「あっついね」
「そうっスね」
「ごめんね、付き合わせて」
いえ、と彼はそう言ってポタリ、額から粒を落とした。1つ歳下の影山くんは主将の澤村さんからのお告げで私の付き添いをしてくれている。部活に必要な消耗品の買い出しは私たちマネージャーの仕事だが、清水先輩も谷地ちゃんも委員会だったり登校日だったりで都合がつかず、派遣されたのが1年の彼。こんな雑務に彼を巻き込むのは申し訳なくて、1人で大丈夫ですと言ったけど、あれは完全に嘘だ。1人ではどうしようもないそれらが詰まった袋は想像以上の重量で、そのほとんどが彼の両手に。
「重くない?」
「みょうじ先輩は大丈夫ですか?」
「うん、へいき」
「なら大丈夫です」
部活が終わって疲れているだろう。まだ16時頃だ、陽も沈んでおらず、じりじりと暑い。蝉はいつまで鳴いているんだろうか、やかましくて仕方がないが鳴くのが彼らの仕事なわけで。彼ら、という表現は間違っていそうだがこの気温のせいで思考は正常じゃないので見逃していただきたい。制服のワイシャツの袖を限界まで捲っている彼の腕はしっかり男の人だった。わかっているけど、こうも近くで見るとなんとなく、どきりとした。絹のような肌は男のものとは思えない。
「何時っスかね、バス」
「ん…15分くらいあるね、」
バス停、日陰に入ったというのにねっとりとした空気はほとんど変わらず。頑張って伸ばしている髪が首や頬に張り付くのが不快で、高い位置でキュッと結ぶ。首にタオルを巻いて、こめかみの辺りを伝う汗をその端で拭いてみるがキリがない。本当、嫌な時期だ。早く涼しくならないだろうか。夏なんて大嫌いだ。
「本当ごめんね、練習終わりなのに」
「いや、全然」
「スポーツドリンクでいい?奢るよ」
何か言いたげな彼はきっと拒否をしようとしていたが、己の罪悪感を消滅させるためにほんの数歩行ったところにある自動販売機でガコンガコンと二本、それを購入。今にも壊れそうな古い椅子に腰掛ければいいのに、律儀な彼はずっと立ったままで。頭悪いらしいけど、こういうところはキチンとしている彼は好感が持てた。
「はい」
「…すみません、ごちそうさまです、いただきます」
「どういたしまして、どうぞ」
そんな彼が可笑しくて、つるつるした肌にひやり、それを当ててやると影山くんはびくりと反応するから可愛くて仕方がない。自分よりもしっかりと背が高いし、一年生のわりに身体も出来上がっている。天才と称される男なのに、こうして2人で話しているとごくごく普通の律儀な男子高校生で、きゅんとしてしまう。
「…なに笑ってるんですか」
「かわいいなぁって、ごめんね?」
「悪いと思ってないですよね」
「うん、思ってないかも。ごめんね」
私が錆びれたそれに腰掛けてから、彼も腰を落とす。身体に張り付くワイシャツは気持ちが悪いが、喉を通っていく冷たい液体はずいぶん心地よくて、一気に三分の一を胃に流してしまう。彼の方を見ればまだそれを口にしていて、喉が乾いてたんだなぁとまた申し訳ない気持ちに。首筋やら鼻の頭の汗は、汗という言葉で表すのには少し違和感を覚えるくらいにみずみずしい。
「影山くん、」
「、はい」
ペットボトルを口から離し、私を大きな瞳できょろりと捉える。吸い込まれそうな深い深いネイビー。綺麗な色だ。睫毛は漆黒で妙に長い。
「汗、」
自分のタオルの右端に、彼のそれをトントンと吸い込んでもらう。ギョッとした彼は先程と同様に身体を強張らせたが、二秒もすると私の右手首をがしりと掴んで。
「…なんすか」
「っ、あ、暑いかなって」
調子に乗りすぎたろうか。春から烏野にやってきた彼がチームにとろんと馴染んでいくのが嬉しいのと、言葉にすれば神がかっているとしか形容できない才能。私はそれをあの体育館で自分の目で見て、可愛い後輩って括りでは収められなくなっていたのかもしれない。いや、好きとまでは言わないけれど、ちょっと近付きたいって、距離縮めたいって、そんな感じで。
「それ、日向にもしますか」
「え?」
「月島にも、山口にも」
「なに、なんでその3人が出てくるの」
「誰にでもしますか」
「なに、っ、痛い」
ぎゅうと力が強くなるのと、試合中のようなギラギラした目に逃げたくなる。私の声はちゃんと彼に届いたようで、口早に謝罪の言葉。熱い手首はじんじん放熱して私たちを取り巻く空気をどろどろとさせた。
「…影山くん?」
「みょうじ先輩は、そういうの誰にでもしますか」
「え?」
まだそれ聞くんだ、と思った。執着心なさそうなのに。いや、どうだろう。バレーボールに対してあれだけストイックなわけだし、強いのかな、執着心。もうこの気温と先ほどの彼の瞳にすっかりキャパオーバーな私は、彼の太ももに手のひらを重ねていた。我ながら思う、こんなテクニックどこで覚えたんだろうと。驚いたように彼がこちらに首を向けて、頬を赤くしているからまた可愛いなぁって思っている私は、結構影山くんのことが好きみたいだ。綺麗な顔との距離を狭くするのは、とてもスリリングで。
「影山くんにしか、しない…って言えばいいの?」
「…言えばいいのって、」
「やきもち?」
「やき、っ…違います」
「違うの?」
「…あぁ、もう、」
後輩だからってからかわないでください。そう言った彼の唇の横に唇を。バッと私から距離を取る彼がなんかもう、悔しくなるくらいに好きだった。ふふふって笑う私を不気味そうに彼は見ている。まだ付き合ったり、デートをしたりは難しそうだ。
「…いまの、」
「ん?」
「なんですか」
「キスだね」
「…なんで」
「バス、来ないね」
「いや、あの」
「影山くんだから、したよ」
私のその言葉にポカン。なにその顔、可愛いんだけど。そう伝えたら彼の機嫌を損ねそうなのでやめておく。あーあ、なんだ。私、影山くんのことすごい好きなんだな。悔しい。そう思う私の横で彼はスポーツドリンクを飲み干した。この後、彼は私にキスをしてくるわけで。彼の歯が私の唇にがちん、って当たって出血したのは、いま思い出したって最高に笑えるんだ。
2017/08/08