×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



8

 血湧き肉躍るといった言葉がぴったりの賭郎勝負に立会が出来てその日の気分は正に有頂天であった。興奮覚めやらぬまま帰路につき、ヒールを脱ぎながら明日の予定を頭の中で組み立てる。明日は急な立会がなければ一日オフだ。そうと決まれば今日はもうゆっくりしようと、興奮を覚ます意味を込めてシャワーを浴びた。いつもより丁寧に体を磨き上げ、沸かしてあったお湯に浸かって一日の疲れと興奮をリセットしていく。本当に今日の立会は楽しかったなあと考えに耽りつつ湯船から上がり、風呂上がりのビールに心を躍らせていた。タオルで髪の毛の水気を拭き取りながら冷蔵庫を開ける前までがピークであった。

「……ない?」

 まさかのビールがゼロだったのだ。この前買ったはずでは、と頭を捻らせたが何日か前にこの部屋に何人かの立会人が来て宅飲みをしたのだ。あのときに飲み干してしまったらしい。冷蔵庫を閉め背を預けながら頭を回転する。ポタリと髪の毛から雫が落ちた。風呂も入ってスッキリし、完全にスイッチがオフになった状態で外に出るのは非常に億劫だった。しかし、ビールは飲みたい。帰り道で買って来ればよかったと後悔したが後の祭りである。溜息を一つ吐き出し、ドライヤーをするために洗面所に戻る。ビールと面倒さを天秤に掛け、ビールが勝った瞬間であった。軽く髪の毛を乾かしてサイフと携帯だけを手に玄関でサンダルを引っ掛ける。ハンガーラックから無造作に羽織るものを手に取りそのままエレベーターに駆け込む。部屋着のキャミソールの上に持ってきた服を着たところで違和感に気付く。これこの前門倉くんが忘れたやつじゃん。派手な刺繍が施されていて、やたらと目を惹くスカジャン。門倉くんが着るとモロにヤンキーでそのネタで笑い倒した記憶がある。わかりやすいようにと、取りやすい位置に掛けてあったのだろう。人のものを着るのはどうなんだと思ったがもうエレベーターは一階に着いてしまったし、今更戻るのは面倒臭い。あとで消臭剤しとけばいいか、と大きめのスカジャンを身に纏いながらビールへと思いを馳せる。ほんの僅かに彼が付けていた香水と煙草の残り香があったが不快には感じなかった。



 一番近くのコンビニで買うつもりだったのにお気に入りのメーカーが売り切れで大分歩くことになってしまったが気分は良い。アイスも買えて途中でアクシデントはあったものの今日は完璧な一日だなと自負しているとき後ろから凄い勢いで車が走る音が聞こえる。歩道側に僅かに身を寄せようとしたそのときに車が横に止まり勢いよく飛び出してきた男に口を押さえられ、車内へと引きずり込まれた。缶ビールが地面に叩き付けられる音とタイヤの回転する大きな音が鼓膜に響く。完璧な一日にはならなかったようだ。
 少し浮かれ過ぎてたなあ。と一人反省会をしながら後ろ手を結束バンドで縛られる。運転席に一人 後部座席に三人。目線だけで辺りの状況を調べる。怪しげな道具がゴロゴロと転がっていて、頭が痛くなりそうだ。そういえば最近婦女暴行事件が多発してたなあとニュースの内容を思い出していれば、一人の男がナイフをチラつかせてこちらを脅迫する。騒ぐと殺す、と端的に述べると別の男が人の体を弄り始めようとする。気持ち悪いから嫌だな。過剰防衛にならないラインてどこだろう。と縛られている結束バンドを切ろうとした瞬間にポケットに入れていたスマホが鳴る。しかし男達は気にせずこちらを痛ぶろうと下卑た笑みを浮かべながら手を伸ばしてきた。余りにも気持ち悪くて条件反射で目の前の男を蹴り上げてしまった。

「あ」

 やってしまった。無意識だから本気でやってしまったけど死んでないだろうか。サンダルだから大丈夫か。と納得をしているともう一人の男が激情し、ナイフを振り下ろしてきた。狭い車内で座席を利用して器用に避けながら反動でバンドを引きちぎる。そのまま鳩尾に拳を叩き付け、呆然とカメラを構えていた男の顔面をぶん殴っておく。運転席にいる男は様子に気付いていないようで車は一定の速度でどこかに向かっている。とりあえず鳴り響くスマホを手に取る。表示された名前を確認してすぐに電話に出た。

「おい、出るのおそ「ねえ、どうしよう。正当防衛ってどこまでいけたっけ?」
「はあ?」
「ちょっとピンチなんだけどさあ、今私どこにいるかGPSでわかる?」
「もう少し詳しく話せ」

 起こったことを掻い摘んで話せば電話先の彼、門倉くんは呆れたように怪我の有無を聞いてくる。

「大丈夫。ただ相手殺してないかだけ心配」
「そんな心配する前におどれの心配しとけ。仮にも女やろ」
「門倉くん優しい……惚れちゃいそう」
「阿呆抜かせ。とりあえず周辺にいる黒服達を向かわすから大人しくしとけよ」
「襲われそうになったら?」
「玉でも潰しとけ」
「男なのに言ってて痛くない……?」

 電話口から聞こえる声がいつもより怒気に溢れていて対峙していないのに体が震えそうだ。繋がったままにしておけという彼の言葉に従ってスマホを肩と耳で挟みながら気絶させた男を結束バンドで拘束していく。カメラを持っていた男の体を拘束するために揺らした瞬間、付けていたマスクがズレて素顔が露わになる。あ、こいつの顔見たことあるぞ。ニヤァと口角が上がるのがわかる。襲われ損にならなくて良かったと私はある情報を調べるように門倉くんに伝えた。お屋形様にいい土産が出来た。



 暫くして車が止まりほどなく黒服達が扉を開いた。その中に見知った顔もいて手を振れば焦ったような表情を浮かべた。

「情報は?」

 拘束された男達が降ろされ、運転席の男も錯乱したように声を上げるのを聞きながら車を降りる。カメラを持った男は以前賭郎勝負を請け負ったとある議員の息子だということが判明した。このスキャンダルを活かさない手はないだろう。息子の不祥事を消す為にいったいいくらのものをお屋形様に貢ぐことになるのか。一人楽しく笑みを浮かべていれば困惑気味の黒服が声を掛けてくる。

「あの、門倉立会人がもう少ししたら来るので」
「うん? 門倉立会人が? 別に大丈夫。これの確認が終わったら自分で帰るよ」
「門倉立会人が来るまで待っていろとの命令なので」

 険しい表情で必死に止める黒服に何故、と思わないでもなかったが周りを見渡しても皆同じような表情をしているので大人しく待つことにする。いくらスカジャンを着ていても足元はショートパンツにサンダルのせいで僅かに冷える。ビールが早く飲みたいなあとそんなことを考えていれば、立会い終わりなのかスーツ姿の門倉くんが慌てた様子で駆け寄ってくる。

「立会終わり? おつかれー」
「おつかれじゃないわ。阿呆」

 出会い頭にデコピンを食らわせられた。真面目に痛い。額に手を当て痛がっている間に門倉くんは黒服から話を聞いて未だ下に放置されている男達を運ぶように指示をする。これからこの男達の処遇がどうなるかはわからないが、碌なことにはならないだろう。けれど、まだやるべきことがあるので。

「ちょっと待って」

 車の中からしれっと回収した鈍器をその股間目掛けて振りかぶった。



「やっぱ、一声掛けてからやった方がよかったかな。皆ドン引きしてたもんな」
「……そういう問題やないと思うよ」

 もう悪さが出来ないようにしなきゃね。と狂気じみた笑顔で男性器を文字通り叩き潰した彼女は、飄々とした様子で門倉の助手席に乗っていた。一人で帰れるよ、と素っ頓狂な顔をして言うものだから門倉は特大の溜息を噛み殺しながら有無を言わさず彼女を車内に放り込んだ。

「大体なんでこんな遅い時間にそんな薄着で出歩いとるん?」
「ビールがすごい飲みたくて、家にストックなかったからさ」
「そんなの部下にでも頼んで買ってきてもらえ。もう少し女としての自覚を持っとけ。ど阿呆」
「女としての自覚って言われても……、大体の男よりは強いと思うけど」

 ぷちっと少し何かが切れそうになる。立会人をしているが故の慢心だろうか、警戒心もなしにこうやって隣でのほほんと座っているのも腹立たしく思える。なんでこんな女に好意を寄せてしまったのだろうかと、門倉は舌打ちをする。無言のまま運転を続けていれば彼女は少しばかり不思議な表情を浮かべたか、気にせずに頬杖をついて窓の外を眺めているばかりだ。彼女の家の前で車を停める。ありがとうと言葉が言い終わらないうちに車のシートを後ろに倒した。

「いっ、た」
「大体の男よりは強い、って範疇にワシは入っとるんか」

 頭を打ち付けたのか眉を歪めながらこちらを睨むように見てきても男を煽るしかないということを彼女は知っているのだろうか。サイズの大きい門倉のスカジャンが彼女の華奢な体を誇張する。中途半端に着られたそれは彼女の無防備さをより演出させていて、ほんの少しの優越感と嗜虐心が擽られる。ショートパンツから曝け出された太腿に手を這わす。情事を連想させる触れ方をすれば彼女はようやく顔を赤らめて困ったような声を上げた。

「か、門倉くん……あの、退いてもらえませんか……?」
「嫌だって言ったら、アイツらみたいにするん?」

 生憎と、ワシは優しくないからおどれに蹴られてやらんけど。唇が触れるほどに顔を近付けると耳まで赤く染めた彼女がわなわなと震えている。余裕のない表情を引き出せて門倉は口角を上げた。こちらばかりが心騒がせられるなんて不公平だろう。

「私、愛のないセックスはしたくないタイプなんですが」
「ワシが誰これ構わず押し倒す男に見える?」
「南方さんが門倉くんは女癖が悪いから気を付けろって」
「……アイツ」

 舌打ちをすると下から笑い声が聞こえた。この状況で笑う彼女に必死になるのもアホらしくなってしまう。体を起こして溜息を零しながら煙草咥えて火をつけた。

「もう二度とそんな格好で出歩くなよ」
「気を付けます」
「わかったら、さっさと帰って風邪引かんように寝とけ」
「そうだね、って、あ!」

 急に大きな声を出した彼女は悲壮感に満ちた声で呟いた。

「ビール置きっぱ……アイス……」

 見知らぬ男達に拉致されて襲われかけて、同僚である門倉に押し倒されたあとでこんなことを宣う彼女の神経の図太さは見習いたいものだ、と煙を吐き出しながら思った。立会中は凛とした佇まいで氷のような冷たい瞳をしているのに、立会から離れてしまえばこれだ。そんな無邪気に笑う姿を見て落ちてしまった。惚れた方が負けとはよく出来た言葉だと痛感してしまう。

「おどれ、まさかこれから買いに行くとか言わんよな」
「……言ったら怒る?」
「本気でブチ犯すぞ」

 しゅんと項垂れる。その姿すら可愛いと思ってしまうからもう末期だ。手遅れでしかない。灰皿に煙草を押し潰してハンドルを握った。

「で、どこ行くん?」

 彼女は一拍置いて「いいの?」。と申し訳なさそうにする。申し訳なく思うのならそんな薄着で夜に出歩かないで頂きたいものだ。頷けばすぐに表情を綻ばせた。

「あのさ、よかったら一緒にのむ?」
「襲われかけたのに警戒心ないんかおどれ」