「ちょっと着替えてくるわ。何か飲みたかったら適当に飲んでいいから」

これまでにないくらいに使われた捺希の脳はキャパシティオーバーで今にも破裂寸前になっていた。DIOに冷蔵庫の場所を教えて自室に戻った瞬間、疲れがどっと溢れる。
まさか見知らぬ男と同棲することになるとは。ジャケットを脱いでブラウスに手をかけたその時、捺希の頭にふと一つの可能性が浮き上がる。

「もしかして誘導された…?」

思わず口にしてしまった。同居を提案した際に見せたDIOの笑みにそんな意味が含まれているような気がする。冷静に考えてみれば女が一人で暮らしている上に私は現実味のない彼の話を信じた。はたから見ればカモになる要素はたっぷりじゃあないか。捺希は肩をがくりと落とした。

どちらにせよ、こうなった原因を作ったのは自分である。焦りと勢いが招いた結果なのだ。警察に連れて行った方がよかったかもしれないという後悔も少しあったが自分の直感を信じてやったことだ。こうなればやるしかないとポジティブに考え、自分に気合を入れるため、捺希は両手で頬をバシリと叩いた。そして部屋着に着替えてリビングに戻る。

「貴様の冷蔵庫にはこんなものしかないのか」
「こんなものばっかりで悪かったわね」

ソファに座りながら缶ビールを片手にテレビを見ていたDIOは、とても過去から来た人物とは思えないくらいに現代に馴染んでいた。ただ、彼の身に纏っているものを除いて。

「…あんたのその格好、どうにかしなきゃね」
「何故だ。この服に何か問題でもあるのか」
「家の中なら構わないけど…外は、ね」
「フン、この服の良さがわからないなど愚かだな」
「あー、はいはい。 わかったから」

DIOの言葉を適当に聞き流して捺希は寝室から持ってきたノートパソコンを開いた。

「なんだそれは」
「ノートパソコン。 まあ、いろんなことができる便利な機械よ」
「ほう、このDIOの生まれた時代にこんなものはなかった」

長年、女一人だけで暮らしてきたこの家に男物の服は当然あるはずがない。
捺希は自分が服を買いに行くしかないかと考えた。しかし、目の前で缶ビールを飲むこの男の性格を考えると買ってきても私の趣味ではない、と文句をつけられ突っぱね返される確率は高い。それを踏まえてここはネット通販ということで落ち着いた。

「よし、ここから好きなの選んで。 私はその間にちょっと布団探してくるわ」

ソファとテレビの間にあるテーブルにノートパソコンを置き、ざっくりとDIOにマウスの使い方を教える。

「確か押入れの中にあっ…ぐえっ」

最後に布団を使った時を思い出そうと疲れ切った脳をフル回転させながら、立ち上がろうとしたその瞬間。突然、蛙が潰されたような声を発した捺希の上にはずしりと男が覆いかぶさっていた。

「ちょっ、DIO! 見てないで助け、て…」
「……」
「…DIO?」

先ほどまで優雅にビールを飲んでいたDIOはそこにはいない。目をカッと開き、ただただ一点を見つめている。まるで彼の周りだけ時が止まったようだった。彼の視線の先にいるものは、捺希の上に覆いかぶさっている男。

「…知り合いなの?」
「話しただろう。 私はある男に殺された、と」

この人が、DIOを殺した。
ストローの包紙が水を吸い上げた時のように、じわじわとこれまで現実味のなかった話に色が差してくる。人を殺すという行為をニュースや新聞などでしか聞いたことのない捺希は、彼がどんな方法で、どんな心境で殺したのかと理解することなどできるはずがない。

とにかくこの重みから解放されたい。このままじゃ窒息してしまいそうだ。身じろぎをして這いずり出ようと捺希が苦戦しているとじゃら、とチェーンのようなものが揺れる音と共に重みが消えた。

「DIO…てめー、こんなところで何してやがる」

体格がよく、DIOと同じぐらいの背丈。のそりと立ち上がった男は静かに口を開き、低く唸るようにDIOに問いかける。

「…見ればわかるだろう。 ビールを飲んでいるだけだが」

一方のDIOは男を煽るように右手に持った缶ビールをちゃぷちゃぷと揺らし、先ほどとは一転して余裕たっぷりの表情で答えた。

「スタープラチナ!!」
「無駄だ。 この世界ではスタンドは出せん」

チッと軽く舌打ちをした後、鋭い目付きで男は話を続ける。

「てめーは俺が倒した。 生きているはずがねえ」
「クク、私が生きていたと知ってさぞ衝撃を受けただろうなァ、承太郎」
「…ッ、野郎…!」

DIOの胸倉を掴み、今にも殴りかかろうとしている改造学ランを身につけた男と余裕の笑みを浮かべるDIOはまさに一触即発の状態に。

「ちょっと二人とも落ち着…!」
「おい、そこの女。 怪我したくなけりゃあ引っ込んでな」
「己の身が可愛いと思うならば黙っていろ」

仲裁に入ろうとした捺希はあっさりのけ者にされ、二人は再び向き合った。ぷつん、と捺希の頭の中で何かが切れる音がしたことにも気づかず。

「…いい加減にしなさいよ…確かに私はあんた達と関係のない人間だし、過去に何があったかよく知らないけど、今が一体何時だと思ってるわけ? こんな時間にぎゃあぎゃあ騒いだらご近所の迷惑になるじゃない! 少しは場所と時間を考えろっての!」

突然の飛び出した怒りの声に二人は目を丸くした。仁王立ちで怒りのオーラのようなものを纏った捺希を見て一番うるさいのはお前の方だろう、と内心で呟きつつも二人は大人しく口を閉ざす。

「はあ…DIO。とりあえず、あんたは服を選んじゃってよ。 選び終わったらテレビでも見ながら待ってて」


「ジョータローくん、だっけ? ちょっとこっち来てもらっていい?」

二人はここから離さなければならないと思った捺希は承太郎を廊下へと連れ出した。

「あんた、何者だ」
「私はここの住人の森永捺希。 DIOとはさっき知り合ったの。 あいつもきみと同じように、突然ここに現れたってわけ」
「……」
「あ、一つ言っておくけど私はスタンドってやつは使えないし、知らないからね」
「…どうも腑に落ちねえな。 だったら誰が、何の目的で、俺とDIOをここに連れてきたんだ」
「そんなのこっちが知りたいくらい。 あいつを見つけた時、心臓が飛び出るかと思ったわ、ほんと」

腕を組みながら壁に寄りかかる捺希はDIOを発見した数時間前のことを思い出しつつ、承太郎から視線を反らした。

「さっきの口ぶりからしてあんたは操られてなさそうだが」
「操る?」
「額、見せてみろ」

言われるがままに右手で前髪を持ち上げると承太郎は体を屈めて捺希の額をじっと見つめる。

「え、なに」
「…見当たらねーな」
「だから何が?」
「肉の芽だ。あいつは誰か操る時にそれを脳に埋める」

肉の芽という全く聞き慣れない単語を聞いてふうん、と適当に相槌を打った捺希の脳内では、肉の芽のビジュアルは一体どんなものなのかとイメージを膨らませる作業が始まっていた。

「おい、聞いてんのか」
「ごめん。 聞いてるよ」
「ところで、あんたはDIOをどうするつもりだ」
「どうって…ここで一緒に暮らすつもりだけど」

さらりと言った捺希の言葉を耳にして承太郎の片眉がピクリと動く。辺りの空気は一気に張り詰め、捺希を包んだ。