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狡猾な魔法使い

 その少女を見つけたのは偶然であった。珍しい鉱石が取れるという炭鉱を視察し、学園で必要になるであろう数を仕入れることに成功してほんの僅かに気分が高揚していた。浮き足立ちそうになりながら、魔法ではなく帰り道を徒歩で歩いている時のことであった。鬱蒼と茂る森を通ったのは森林浴がストレスに効くと本で読んだからである。そんな森の中、童話であれば美しいプリンセスが小動物と会話をしていそうなそんな空間に少女はいた。大人と少女の境目にいるような、そんな不思議な女の子が森の中を悠然と立っていた。こんな森の中で迷子だろうか。だとしたらいけない。紳士たるNRCの学園長であるクロウリーは貼り付けたような笑みを浮かべて彼女へと声を掛ける。なにしろ彼はとてつもなく優しいからだ。

「こんにちは。お嬢さん。こんなところでどうしましたか?」
「……? ーーーーっ、ーーーー?」

 彼女はぱくぱくと言葉を吐き出すがクロウリーには何を言っているのかちっともわからなかった。異国のから迷い込んできたのだろうか。それにしたって言葉ひとつわからないというのは腑に落ちない。ふむ、と考え込むように顎に手を添える。彼女は困ったようにしながらも言葉を吐き出し続けた。そして幾度かそれを繰り返すと聞き慣れた言葉が鼓膜を揺らしたのだ。

「なら、これは。これは伝わるのかしら。素敵な人」

 美しい声音が響いた。彼女の亜麻色の髪が一瞬光り輝いて見える。ほうと感嘆の吐息を零すと共に彼女の体から溢れるとてつもない魔力をそのときに感じたのだ。何故、今まで気付かなかったのだろうかと訝しんでしまうほどの強大な魔力だ。

「ええ。伝わりましたよ。お嬢さん」
「……そう、よかった」

 言葉が伝わらない恐怖が引いたのだろう。少しだけ緊張がほぐれた様子の少女は真っ直ぐとクロウリーの顔を見つめた。

「こんな森の外れでどうしましたか? お家の方が心配しているのではありませんか?」
「……わたしなぜ、こんなところにいるのか全くわからないの」

 気が付いたらここに立っていた。ここは一体何処なのでしょう。まあるい瞳が大きく揺れる。不安げな少女の様子にクロウリーはあることを思い付いた。清らかな少女の髪には魔力が秘められている。そしてその髪にはとてつもない価値があるということを。出自がわからない少女を保護してその代償に彼女の髪をほんの僅かに分けて与えて貰う。これはとても良い案に思えた。無償の優しさはほんの僅かに少女に罪悪感を齎してしまうかもしれない。けれど代わりに対価を払えばそんな考えは露ほどにもなくなってしまうだろう。けれど本当に出自がわからないかどうかを判別しなければいけない。気落ちをする少女を励ますように肩に手を触れる。紳士たる自然な振る舞いで。

「ああ。それはとても不安ですね。こんなところでいたいけなお嬢さんが迷子だなんて、私とっても胸が痛くなってしまいます」

 彼をよく知る者にはその台詞は白々しいと聞こえるかも知れない。けれどその言葉には慈愛と優しさが満ちていた。隠し切れない胡散臭さもあったが、少女はその言葉に安堵を覚えたようだ。その僅かな隙を塗って彼は少女の内面を読み取る。ざっと簡単に見れる範囲のことでわかるのは、彼女の言葉は本当で自分の両親のことや、まして自分のことすらよくわからないらしい。ああ、なんて可哀想だろう。歴史ある学び舎の長として、この可哀想な未来ある子供を助けなければーーーー。

「こんなことを言うのはとても失礼だと十分に承知しています。けれど、どうか、わたしを助けてはくれないでしょうか?」
「ええ。わかりました。私は優しいですので、困っている貴女を助けてあげましょう」

 なにせ、私はとっても優しいので。そう呟くクロウリーを見て少女は安心したように頬を緩ませた。未来ある若人を助け、そして学園の為に貴重な材料も得ることが出来る。ああ、なんて素晴らしいことだろう。そうと決まれば早く彼女の部屋を作らなくては。優しく真綿で包み込むように彼女を囲う箱庭を。
 それからはトントン拍子に話が進んだ。学園長室からでしか行けない秘密の場所に彼女を囲う部屋を作った。最初に作ったのは年頃の少女が好むような可愛らしい部屋だったのだが、彼女は少し笑って「落ち着かないわ」。と零すのでシンプルなものへと変更した。指先一つで部屋の造形を変えると彼女は無邪気にすごいすごいと驚きに満ちた表情を浮かべたのだ。しかし、クロウリーにも大人の意地というものがあるので部屋の造り自体はシンプルでも細かな装飾や家具はそれなりの良いものを用意した。若いうちから良い者に触れるのは良いことであるし、いたいけな少女に不便な暮らしをさせるのは保護者としては無責任だからだ。「大きな本棚が欲しいの」。彼女が望んだことはそれだけであった。たくさんの本に触れたいと零した少女にクロウリーは甚く感銘を受けた。そういうことならばと彼は魔法でありとあらゆるジャンルの本を詰め込んだ。魔法を見るたびに彼女は瞳を輝かせて「凄いのね。貴方に出来ないことなんてあるの?」。なんて尋ねてきた。ここ何十年味わっていない子供の素直さを真近に感じたクロウリーはNRCの生徒に見習わせたいほどだと、彼女の亜麻色の髪を撫でた。

「私は優秀ですが、それでも出来ないこともありますよ」
「たとえば?」
「そうですねえ。生徒達にはいつも手を焼いています」
「先生も大変なのね」

 道すがらクロウリーは学園のことや自分のことを話した。彼女は楽しそうに目を輝かせて興味深そうに続きを強請っていた。しかし、これだけ膨大な魔力を要しながらNRCのことを知らないのはおかしなことだ。少女の背景にはなにか仄暗いものがあるのではないか、と危惧しながらも身近に置いてしまえばその不安も消えるだろうと思った。少女に不便のない生活を提供するのを約束し、その対価に髪を貰うことを約束させた。また、クロウリーに保護されなければその魔力欲しさにどんな危険な目に会うかわからないことも言い含めた。誇張気味に話した気がしなくもないが、全ての人が人道的なわけではない。くれぐれもクロウリーの傍から離れないようにと強めに言えば彼女は肩を揺らした。脅かせすぎただろうかと思ったが何事も最初が肝心である。

「ええ。わかりました。貴方の傍が一番な安全なのはよくわかるもの」

 雛鳥が最初に見たものを親だと思うように、少女もまた最初に優しくしてくれた人を無条件で安全だと信じてしまった。もちろん、それは間違いではないが、正解でもなかった。

「ねえ。クロウリー。わたしに名前をつけてくださらない?」

 自分の名前さえわからないの。と困ったように笑った少女はなんてことのないように言う。クロウリーは花瓶に活けた花を見てその名を呼んだ。彼女は何度か口に溢せば馴染んだのか頬を赤く染めてお礼と共に抱擁をしてきた。少しお転婆なのは気を許した証拠なのだろうか。どちらにしろクロウリーは仮面越しに笑みを浮かべて、その亜麻色の髪を優しく撫でた。彼女の為の箱庭がここに完成したのだった。


 窓のない白い部屋。天蓋付きのベッドはお姫様の気分を味わわせてくれるようにふかふかで、いつだってお日様のいい匂いがしている。本で埋まった本棚と簡素なテーブルにはインクと羊皮紙が几帳面に置かれている。アンティーク調の部屋に合わせた花瓶にはいつも綺麗な花が咲き乱れていて、それに鼻を寄せれば知らない甘い匂いが肺を満たした。

「おや、起きていましたか」

 白々しい言葉が聞こえる。知っていた癖に。なんて言葉を飲み込んでいつものように笑みを浮かべる。

「おはよう。先生」
「私は貴女の先生ではありませんよ」
「あら。だって、あなたは学園長ではなかったの?」
「私はNRC生の学園長で、貴女の学園長ではありませんよ」

 同じ言葉を二回繰り返す。少しムキになったような声音にくすりと笑ってしまう。名前を呼んで欲しいならそう言えばいいのに。上に立つことに慣れた彼は正直に言葉を吐き出すことが苦手なようだ。

「拗ねないでくださいな。クロウリー。ほら、コーヒーでも淹れましょう」
「拗ねていませんよ。ああ、でもコーヒーは私が用意しましょう。なにせ、私は優しいので」

 明らかに嬉しさに満ちた抑揚でキッチンに向かう。その後ろ姿は天使がダンスをしながら楽器を演奏してしまいそうなほどだ。少しばかり扱い易いのではないだろうか。なんて思わないこともない。高貴と胡散臭さと仄暗い狂気。彼を形成するにおいでこの部屋は満ちている。

「私はこれから仕事をしなければいけないので、貴女は今日もお利口にしているのですよ」
「わたしはいつだって行儀良くしているつもりなのに。意地悪なことをおっしゃるのね」

 少し頬を膨らませれば彼は慌てたように声が上擦る。身振り手振りで何かを伝えるのは中々に愉快である。本心では微塵も焦ってなんかいないのにね。

「ああ、そんなつもりで言ったわけではないのですよ」
「ふふ。知っているわ。少し揶揄いたかったの。だってあなたったら昨日わたしに会いに来てくれなかったでしょう?」

 夜にはおやすみを言ってくださらないとわたしは寂しくてどうにかなってしまいそう。演技掛かった泣き声でそう上目遣いをすれば彼はわたしの頭を優しく撫でた。低い体温が心地良く感じるのと同時に彼の思っていることが否応無くわかってしまう。

「貴女がそんなに寂しがり屋さんだったとは。寂しい思いをさせてしまいましたね。今夜は必ず会いに来ましょう。だから機嫌を直してくれませんか?」
「約束してくださいますか?」
「ええ。私は紳士ですので約束を違えることはしませんよ。私を許してくれませんか、淑女レディ

 流れるようにわたしの前に傅いて右手の甲に口付けを落とす。唇が触れた箇所が熱くて溶けてしまいそうだ。

「必ず会いに来てくださいな。わたしもう寂しくて死んでしまいそうになるのは御免よ」

 微笑みを向ければ仮面越しに視線が交わる。仮面の下で目が細くなるのがありありと読み取れた。唇が弧を描くのと同時に彼は安堵したようによかったと言葉を漏らすとわざとらしく立ち上がった。

「ああ! もうこんな時間だなんて、すみません。そろそろ仕事に向かわないといけません」
「いってらっしゃい。励んでくださいませ」

 髪を一房指で触れられる。慈しむような手つきのそれを眺めているといつものアレが鼓膜を震わせた。

「何か欲しいものはありますか?」

 はた、と口から紡ぎそうになる言葉を噛み殺し、無垢な少女のようにわたしは少しだけ首を傾げながら彼が望む回答をするのだ。

「本が欲しいの。ここにあるのは全て読んでしまったから」
「なんて優秀なんでしょう。我が校の生徒にも見習ってもらいたいものですねぇ。わかりました。では用意しておきます」

 指をぱちりと鳴らすと本棚の本が動き出す。彼は独り言のように「貴女の好きそうな童話や小説と、ああ。最近流行りのものも入れておきましょう」。と呟けば本棚の中身は一新された。古めかしい蔵書から新しいコミックまで。

「では、また夜に。私に可愛い顔を見せてくださいね」

 彼はあっという間に姿を消してしまった。羽の一つも残していってくれないのだから寂しいものだわ、なんて思ってもみないことを口走る。少しだけ溜飲が下がったようだ。

「あなたが用意してくれるコーヒーがひとつしかないのはわざとなのかしらね」

 湯気が立ったコーヒーを見ながら溜息を零した。見知らぬこの世界に降り立ってもう一年が過ぎようとしている。



 わたしは魔女である。御伽噺に出てくる杖を振ればかぼちゃが馬車になり、ネズミが召使いになる、あの魔女である。わたしはこの世界とは違う世界からやってきた。魔法が確立しているのは同じだけれど、それ以外は全く違う。魔法の理ですら根本的に違っているのだから正に異世界というやつだろう。散歩気分で違う世界を渡り歩いて、飽きたらまた違う世界へと飛び立つ。幼い子供がおもちゃ箱から次々と玩具を選び出すようにわたしもそうやって日々を過ごしてきた。そして彼に出会って拾われた。一目惚れだった。烏に似せたマスクとその派手な装飾。ふわふわの羽根は全てが綺麗に煌めいていてなによりあの無機質な瞳が心臓に刺さった。無感情に無感動に、きっと彼は指先一つで心を伴わずに全てを決めてしまえる人間なのだろう。優しさを売りにしてその実全くそんなことを思っていないのに、それにすら気付いていない人間なのだろう。あの無機質な瞳がわたしの本性を見抜いたら一体どんな表情を浮かべるのだろうか。驚くだろうか、嘆くだろうか、喜ぶだろうか、蔑むだろうか。きっとどんな感情ですらわたしの望むものにしかなり得ないだろう。可哀想な少女を庇護下に置く彼の姿が思いのほか面白くて、無垢な少女を演じ続けている。魔女とは気まぐれな生き物だ。さっきまで好きだったものが次の瞬間にはどうでもよくなり、その逆もまた然り。魔法を使って言語を探ればあとは赤子の手を捻るよりも簡単だ。千年を生きた魔女はこうして、魔法使いの箱庭に自ら飛び込んでいったのだった。
 クロウリーが用意した書物は興味深かった。生活の基盤が違えばそこに根付く文化も違う。新鮮さに溢れる情報の数々はわたしから退屈という文字を忘れさせた。なにせ魔女は退屈を嫌う。グレートセブンと呼ばれる偉大なる存在の伝説については殊更に興味を惹かれた。何度読んだかわからないその厚い書物は本棚ではなく机の上にいつも置かれていた。本棚のラインナップは望めばクロウリーがいつも変えてくれるからだ。鬱陶しくなってきた長い髪をひとつに纏める。夜はすぐそこまで迫っていた。

「こんばんは。遅くなってすみません」
「ほんとうよ。眠ってしまうところだったわ」

 夜も更けた頃に彼はひっそりと部屋の中に降り立った。申し訳なさそうに仮面の下で目を細める姿にベッドに座ったまま頬を膨らませてそっぽを向いた。寂しさなんて微塵も感じてはいないが、こうすると彼は面白く慌ててあれやこれやとご機嫌を取ってくる。拾ったばかりの頃はもっと手厚く扱ってくれたのにここ最近はぞんざいに放っておかれている。それが手が掛からないと信頼されているのか、居場所がここしかないのだからと傲慢にも胡座をかいているのかは知らないけれど、やはり構って貰わなければつまらない。

「ああ、ほら! 貴女に美味しそうなケーキを買ってきたんですよ。朝一番に並ばないと手に入らないと謳われている超有名店のスイーツ。さあ、明日のおやつにでも食べてください」

 宙から白い箱が現れたと思ったら彼は早口で中身を見せてくれる。真っ赤に熟れた美味しそうな苺が並べられた見た目も美しいケーキ。ベッドから立ち上がると真白いレースがあしらわれた肌触りのよいネグリジェの裾が揺れる。面白いことを考えた。

「クロウリーが来てくださらないから、わたし悪い子になってしまったの。だからそれ、今食べさせてくださいません?」

 自分が他人にどう移るかなんてとっくのとうに熟知している。無垢な少女を装って上目遣いでほんの少し熱っぽく瞳を潤ませれば彼から吐息混じりの声が微かに漏れ出た。

「……仕方がありませんねぇ。私優しいので今日は特別にですよ。食べたらきちんと歯磨きをするように」
「ええ。もちろんよ。約束するわ」

 彼が言葉を紡ぐ前にベッドへと座る。少しだけ困った表情を浮かべ溜息を零しながら渋々と彼も隣にへと座り、ケーキの入った箱をサイドテーブルへと置いた。

「ベッドで食べるなんてお行儀の悪い子です。私そんなことを許した覚えはないのですが」
「だって今は悪い子だもの、わたし。それにパジャマパーティーみたいでわくわくするわ」
「全く。今日だけですからね」

 困ったさんなんですから。彼は笑みを零しながら魔法でケーキを切り分け、皿の上に乗せた。フォークを乗せたそれを渡す前に、にっこりと笑みを浮かべる。

「わたしに食べさせてくださるのでしょう?」

 やれやれと肩を竦めた彼は長い爪で器用にフォークを使い一口サイズのケーキを口元へと運んだ。

「手ずから食べさせてあげるなんて、私どれだけ優しいのでしょうか。ほら零さないようにお食べなさい」
「あーん」

 ぱくり。生クリームの甘さとスポンジの柔らかさ、そしてなにより苺の程よい酸味の甘さがマッチしたまさに絶品のケーキであった。

「おいしい。とても、おいしい」
「それはよかった。朝から並んだ甲斐があるというものです」
「ほんとうに?」
「ええ。勿論ですよ。大人のコネなんか使ってませんよ。ええ、私は善良な紳士ですから」

 クロウリーがケーキを買うために奔走したかは定かではないが瑣末な問題だ。今、こうしてわたしに会いに来ている。それだけでとりあえずは満足、ということにしておこう。

「髪が随分と伸びてきましたね。そろそろまた切りましょうか」
「切る前にまた髪を梳かしてくださらない? わたし、あなたに髪を触ってもらうのとても心地が良いの」
「それくらいでしたらいつでも。……ああ、また貴女はクリームが口元についてますよ」

 ハンカチで唇を拭われる。肌を掠める爪は鋭利で冷たい。けれど触れた箇所は仄かに熱を灯していく。

「全く。本当に貴女は困った淑女レディですね」

 仮面の下で笑う貴方がいつかわたしで満たされたらいいとそう願う。朝のコーヒーが一つから二つへと変わるその日まで。わたしが望まなくてもあなたが会いに来てくれるその日まで。あなたの名前を呼ぶのを許されるその日まで。あなたがわたしなしで生きていけなくなるその日まで。わたしは無垢な少女を装ってあなたを欺き楽しむことに決めたのだ。

「だってわたしあなたがいないとだめなんだもん」

 ーーーーだって、退屈なのは面白くないでしょう。