残業続きで車掌室に2泊3日。
3日目の夜になっても減る兆しが見えない書類の山。ノボリはその山に埋もれながらペンを走らせていた。

「ううあぁあ…何故減らないのですか書類よ…!」
「ボス、マルチに挑戦者の可能性です!」
「空気読んで頂きたいですね挑戦者では行ってきますのでこのできた書類あなたが持っていってください頼みましたよ」
「句読点をつける余裕も見られない…!あ、了解です…てか、減りませんね。書類」
「それもこれも…クダリのせいです!」

ノボリはバンッとペンをデスクに叩きつけ、そう言い捨てて車掌室を出た。通路を進む一歩一歩に力が入る。この苛つきが床を踏みしめる足から出ていけばいいのにと、ノボリは小さく舌打ちをした。

「ここ3日、息抜きにバトルをしているような気がします…この子たちにとっても申し訳ありませんね」

ノボリはホームに滑り込んできたマルチトレインの最終車両に乗り込みながら、腰に提げたボールを指先で優しく撫でた。




「…」

おかしい。
クダリがいない。それに、

「何故動かないのですか」

ホームに着いてから一向にトレインのエンジンがかかる気配がない。一人きりの車内、線路を走るリズムも聞こえない、開きっぱなしの扉から流れ込む風の音だけが広い車内に響いていた。

待てど待てど、自分の目に映る景色は未だ変わることはない。

「クダリ…何故来ないのですか」

これはシングルではなくマルチトレイン。クダリと共に乗るトレイン。ぴゅう、と鳴く風の声が空しい。いつの間にか苛々は消え、寂しさがノボリの中を巡っていた。

「早く、来てください…クダリ」

いつも隣にいる存在が今はいない。だんだん体が縮こまってきて、無意識にコートを握る手に力が入る。唇が震え、情けない顔を上げている気にもなれず下を向いた。


「クダリ…」


「ノボリ」


突然降りかかった声に、はっと顔を上げた。そこには、望んでいた白い片割れがにっこりと笑って立っていた。ノボリは座席から立ち上がり、その勢いに任せて目の前の胸に飛び込んだ。飛び込まれた方も、その体をしっかりと受け止め、腰に手を回した。

「っ…なんで、来なかったのですかっ」
「ごめんごめん。ちょっと色々やってたら遅れちゃった」
「何をなさっていたと?わたくしにばかり仕事を押しつけて」
「ノボリのために頭下げてきた」
「はい?」
「上にね、お願いしてきた。もうちょっと書類減らせって。OKもらった。来週からだいぶ楽になる 多分」
「クダリ…」
「ぼく サボり癖あるから、本当は自分のためかも知れないけどね」

ノボリの帽子を取って髪の毛にキスをしながら、クダリは小さくごめんね、と囁いた。ノボリは、そう言えばここ3日間書類整理に没頭していた上、クダリと一緒にいたのはマルチのときだけであったと気づき、そこからある結論を導き出した。

「…苛々は、クダリ不足が原因だったのです」
「ん?」
「クダリ、わたくし、書類が減らなくてもクダリが側にいてくれさえすればずっと頑張れます」

きゅうきゅうと胸に顔を押しつけてくるノボリに、クダリはたまらなく愛しさを感じた。ノボリに顔を上げさせ、その徹夜続きで荒れた唇に吸い付いた。リップクリームを塗るように、皮が捲れた唇を舌の先でなぞった。

「っ、しみる…」
「痛そう ごめんね、ノボリ。今日は書類 ぼくがやる。だから、寝て?ノボリ」

クダリが、ね?と顔を傾けると、ノボリはふるふると首を横に振った。

「クダリと一緒にします。だから、もう少しだけこのままがいいです」
「大丈夫?」
「クダリがいれば、わたくしは元気です」
「なんかノボリ、今日は素直だね」
「3日間の反動です。もう言いません」
「もっといつも言ってよ」
「お断りします」

ちぇ、と唇を尖らせるクダリに、ノボリは触れるだけの口づけを贈った。




あなた不足


「そう言えばマルチトレインが動かないのですが」
「これ終電。これ車庫行き」
「はっ!?」
「ノボリとお話したかったから嘘ついちゃった」
「っ、……許し、ます」
「えへへ」