あったかもしれない誕生日のはなし



土砂降りの雨だった。
折角早くに仕事を上がったってちっとも嬉しくない、雨なんて早く止んでしまえばいいのに。スーツの裾を濃く濡らしながらビニール傘片手に帰宅する。
途中、惣菜屋の看板が目に留まる。雨天限定のコロッケ、数量に限りがあるらしいがどうも食指が動かない。
ジュネスにでも寄って帰るか、ああでも面倒くさいな。昨日見た限りでは冷蔵庫にいくつかの食材が残ってたし、最悪お米とキャベツだけでいいや。
物臭な考えのままびちゃびちゃの路面にたまった水を踏みつける。泥が跳ねたって気にならなかった、いつの間にか横殴りに変わっている雨でひどく体が冷たい。
だらだらと曲がった角の先にあるのはもう僕のアパートだ。

「……あれ」

アパートの下、電柱に寄り添うように人影が見えた。暗いせいか判別はつかない、シルエットから察するに男だろうか。
近づくとそいつは学生服を着ていた、見覚えのある独特のラインが入った制服の男はこちらに気づいたのか、あ、と小さく声を上げる。

「こんばんは足立さん」
「……どうして居んのさ」

色の濃い傘の下、覗く顔はよく知っている人物のそれだった。
さらりと綺麗な銀髪を揺らして少年はこちらに向かって歩いてくる。その手にはスーパーの袋、さっき行くか迷ったけれど行かずして正解だったか、と思う。

「足立さん、今日は早上がりだって聞いたから。夕飯作らせてくれませんか」
「なに、君押しかけ女房?」
「ははは、とりあえず寒いし部屋に上げてください」

先導するように少年は僕の部屋へと向かう。こっちが追い返さないって確信してる口ぶりだよなぁ、その通りだけど。
がちゃりと開けたドアの向こうは乱雑な一人暮らしの男の部屋そのもので、少年は一瞬顔をしかめたが「まあ予想はしてました」なんて涼しく笑った。
だろうね、この汚い部屋に君が来たのはもう何度目だろうか。決して回数は多くないし最近すっかり顔を見せていなかったけれどもいい加減この乱雑ぶりを覚えるほどにはやって来る。
少年――月森くんと親密になってもう数ヶ月が経つ。きっかけも経緯も覚えていない、気づけばそういう仲になっていた。
男同士だとか互いの立場だとか、僕にとってはどうでもよくて。
いい子ちゃんの月森くんは気にするべきだと思うんだけど、彼の中でも特別視する問題ではなかったようでなあなあな関係に至っている。
時々こうして俺の部屋に来ては気まぐれに料理を作ったりなんだり。
僕のために甲斐甲斐しいね、初めて彼がやってきた日そんな事を告げれば月森くんが、気兼ねなく料理の練習がしたいだけです、と憎たらしいほどの笑顔で返してきたのを多分この先も忘れない。
可愛くないんだよ、こいつは。
部屋の暖房を点けて、濡れた服を適当に脱衣所に放る。くたびれたジャージに身を包んで部屋に戻れば台所では月森くんが袋から出した食材を台へと並べていた。
相変わらず涼しい顔、お綺麗な顔。いつもつるんでる女の子はもちろん他の女子達にだってキャーキャー言われてるこいつが、一体どうして僕と一緒になったのか。
不思議で仕方ないその疑問は一度たりとも口に出した試しはなかった。
冷蔵庫からビールを取り出してソファに腰掛けると月森くんは、食事前だから飲みすぎないで下さいよ、と声だけをこっちに向けてたしなめる。
うるさい、僕の部屋で何をしようが僕の勝手でしょ。かちんと高くプルトップが鳴る、開けた缶ビールはわずかにしゅわしゅわと音を立てた。
左手でテレビのリモコンを弄りながら一口仰ぐと、なんとも言えない苦味と弾ける感覚が喉を伝った。
あー最高、この一杯がなきゃ一日中クソ面倒な仕事なんてやってられない。
たまたま回したチャンネルは流行りのアイドルに密着取材、なんてくだらない内容をだらだらと流している。
私、実は料理得意なんです、なんてフライパン片手に笑う若い女性アイドル。間違いなく彼氏と同棲してるね、じゃなきゃ若い子が料理得意とかありえねー。
うがった見方ですね、とまた声が飛んでくる。うるさい、二口目を仰ぎながら台所へ目を向ければいつだったか自分用にと彼が持参した黒のエプロンを身につけて、手馴れた様子で包丁を握る姿が目に映った。
やけに、というより嫌なほど似合うエプロン姿に思わずおかしくなった。

「ねー、今日のメニュー何?」
「さぁ?当ててみて下さい」
「君って時々面倒くさいよね」

ふんふんと鼻歌なんて歌い始める少年はえらくご機嫌だ。
缶ビールをテーブルに置いて立ち上がる、そろりと彼の背後に立てば覗き込んだボールの中には色とりどりの野菜が切り並べられていた。
なにこの量、パーティーでもするつもり?けたけた笑うと彼はそうだよと同じように笑った。

「足立さん、ちょっと前に誕生日だったっておじさんから聞いたんで」
「あー……そういうこと」

この年になってまで祝われたってさして嬉しくもないけれど。
世間的に恋人にあたる彼がわざわざ誕生日を祝いに来てくれたというのは中々喜ばしいことじゃないか。
可愛いとこあるじゃん、背後から抱きしめると見た目よりずっと細い体はびくりと揺れた。

「……包丁、持ってるんで」
「ごめんごめん」

刺されちゃたまったもんじゃないね、そそくさとソファへ戻る。テレビの中では相変わらずアイドルが笑顔を浮かべ歌っていた。
あなたになんでもしてあげたいの!献身的な歌詞は一方的な押し付けがましさを感じさせる、けれども惚れた身からすりゃ嬉しさでどうにかなっちゃうんだろうな。
一方的に押しかけて料理を作ってくれる恋人、押し付けがましいけれど嫌いじゃない。
欲を言えばこれがあのアイドルみたいに若くて可愛い女の子だったらなんてこっそり思いながら缶ビールを仰いだ。




「あー食べた食べた、ごちそうさま」

膨れた腹をさすりながらソファに寝そべればいつの間に沸かしていたのか月森くんがお茶を淹れてくれる。
いいね、甲斐甲斐しくて至れり尽くせり。

「寝ると太りますよ、もう若くないんだから」
「うるさいよ、自分がまだ若いからって調子に乗ってさぁ」

手渡されたお茶を一口すする、あったかい。
彼も同じようにお茶をすすると何かを思い出したようにすくと立ち上がり脱衣所へ消えた。
ごそごそ音がする、しばらくしてハンガーに掛けられたスーツ片手に彼が顔を覗かせる。

「これ、風呂場に掛けておきますよ」
「あー忘れてた、ありがと」

脱ぎ捨てた服を掛けておいてくれる、本当献身的だ。
毎日こうやって君があれこれ世話焼いてくれりゃ楽なのになぁ、もううちに住めばいいよ。
冗談交じりに笑ったが彼は眉根を寄せるだけだった。
春が来る前にはこの街を離れると、そういえば以前聞いた記憶がある。
曖昧に付き合いだした僕たち、終わりについては一度も話したことなんてないけれど恐らく春の前に、別れるだろう。
彼がこうして誕生日を祝ってくれるのなんて、今年が最初で最後なのか。
改めて考えるとそれは少し寂しくて、黙り込んだ僕の顔を見やる彼もきっと同じようなことを考えているのだろう表情のない瞳を揺らしていた。
外は暗い、雨は相変わらず激しいままだった。

「ねえ、今夜は何時に帰るの」
「……あと一時間くらい」
「どうせ雨、止まないよ。朝まで雨宿りしていけば」
「でも……っ」

狭いワンルーム、少し手を伸ばせば簡単に君を捕まえられる。
強引に引いた腕は白く細い、それは僕の手のひらにしっくりと馴染んでいた。
つい今さっきまで寝転がっていたそこへと彼の体を押し付ける。組み敷いてみればなるほどまだ少年らしさの残る体で、乱れた前髪の間から覗くおでこが少しだけ愛しかった。

「僕、料理だけじゃ満足できないんだよね。プレゼントちょうだいよ」
「……おっさんみたい」
「そりゃ君より年上だもん」

生意気な唇を強引に塞ぐ。
ん、と小さく身じろぎしたきり彼はすっかり大人しくなってしまった。

悪戯に絡めた指をきゅっと握り返す仕草を合意とみなして、華奢な体を好きなように暴く。
今までだって何度か体を繋げた事はあったけれど、たぶん今日ほど彼の涙を見た日はない。
痛いの、訊ねれば息も絶え絶えに彼は、そうかもね、なんて笑った。
こんな顔、春にはもう見られなくなるんだなぁ。急に襲い来る感傷、抱き寄せた腰はあまりにも細くて、けれども手加減なんて出来なかった。
このままずっと雨が止まなきゃいいのに。ぽつりと零した呟きは甘い唇に解けて消えた。


END.







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