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自分で自分が何をしているのか、花巻はそれを理解する前に女と会話をしていた。本能みたいなやつが働いたのだと思う。ちゃんと会話が成立していたのかどうか、そう問われると返答に困ってしまうのだが、とにかく、わかった。ずっと恋い焦がれていた女の名前が、わかった。それが花巻を突き動かしている要因で、それはとても単純で、それが原動力になるのなら、もっと早くに聞けば良かったのに名前くらい、と。そう思わずにはいられない。あの、松川じゃなくても、たったいまこの恋の冒頭を知った誰しもがきっと、そう思うだろう。

「お待たせしました、」

声は、震えていないだろうか。表情はこれであっているのだろうか。この言葉のチョイスでよかったのだろうか。こんなに誰かを思ったことのない花巻はー…いや、改めて本当にそれってどうかと思うのだ。片手を楽に越える数の女と交際をして、こんなに熱っぽくなっているのが初めてって、それってどう考えてもやっぱり、ちょっとおかしくて。だってなまえとはさっき、話したのだ。あれが「まともに交わした初回の言葉」なのだ。それなのにもう、はちきれそうに好きで、身体の内側からじわじわ熱くて、息苦しくて。

「おつかれさま」

ふっと微笑んだなまえにそう言われて、花巻は一気に有頂天。アルバイトの疲労感なんてスポンと抜けてしまう。座る?と女に促されたので背の高い椅子に。さて、白状するが、この男はなんの武器も持ち合わせちゃいない。楽しい会話のネタもなければこのあと立ち寄れるおしゃれなレストランも知らない、女を口説くようなトロッと甘い言葉も、何もない。唯一あるのは、好きって、それだけ。

「すみません、本当」
「いえ、とんでもないです」
「あの、花巻貴大です」
「みょうじなまえです」
「みょうじさん、」

お察しだが、なまえの手元にあるカプチーノの量は彼女がこれを手にした時と全く変わっていない。じわじわ滲んでくる汗にぞっとした。何を火照っているんだ、歳下の男の子に名前を呼ばれたくらいで、こんなに動揺してどうするんだ。落ち着きたくてようやく紙カップの飲み口に唇を寄せて一口こくりと飲んでみたが、案の定落ち着くどころか身体が熱くて仕方がなかった。

「あの、」

さて、どこから話そうか。花巻は自分が仕出かしたこの咄嗟の行動を、ほんのり後悔し始めたところだった。いや、どちらにせよその感情は抱かねばならぬものだった訳だが、それにしたって今この状況を切り抜ける道筋などあるわけもなく、ひたすら言葉に詰まっている。そんな男を察してか、女がまた自己暗示をかけて口を動かし始めた。口紅はほんのり白い紙カップのフタにうつってしまったが、まだまだしっかりと発色していた。

「花巻くんは大学生?」
「っ、あ、はい、そう、です」
「敬語使わなくてもいいよ」
「はい、ありがとうございます」
「アルバイト大変だね、いつもいるもんね」
「俺のこと、わかるんですか」
「うん、わかると言うか、かっこいい男の子だなぁって思ってたから」

かっこいいって、そんな言葉はリップサービスで、きっと社会人の彼女の周りにはもっとかっこいい男が沢山いるって、花巻もそれは分かっていたが単純に嬉しかった。冗談かもしれないし気まぐれかもしれないが、褒めてもらえたのだ。その高揚感からか、もうブレーキを小まめに踏むのはやめて、思っていることをそのままぶつけてみる。暗めの、でも光に当たると透けるような艶々とした髪を耳にかける女が綺麗だったから、花巻はまたなまえを好きになる。何も知らない、なんにもしらないのに、好きの嵩が増していく。

「あの…ちょっと外で話せませんか。隣の公園で…5分くらい」
「あぁ、そうだよね。職場だもんね、出ようか」

申し出は快く承諾され、アルバイト先から抜け出して、外は春の呑気な香りが漂っていた。心地いい季節なのに隣にいる互いが刺激的過ぎて、2人はバクバク、心臓を動かす。公園のベンチまでは言葉も交わさずに歩みを進めて着席。寒くないですか、と花巻に問われたので大丈夫と、それだけ言葉を返した。やっぱりまだ、全然、すごく、緊張していた。

「好きです」

開口一番に、男はそう言って巻き戻したくなって、もちろんそんなことはできなくて。なまえは突然訪れた「すき」に困惑。私も好き、と言いかけるが幾らか大人なので言ってやらない。自分のそれに待て、と指示をして、聞こえないフリなんかしちゃったりして。

「え?」
「いや、すみません、違くて」
「違うの?」
「はい?」
「じゃあなんで今日、呼び止めてくれたの?」
「…なんでって、」
「ふふふ、ごめん、意地悪な質問だったね」
「…変じゃないですか?」
「変?」
「こんな、突然、」
「うん、変だなぁとは思うけど」
「思うんですね」
「でも、嘘じゃないでしょ?」

花巻に声をかけられた時点で、なまえは期待していた。日々の枯れ果てたこの日常に、誰かが潤いを与えようと特別イベントを実施してくださったんだと。彼がおふざけで自分に声をかけてきたのであればこんなにキョドッたりしないだろうし、言葉にも詰まらないだろう。もう少し視線が交差するはずだし、タメ口で話してくるはずだ。それに、嘘でもいいかもしれないと思った。憧れの花巻くんが私のことを好きだと言ったのだ。一回くらいデートできるかもしれない。大学生とデートって大丈夫?と冷静な自分もいるが、ここはもう、いいや。欲望を満たしてもらおう。焦がれた彼なのだ。カウンター越しでしか会えなかった彼の隣にこうして並んで座っているのだ。その事実がとにかく、なまえは嬉しくって、楽しくって。

「嘘じゃないです」
「うん、」
「はい」
「…え?終わり?」
「え?」
「話って、それだけ?」
「いや、え?」
「連絡先とか、交換しない?」
「します、あの、」

いいんですかと、そう問うてくる彼をぎゅっと抱きしめたくなったりする。いいに決まってるよ、ダメなわけないじゃん、もう、ほんと、バカだなぁ。

「私はいいけど、花巻くんはいいの?」
「いいです」
「歳上だよ、私」
「なまえさんは歳下大丈夫ですか」
「大丈夫って?」
「…その、彼氏、にするとして」

なんて答えてやろうか。さっきからこの男の一挙一動に胸を弾ませずにはいられない自分がいて、なんだか情けなかった。歳下の男の子ってみんなこんなに可愛いのだろうか。それとも花巻が特別可愛いのだろうか。考えても答えは出てくれないので、とりあえずスマートフォンを取り出してメッセージアプリのIDを教え合う。連絡先を交換したくらいで、これでもかと満足そうな歳下の男がいじらしくって、いいなぁ可愛いなぁと何度も声に出したくなったりする。

「ありがとう」
「こちらこそありがとうございます」
「ねぇ、」
「はい」
「花巻くんは、私の彼氏になろうとしてくれてるの?」
「え、いや…はい、まぁ、そうなれば、とは思うんですけど、」
「なんで私?」
「綺麗だから、」
「え?」
「なまえさん、綺麗だから」

なんかすみませんと花巻が口早に謝罪をしたが、それがどういう意味での謝罪なのかわからなくて。なんで謝るのって聞けば「名前で呼んですみません、馴れ馴れしいですよね」なんて言うもんだからまた余計愛おしい。なまえも調子に乗って「貴大くん」と今日知った男の名を呼べば歳下の彼はみるみる頬を染め上げるから、やっぱりどう考えたって可愛くて可愛くて、もうこればっかりはどうしようもなく可愛くて、仕方なくて。

2018/05/04