「え、何もしかして気づいてなかったの?落としてたじゃん、シズちゃん。イッた時にさぁ」
「……くっそ…」

やだ、シズちゃんかわいー、なんてほざく唇を塞ぐ。
俺からキスをされるだなんて思っていなかったのだろう、綺麗な瞳が驚きで見開かれた。
噛み付く様に何度も何度も、角度を変えながら深く貪る。
纏わりつく酒の匂いと、いがいがする妙な苦さ…直ぐに己の精液の味だと気づいたが、無視してそのまま舌を絡めた。
足元に落ちたのだろう煙草から、ほんの微かに立ち上がる白煙が視界の端に映る…恐らく、そろそろ火も消える頃だろう。
背中にぎゅっと、奴の両腕が回された。
心なしかその手の力は、弱い。代わりにこちらが強く、その細い体を抱き寄せてやった。
もっと力を込めれば、恐らくいとも簡単にこいつの体は折れるだろうに。
何故かそんな気は起きなかった。殺したい程嫌っているというのに、不思議だ。

やがて、空気を求める様に喘ぐ奴の唇が離れた。
互いを繋ぐかの如く、糸が伝う。
本当になんとなくだが
唾液に濡れていやらしく光るその唇を、まだ貪り足りない衝動に駆られた。

「っはは……シズちゃんてば、案外キス上手いじゃん…居たんだ?そういう相手」
「…や、別に…」
「まぁどっちでもいいけど、キスが上手くても童貞に変わりはないんだからさ」

くたりと、奴の顔が俺の肩に預けられる。

「…煙草、いつもより長く吸ってたじゃん…いつもはもっと早いうちに捨てるよねぇ」

臨也の表情は見えないが、恐らく笑っているだろう。
くすくすと、綺麗に透き通るがどこか苛立つその声で小さく喉を鳴らした。
足元に視線を移す。煙はもう見えなかった。

「ねぇねぇ…もしシズちゃんが本当はもう少しあの煙草を吸っていたくて、煙草ももう少しその役割を果たしたがっていたのだとして、
 けれどもそれは叶わずあのザマ、冷たいアスファルトに放置されゴミとして処理される運命なんだと思ったらあまりにも哀れだから…」

肩に顔を埋めたまま、臨也はおもむろに服を脱ぎだす。
跨ったままズボンを…下着もだが、よく器用に脱げるもんだと素直に感心した。
俺のものより幾分か細い性器が、今にもはち切れんばかりに充血してそそり立っている。
真っ白な肌にそこだけ赤黒く、やけにグロテスク。
俺の腹に生々しいそれを擦り付けてきた。先走りがぬめり、と着たままのバーテン服を濡らす。

「シズちゃんが新しい煙草を、まるであの無残に落ちている煙草を思い浮かべ慈しむ様に満足行くまで吸い尽くすまでの間だけ
 …今度は、別の方法で可愛がってあげよっか」
いつの間に元気を取り戻したか、立ち上がる俺の性器に奴は尻を摺り寄せる。
柔らかな双丘を撫で、その肉を割る様に性器を…

「あ、でも待った」
「何だよ」
「…いくらシズちゃんが童貞の早漏でも、流石に煙草吸い終わるまでじゃ満足しきれないと思うんだよね。主に俺が」
「誰が早漏だいい加減にしろ酔っ払い」

熱を孕んだそこを、抉じ開ける様に己が突き進む。
本来なら慣らしてやるべきだろうが、憎たらしいこいつならこれぐらい痛めつけても問題ないだろう。

「あぐッ……はは、シズちゃんてば…ケダモノだよ…ンッ!」

ギリと奥歯を噛み締めながら苦痛に耐える奴の表情は、笑っていた。
本当に、笑っていた。
なんだ手前は、そんな顔もするのな。
長い間臨也を見てきて
初めて、こいつがただの人間に見えた。





――田中太郎さんが入室しました――

田中太郎【こんばんわー】
セットン[ばんわー]
田中太郎【あれ、甘楽さんは来てないんですか?】
セットン[みたいですね、大分前に一旦落ちるって言ったきりです]
田中太郎【あ、本当だ…ログ流れてて気づかなかったw】
セットン[人に会いに行くとか何とか言ってましたけど、やけにテンション高かったですね]
田中太郎【うわぁw酔っ払いみたいな絡み方ですねこれw発言数も多いなぁ】

田中太郎【なんでしょうかね、この…宝は持ち腐れちゃいけないって】
セットン[さぁ…]
田中太郎【腐る前にこっちから奪い…まさか甘楽さん、強盗でもするつもりじゃ!?】
セットン[いや流石にそれはないかと…]
田中太郎【ですよね】
セットン[さて、今日はそろそろ落ちますね]
セットン[おやすー]
田中太郎【おやすみなさいー】

――セットンさんが退室しました――

田中太郎【自分も落ちようかな】

――田中太郎さんが退室しました――





五本目の吸殻を足元に落とし、ぐりぐりと踏みつける。
六本目に手を出そうとし、流石にこれ以上は肺に負担がかかる気がして辞めた。
今更そんな事考えても手遅れだとは思うのだが。

「そういや手前、何で今日はこっち来たんだよ」

着乱れたバーテン服のボタンを留めながら、既に身支度を済ませ立ち上がった臨也に目をやる。
腰を摩りながら、奴はゆっくりと振り返った。

「知ってる?宝ってのは手に入れたからと言って、手にした人が必ずしも喜ぶってもんじゃないんだよ」
「は?」
「宝の価値って手に入れる時期やその環境によって変わるんだよね。期待値の方が価値を上回ってたんだよね。あー拍子抜けした」
「何の話だ?」

奴は分かり易い程大きな溜息を吐いて、それはもう不機嫌極まりないと言う様な顔で俺を見下ろした。
まるでさっきの姿は幻だと思った。こういうものなのか。

「あぁでも手放してやる気はさらさら無いんだけど。腐って使えない宝でもさ、使い様によってはまた価値が生まれるとは思わない?」
「…よく分からねぇけど、何となく手前が俺にケチつけてるって事は分かった」
「凄いシズちゃん、理解する脳味噌があったんだね」

ぐいと胸倉を掴まれる
近づいたその顔を見て、やっぱり美形なんだと思った。悪人張りに眼光は鋭いけれど。
もう片方の手が、俺の下半身へと伸ばされた。

「せめて錆び付いたコレ
 俺をちゃんと楽しませられる様にしといてよね…素人童貞シズちゃん」
「ぐあっ…!?」
「じゃ、またねー」

人の性器を思いっきり握り潰したその手をひらひらとさせ、奴は夜の闇に消えていった。
やっぱり臨也は臨也だ、俺の大嫌いな臨也だ。

「あいつ…ぶっ殺す…!!!」

痛みに耐えながら、よろりと立ち上がる。
つい今の今まで座っていた椅子に手をあてた。背もたれがミシリと音を立てる。
今度池袋であいつの姿を見かけたら、それはもう全身全霊でお出迎えしてやろうじゃないか。
心にそう強く誓い、奴が消えた方へと壊れかけの椅子をぶん投げた。




What a waste








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