「あ、そういえば」

いつもの様に取り立て屋としての仕事を全うした、その帰り道。
俺の上司でありそこそこに良き理解者でもあるトムさんが、なんて事ないただ思い出しただけだとでも言う様に。
そう、本当に軽々しく
その言葉を口にした。

「今夜、来るみたいだぞー…折原臨也」
「………は?」

名前を聞いた途端、手に持っていたペットボトルがパァンと弾けた。
飛沫が服に飛び散る
中身が水で良かった、折角弟から貰った服だもんな。
なんて暢気に考えている場合じゃない。

「何であのノミ蟲が…ってか、どうしてその事知ってるんスか!?」
「あーあー落ち着け静雄、な?」

ペットボトルを破裂させたその水浸しの手で、思わず上司の胸倉を掴む。
俺より幾分背の低い彼は、爪先立ちになりながらも冷静に俺を宥めた。
いくら怒りに任せたとはいえ上司だ
流石にまずいと気付き、掴みかかる手を離す。
はぁ、と盛大な溜息を吐いて彼は襟元を直していた。

「噂っちゅーかなんちゅーか…お前が二件前の店でソファぶん投げたりしてた時、まぁ耳にしてな」
「………」
「まぁそういう仕事が関係してるんだろ、こっちまで来てちょっかいかけてくるとは限らないけどよ」
「……っス」
「それでもお前には、気に食わないんだろうけどさ」

少し上目で俺を見やるその目はまるで
”どうせお前は、自分から会いに行くんだろ”
とでも言いた気で。
不愉快だが、言葉に詰まる。少々語弊はあるがそれは事実なのだ、困った事に。
全て見透かされている、ああくそ、敵わない。
歯軋りをする俺に、呆れた様な甘やかす様な笑顔を向けて彼はハンカチを寄越した。
簡素な模様の、妙に皺のよった薄い布ではあるが。

「ま、とりあえず服でも拭いとけ。そんで戻ったらドライヤーな」
「………どうも」





「どうもー、やっぱり来たねぇシズちゃんこんばんは、夜なのに君すっごくテンション上がっちゃってるんじゃない?」
「いーざーやーくーん!どーうして手前は毎度毎度俺を怒らせんだぁ!?」
「おっと誤解ごかーい、今日は純粋に仕事で来たんだよ?まぁ予定より早く片付いちゃって時間を持て余した感は否めないんだけど」

大通りから一本入った路地で、それはもういつもの様に俺と臨也は対峙していた。
夜とはいえまだ早い時間、辺りには会社帰りのサラリーマンから屯する若者、夕飯にでも来たのだろう家族連れが闊歩している。
しかし彼らはまるでそれが決まりだとでも言う様に、俺たちには一切目を向けずにいた。
まぁそうだわな、ナイフを巧みに指先で弄ぶ男と今正に引っこ抜いたばかりの標識を構える男なんかと視線を合わせた日には
間違いなく、その身に危険が降りかからない筈もないからな。
大衆の判断は至って正常だ。
人の海の中、ぽっかり浮かぶ離れ小島の様な俺たち。臨也が僅かにその間合いを詰めた。

「最近シズちゃんの顔見てなかったからさ、もしかして何処の誰とも知らない奴に殺されちゃってるんじゃないかと気になって。
 あぁ別に寂しいとかそんなんじゃないから。純粋に君の生死が知りたかっただけ。で、今そうやって元気にしてる姿を見て安心したよ。
 最初から分かってたけどね、君ってそんな簡単に死ねる程ヤワじゃないし。
 ああ安心したっていうのはさ、張り合う相手が居ないとつまらないじゃない?そういう意味であって」
「何が張り合うだぁ!?手前はおちょくってるだけだろーが!」
「やだなぁ人聞きの悪い」

掴んでいた標識にピシリとヒビが入る。臨也は更に一歩、間合いを詰めた。

「少なくとも俺はね、君とこうやってやり合う時間が嫌いじゃないんだ。
 俺はシズちゃんの事が大嫌いで、シズちゃんも俺の事が大嫌い。大嫌い同士なのにさ、交わされるやり取りは嫌いじゃない。
 なんだか滑稽だよねぇ…」

「ね、シズちゃんだって本当は同じなんじゃないの?じゃなきゃ今こうやって向き合ってないでしょ。
 君さぁ俺を見つけた時、いっつもどんな顔してるのか自分で分かってる?

 目がさぁ、凄く嬉しそうなの」

ヒュッ と空気を斬る様に
憎たらしく微笑むその顔目掛けて標識を投げつけた。
妙なステップを踏みながら、奴は軽やかに避ける。着地地点は先程よりも近づいていた。
音を立てて地面にめり込んだ標識を見て、流石の一般人も何事かとこちらに視線を寄越す。
俺はただひたすらに臨也だけを睨み付けた。

「大嫌いだよ、シズちゃん」
「…あぁ、俺もだ」
「だからこれからも末永くさ、俺の事殺しに来てよ」
「…面倒くせぇよ、いい加減ここらで死んどけ」

拳にぐっと力を込める。奴はしっかりナイフを握り、その切っ先を俺に向けた。





「…んで、長時間に渡る死闘の末投げつけた自販機が地面にめり込んで、埋まってた水道管破裂させてそのザマってか」
「…………っス」

頭から爪先まで全身を水浸しにしながら、俺は事務所の入り口に立つ。
どのタイミングで脱げたか、片方の革靴はその足に収まっては居なかった。
通りで歩き難かった筈だ
剥き出しの靴下は砂利にまみれている。濡れている所為で感触が気持ち悪い。

「結局その騒ぎで…あいつには逃げられるし…」

遠くでサイレンの音がする。
そういやあの場所、露西亜寿司の近くじゃなかったか。サイモンには後で謝っておこう。
水滴の所為で見えにくいサングラスを外し、胸ポケットにしまった。
まるで濡れ鼠の様な俺の姿に、トムさんはそれはもう分かり易い程大きな溜息をつく。
そして視線は俺の頭の上へ。訝しげに見つめながら指差す。

「ところでさ静雄…頭の上、なんだそれ。ハンカチか?」
「あぁ…これは、その」

湿った布を摘む。
真っ黒で薄く、だがどこか肌触りの良い布だ。ハンカチというには余りにもサイズが小さい。
破裂した水道管から溢れる水が、俺に容赦なく襲い掛かった。
水圧に押し潰されそうになりながら地べたを這う、臨也は遠くでその様を見てケラケラ笑った。
びしょびしょで重くなった服を纏い、のそりと立ち上がった俺に近づいた臨也は
…ひらりと、俺の頭の上に何かを落とした。精々これでも使いなよとか何とか言いながら。
何だこれはと聞く前に、臨也はとっととその場を退散してしまったのだが。
そしてその時落とされた何かが、この布である。

「んー……眼鏡拭きか?これ」
「しかも汚れてるんスけど、吸収性悪いし」
「意味無いな…とりあえず中入って服乾かせ、そうだカップ麺食うか?」
「…はい」

片方だけ履いたままの革靴を脱ぎ捨てる。そのまま纏わり付く靴下も一気に脱いだ。
ぺたぺたと裸足で部屋へ入る。俺が通った後には、小さい水溜りがいくつも出来ていた。

”どうせお前は、自分から会いに行くんだろ”
”君さぁ俺を見つけた時、いっつもどんな顔してるのか自分で分かってる?”

シャツの袖を捲った。
固形の石鹸を泡立て、眼鏡拭きをぐしゃぐしゃ揉み込む。おいなんか泡が黒いんだが。
色落ちだなそりゃ、とトムさんが笑う。どうせあのノミ蟲のモノだ、構わない。
濯いだ布をパンッと叩く。力の加減がいまいち分からないが、要するに皺が伸びればいいんだこんなもん。
昼間トムさんに借りたハンカチの隣に、眼鏡拭きをかける。
ああ面倒臭い、返すためにはまたあいつに会わなきゃじゃないか。

…それが嫌じゃないってのが、一番面倒なんだけれども。




今(すぐじゃないけど)、会いに行きます
「…あれ?あれ…?ねーセルティー」
『どうした新羅』
「いや、眼鏡拭きが見当たらなくて…」
『…もしかして、今日あいつが来た時にナイフを拭いてた、あれの事か?』
「えっ」








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