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1

 その日は非番だった。立会人という性質上休みなんてものはあってないようなものだが、その日は珍しく丸一日休みだったのだ。ここのところ立会い続きで疲れた体をリフレッシュする意味を込めてわざといつも通り早起きをした。普段とは違うメイクに新しく買ったものの陽の目を見ることのなかったワンピースに袖を通す。お気に入りのブランドの新作は緩やかに私の気分を高揚させた。上から下まできっちりとコーディネートをして気分転換の買い物に出掛けようと一軍の靴を取り出せば、それだけで途方も無い多幸感に包まれていく。賭郎専用の携帯をいつもの癖で鞄に入れ出掛けるのだが、後の私はこの時に携帯を家に忘れてしまえばよかった、と後悔することになるのだった。

「みょうじです。ここを通してください」
「え、あ、っはい! どうぞ」
「どうも」

 アパレルショップを覗いている時に一本の電話が掛かってきた。鞄を漁ればそれは万が一と持ってきていた賭郎専用携帯の着信であった。能輪と表示された画面に嫌な予感を覚えながら電話をとれば立会の依頼であった。予定してた立会人が突然来れなくなり、現場に一番近いのが私だったという。家に忘れてくればよかったと本気で思いながらも反抗心を隠しながら言葉を続けた。

「大変申し訳ないのですが、今出先でして着替えを持っておりません」
「そんなもの用意しておく。さっさと行ってこんか」
「……承知しました」

 壱號様の命令は絶対である。手にしたショップバッグをどうしようかと悩んだが時間までそうない。舌打ちしたいのを堪えてタクシーを捕まえて目的の場所まで向かったというわけだ。まあどちらにしても体内に発信機があるので無駄な抵抗ではあるのだが。せめて立会が興が乗るものであればいいと願いながら出入り口を見回る黒服を通りすがる。黒服しかいない中に私服の自分が混ざるのはなんとも居心地が悪いが仕方がない。なんたって壱號様のご命令なので。

「おや、みょうじ立会人」
「門倉立会人」

 最近弐號へと大躍進した門倉立会人は以前と纏う空気が違っている。とはいっても彼とは拾陸號からの馴染みである。良くも悪くも個性豊かな賭郎の中では割と気が合う人間を見つけて私は少し安堵した。

「今日は非番だったのでは?」
「緊急招集というやつです。お陰様で着替える暇もなく」
「それはそれは。お相手はさぞ可哀想なことでしょう」
「別にデートとかじゃないですよ。一人寂しく買物です」

 不敵な笑みを浮かべる彼は手に持っていた紙袋を渡してくる。「能輪立会人からですよ」。と渡されたそれはスーツであった。わざわざ立会人自ら渡してくれなくてもそのへんの黒服にでも渡しておけばいいのにと、若干の罪悪感を募らせるも彼は不敵な笑みを浮かべたままであった。

「着替える場所ってあります? なかったら門倉立会人が目隠しになって欲しいんですけど」
「仮にも女性なんですから少しは頓着した方がいいですよ。空き部屋がありますのでそちらをどうぞ」

 呆れた顔で部屋を指差す彼にお辞儀をする。こんなほぼ男しかいないところで仕事をしているのだから、女としての自覚なんてあってないようなものである。

「ところでみょうじさん」
「……なんですか?」
「そのワンピースとても似合っていますよ」
「あ、ありがとうございます……?」

 褒め言葉が少しばかりむず痒く感じた。



 立会いは至ってスムーズに進んだ。一点問題があったとすれば私が立会いを任された会員がやけを起こして相手に暴力を振るおうとしたくらいだ。負けたのだから潔く認めればいいのに、とその生き汚なさに辟易しながらいつも通りに足を使う。普段と違うのはその足元が革靴でなくピンヒールだったということだ。難なく足蹴りにされ宙に飛んだ会員を眺めながらポキっと鳴る音がやけに鼓膜に響く。軸足に力を入れすぎたのか、ピンヒールがぽきっと根元から折れてしまったようで、バランスを崩す。とは言っても問題なく立てるのだが、いつのまにか傍らにいた門倉立会人に腰を支えられてしまう。

「大丈夫ですか?」
「……面目ないです。お手を煩わせてしまって」

 手を離すように視線を合わせるが彼の手は依然として腰に添えられたままだ。むず痒い感情を誤魔化すように僅かに乱れた髪を耳にかける。部下である黒服に件の男の処理を任して恙無く業務を終わらせる。

「もう、結構ですよ」
「ああ。失礼。代わりのものでも用意させましょうか」
「……今日買ったものに靴があるから大丈夫です」

 わざとらしい笑みを浮かべながら添えられた手はあっという間に去っていく。その熱を少しだけ惜しむ感情を拭うように足元に落ちたヒールのカケラを手に取りながら溜息を噛み殺した。お気に入りのピンヒールだったのだ。真っ赤な靴底の美しいこの靴が。しかも限定盤。今じゃどこも取り扱っていない。ヒールが折れるとパーツ交換して修理をするらしいのだが、限定盤に替えなどあるのだろうか。じーっと靴を眺めていても仕方がない。立会いも終わったことだし帰ろうと顔を上げれば未だ隣には門倉立会人がいた。

「その足じゃ満足に歩けないでしょう。肩を貸しますよ」
「いえ別に大丈夫「それとも横抱きにでもした方がよろしいですか?」

 食い気味に被さってきた言葉は本気のようでにっこりと不謹慎な笑みを浮かべていた。「肩を貸して頂いてもよろしいでしょうか」。「はい、もちろん」。何が楽しくてこの人は私を揶揄っているのだろうか。まあ、もうなんでもいいか。立会は私にとって楽しいものではなかったし、その上お気に入りのピンヒールが折れてしまって散々な一日だ。表立って態度には出さないがそれでもこの鬱々とした気持ちを発散してしまいたくて、つい肩を貸してくれた彼に弱音を零してしまった。

「実はこのピンヒール、お気に入りだったんですよ」
「それは残念ですね。修理などに出されてみては」
「これ限定盤なんで修理できるかわからないんですよね。……はあ、苦労して手に入れたんだけどなあ」

 後半はボヤキのようなものだった。しかし彼の耳にはしっかりと届いたようで、どこのブランドのものかと聞かれた。上の空で彼の問いに答えながら荷物を回収し、靴を交換した。買ったばかりの靴も同じ真っ赤な靴底のピンヒールだが、やはり気分は晴れない。いい大人が靴くらいで情けないと思われるがこの靴を手に入れるためにそれなりの苦労をしたのだから落ち込むくらいはさせてほしい。部下の車で送ってもらう予定なので、そろそろこの気持ちを切り替えなければなと、意識して駐車場へと向かったが、部下が一人も見当たらない。

「送りますよ」

 あれと思う間もなく彼の車に乗せられてしまった。有無を言わさぬ圧力を感じてしまい、ただ黙って頷いてしまったのだ。しかし、不思議と圧力を感じたのは最初だけであとは和やかに楽しい時間を過ごせたのでピンヒールに傷心した心も少しは癒えた気がした。嘘。本当は凄く悲しい。



 結局ピンヒールはパーツの在庫がなく修理できなかった。しかし、いつまでも傷心しているわけにもいかないので無理やり忘れようと本業である仕事と立会に齷齪と精を出していた。少しばかり傷心が薄れた頃、賭郎本部内で門倉立会人に声を掛けられた。以前、立会をした時以来である。

「みょうじさん」
「門倉立会人?」
「靴は直りましたか?」
「いえ。やっぱりだめでした」

 そんなにショックな顔をしていたのだろうか。少し話しただけの話題をわざわざ覚えていたことに驚きつつ、気を遣わせてしまった申し訳なさに心が痛む。努めて明るく大丈夫ですと言葉を続けようとした瞬間、彼からあのブランドのショップバッグを渡された。

「なら、これを。どうぞ」

 一応、確認してくださいね。と促され中の箱を見ればあのお気に入りのピンヒールが入っていた。

「どうやってこれを?」

 限定盤。今じゃ定価では絶対に買えない。あったとしてもプレミア価格で定価の何倍もの値が付けられているそれを彼は笑いながら渡してきた。

「気になる女性には見栄を張りたくなるものですよ」

 さらりと凄いことを言われた気がしたが頭の中はそれどころではない。一体どこでこれを見つけたんだろうか。

「お金、払いますから!」

 しかし、彼は首を縦には振ってくれなかった。

「私の気持ちですので。でも気になるのなら、今度食事でもどうですか?」

 その靴を履いて。そんな台詞を言われて断れる人間がいるのだろうか。胸にむず痒い衝動が溢れ出しそうになる。

「門倉さんの隣に似合うように精一杯頑張りますね」
「そのままのみょうじさんで十分お綺麗ですよ」

 この人には一生叶いそうにないと思った瞬間であった。

「ところでなんで靴のサイズまでわかったんですか?」
「おや、気になりますか?」
「……やっぱりいいです」
「連れない人ですねえ」