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高校生活三年目、初めての経験だ。夏休みの補習、教科は化学。先生にも友人にも言われた。今回勉強しなかったの?と。勉強はしたんだ、結構真面目にやった。ただ、テスト範囲を勘違いしていた訳でありまして。
自分で言うのも何だが、成績は悪いほうじゃない。赤点なんてとったことはなかったし、寧ろ平均点以上はキープしている。スカートの丈は短くするし、化粧もする。授業中、先生に見つからないように友人とスマートフォンでやり取りして放課後の予定を決めたりするけど、勉強もそこそこ、やっている…と思う、たぶん。
会場として指定された教室は空調が効いているらしいが、節電とかなんとかで設定温度は28度とやや高め。今年は「猛暑」というワードでは言い表せないほど、とにかく暑い。太陽が肌をジリジリと焼き付ける中、己が招いた罰ゲームの為に通学する私たちに、温度計が28.4度と示すこの教室は暑すぎるのだ。教科担当の先生が前から詰めて座れと指示を出す。開始時刻まであとほんの数分、もうほとんど、全員が揃っているようだ。1番後ろに座りたい気持ちを仕方なく手放して、空いている隅の、真ん中よりも少し後ろの席に座る。荷物を下ろして、鞄から取り出した下敷きで己をあおいだって、汗は引いてくれない。

「あれー、岩泉のクラス午後からだろ?」

チャイムが鳴ると同時に、教室の扉がガラリと開く。あれ以来、まともに顔を見ることなど出来なかったし、夏休みの間は校内ですれ違う事さえもないと高を括っていたから、こうやって同じ空間にいるのが不思議で仕方ない。

「今週部活が午後からなんだよ」
「あぁ、そうなんだ」
「午前と午後、勘違いしてんのかと思った」
「んなバカじゃねえから」
「補習受けてるやつがよく言うよ」
「ほら岩泉、早くそこ座れ、始めるぞ」

もともと、この担当教師のことはあまり好きではなかった。ボリュームの加減を知らない声は隣のクラスまで響き渡るし、黒板に書く文字は癖が強くて読み取るのに時間がかかる、小テストばかりやるし…挙げ句の果てに、私の隣の席を指差すのだから、もう救いようがない。ガタン、ギィと椅子の脚と床が擦れて。

「始めるぞー、今日から三日間きっちりやれよ。最終日はテストだからな、教科書の28ページ開いて」

あの日の晩、ひとりでしとしと泣いたのを思い出す。叶いっこない、もうほとんど死んでしまった恋だが、どうにか息を吹き返したくてあぁやってみたものの、彼との距離を思い知らされただけだった。縮まらない距離は、もどかしくなどない。虚しいだけだったのだ。もう、夏の一番深いところまで季節は巡っている。このまま音も立てずに安らかに消え去る恋なのだ、これは。
そう思わなきゃいけないのに、そう思っていた方が幸せなのに、期待してしまうんだ。私はテスト範囲を間違ってしまったせいで、彼は所属しているバレーボール部の練習時間と被ってしまったせいで、こうやって同じ時間の補習に参加している。こうやって偶然を運命みたいに捉えたくなるのは、私がまだこの恋に希望を抱いているからだろう。そして、ほら。

「みょうじも補習?」
「…うん、」
「珍しいな」

話しかけられると思ってなかった私は、いっしゅん遅れて返事をする。会話をここでやめるか、続けるか迷って、少し考えた。教室はまだ、ほんのりガヤガヤとしている。テスト何点取ればいいんだっけ、エアコンの設定温度下げていい?とか、たくさんの声が聞こえるから、私もそれに紛れてしまえばいい。

「テスト範囲、間違えてて」
「え?」
「全然関係ないところ勉強してたの」
「まじで?それで補習?」
「うん、ほとんど何にもわかんなかったからすぐ終わっちゃって。テストの時間すごい暇だったもん」
「それでか、なんか頭いいイメージあったから」
「初めて出る、こういうの。岩泉は?」
「聞かなくてもわかんだろ」

毎年一教科は絶対出てる、と笑う彼は、いま、私を見ていて、この、彼の恥ずかしそうな、戯けたような笑顔は、いま、私しか見ていなくて。それだけで信じられないくらいに嬉しくなる。岩泉の彼女はー…いや、彼女なんて贅沢は言わない、もう少し親しかったら…、いやいや、私の性格だ。きっと満足できなくなるだろう、ただのオトモダチじゃ、すぐに嫌になってしまう。よく考えなくても、わかることだった。
その後、静まった私たちに先生はたっぷりと化学の知識を詰め込もうとしたが、授業終わりの小テスト。岩泉の問題用紙と私の問題用紙を交換して、赤いペンで採点。隣の席の彼はいったい何を聞いていたのだろうか。大半の問題を間違えていて、離れた席の野球部の男の子にからかわれていたが、そちらが一段落すると私に険しい声で話しかけてくれる。

「何でわかんだよ、全部」
「…何でって」

授業聞いてればわかると思うけど…と言いかけたが、その言葉は飲み込んでおいた。私の小テストは満点だったようで、彼が右端に3桁の数字を書いてくれている。私が無慈悲に採点した小テストを悔しそうな睨む彼に、言ってみる。あぁ、やっぱり捨てられないよ。入学してからずっと、憧れて、目で追って、たまらなく好きで。それを「叶わないから諦めろ」なんて、そんな自己暗示、効果があるわけがない。

「岩泉、部活何時から?」
「13時」
「まだ時間あるし、この後やる?今日やったところなら私、教えられるよ」
「…え?」

私はこの男がとても優しいと、わかっている。断れないだろうか、迷惑な提案だったろうか、彼を困らせてしまっただろうか。ごにょごにょ、口を動かした彼の真意はわからないが、頼むと、そう言われて。

「いいのか?」
「ん?」
「時間とか…あと俺、何回も同じこと聞くかもしんねえし、」

チャイムの音は校内にたっぷりと響いているはずだが、私の耳にはほとんど届いていなかった。岩泉の声だけ、それだけで埋め尽くされている。何度でも聞いてよ、あなたの声を耳に擦り込んで、春が来たって、次の夏が来たって、忘れないようにするから。

「大丈夫だよ、ゆっくりやろう。多分基礎がわかればできるようになるから」
「わりい、ありがとう」
「明日も同じ時間に集合なー、各自予習復習やっておくように」

先生の問いかけに返事なんてしてやらない。彼のありがとう、に「どういたしまして」と返事をするのが最優先だから。ざわざわと生徒たちは立ち上がり、続いて補習を受けるであろうメンバーが入れ替わりでやってくる。荷物を纏めて、さてどうしようか。この教室は使えない。隣の教室を覗いてみたら教室一日、満遍なく罰ゲームが詰め込まれている可哀想な奴らの自習室と化していたし、その隣も、そのまた隣も部活動で登校している人間の荷物置き場になっていたりしたので居場所がなく、蒸し暑い校内を彷徨く。辿り着いた一つ上のフロアは誰かが使用している気配がなく、ここでいいか、と適当な教室に入った。廊下側の後ろの席に座り、先ほどまで開いていた教科書を再び開く。

「でね、ここなんだけど…今日も解説してた通りに解けばいいから」

まるでここだけザクザクと切り取られ、隔離されたかのように静かで、私が岩泉にあれやこれやと説明をする声だけ。緊張と、この環境が相まって、声のボリュームを調節するのがひどく難しく感じた。あの教師は普段こんな気分なのだろうか。だからやたらに大きな声を出してしまうのだろうか。声の大小もそうだが、そもそも、うまく話せているのだろうか。そう不安に駆られたちょうどその時、真剣に話を聞いてくれていた彼が口を開く。

「妹とか弟とかいんの?」
「え?」
「いつも誰かに、勉強教えてんの?」
「ううん、教えてない」
「すげえ上手いから」

わかりやすい、そう独り言の様に発せられた言葉に単純な私はじわっと嬉しくなって思わず顔が綻ぶ。岩泉がちょうど、問題を解き始めたところでよかった。こちらに視線を向けられたら、私はもう、ダメだと思うから。そう思っていたのに。

「ここって、」

ほら、ダメなんだってば。過去に配布されたプリントの問二に差し掛かると彼は、きゅっとつった目を私に向けてヒントを求める。まだ、私の口元は緩んだままだ。

「…間違ってる?」
「え?」
「俺、初っ端から答え違う?もしかして、」
「え、ううん、合ってる、なんで?」
「笑ってっから」

こんなに何気ない会話をするのに、こんなに悩まなくてはいけないのはすごく面倒…と言うか、神経を使うと言うか。ぐるぐると頭の中で考えてから声に出しているので、私たちの会話のテンポは些か可笑しい。あぁ、どうしよう。なんて言おう。早く何か言わないと。先ほどまでの補習なんかよりもずっと、私の脳は忙しく働いていて疲弊していた。

「うれしくて」
「ん?」
「そんなこと、言われないから」
「そんなことって?」
「…教えるの、上手いとか」
「上手いだろ」
「言われたことないよ、」

疲れ切った私の思考回路はもう面倒になったようで、スルッと、吐き出してしまう。優しいもんね、って。岩泉は優しいよねって、今度は私が独り言のようにぼやく。

「優しい?」
「うん」
「どこが」
「どこがって聞かれると難しいけど、」
「それこそ言われたことねえよ」
「本当に?」

声が、甘ったるくなっていく。この、いつもなら40人が押し込まれている教室に焦がれた彼とふたりきり。多分もう二度と、やってこないシチュエーション。勇気みたいなものを振り絞って溜め込んできた感情をぶつければ、何か吹っ切れるだろうか。忘れられるだろうか。押し付けたら彼を困らせてしまうのは容易に想像できる。でも。
今晩くらいはー…ううん、私が無理やり笑って「じゃあね」と言い残してこの教室から逃げ出せば、その後の数秒、私を想ってくれるだろうか。それでじゅうぶんかもしれない。ううん、それで、じゅうぶん。

「ごめんね」

先に謝るのはずるいよね。でもね、ごめんね。本当に、ごめんね。

「何が?」
「私ね、好きなの、ずっと、岩泉のこと」

どこを見たらいいのかも、どんな顔をしたらいいのかも、震える手をどうしたらいいのかも、何もわからない。こんなのって声に出すべきじゃないよね、でもしまっておけないの。私ばっかり楽になろうとするなんて、なんて自分勝手なやつなんだろうね。信じられないよね、許せないよね。この罪悪感をどこかに置き去りにしたくて、また「ごめんね」を唱える。好きになってごめん、こんな風に押し付けて逃げてごめん、化学の復習も途中なのにごめん、嫌だよねこんなことされたらってわかってるのにこうすることしか出来なくてごめん。でも好きなの。好きで、好きで好きで好きで、本当、ごめんね。

「おい、っ」
「先、帰るね」
「みょうじ、」
「ごめんね岩泉、ありがとう」

机の横にぶら下げていた鞄を、まだ震えている手で、力が入ってるんだか入ってないんだかわからない右手で掴んで教室から逃げ出す。岩泉は追いかけてきたりしなかった。次の日の補習も、その次の日の補習も、話しかけてきたりしなかった。少し離れた席に座ってくれた。あぁ、やっぱりね、そうだよね。あなたは本当に、どこまでも優しいね。

2018/09/18 title by 草臥れた愛で良ければ