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「アイドルって言うかさ、もうね、そんな感じなの。癒しだから。日々の乾ききった生活に唯一潤いを与えてくれるのが花巻くんなの」

そう熱弁する私を、友人は呆れつつ、うんざりした様子で傍観していた。何この気持ち悪い女。そう思われているのが手に取るようにわかったが悲しくなんてなかった。それよりも花巻くんについての話をただただ聞いてもらいたかったのだ。そんな私の心理を察しているからか、言葉を挟んでくることはなかった。視線はずっと攻撃的ではあったが、最近の私はそんなものくらいなら無効化できる力があるので、そんなことは全然、全く、どうでもよかったのだ。

「で?」
「ん?」
「毎日行ってるんでしょ、そのハナマキくんに会いに」
「うん、平日は」
「で?」
「で?ってなに?」

冷ややかな視線は変わらない。何でこんなに話が通じないのか、彼女は理解しかねるのだろう。私はここからの話の流れはだいたい察している。叱られるんだ、同い年の親友に。いい加減にしろと、叱咤されるのだ。この歳になって真剣に怒られるなんて、なんかもう、笑えてくる。しかも仕事のことでもなければ法を犯しているわけでもないのに叱られる。
連絡先が聞けないだけでこんなに叱られるとは思ってもみなかったし、自分がおそらく(と言うかほぼ100パーセント)歳下の男の子に連絡先の一つや二つ聞けないなんて、もっと思ってもみなかったことだ。

「連絡先は?」
「聞けると思います?」
「思ってた、って言うか聞くって言ってたじゃん、この間飲んだ時に」
「え?言ってた?」
「言ってた、何なら今度こそ聞くって意気込んで練習もしてた」
「だよねえ」
「覚えてんじゃん」
「覚えてるよ、そりゃあ」
「じゃあ何で聞かないの」
「花巻くんの姿を見ると…なんかこう…とにかく無理なんだよね」
「は?」
「なんかもうほら、アイドルだから!オアシス!って感じ?何て言うのかな〜、遠くから眺めていたいんだよね、付き合うとかじゃなくて」
「付き合いたくないの?」
「付き合いたいか付き合いたくないかで言えば付き合いたいよ?」
「じゃあ、」
「でも、付き合いたいか、付き合いたくないか、遠くから眺めて癒されたいか、で言うと遠くから眺めて癒されたいって感じ。わかる?」

正面にいる親友は返事をする代わりに期間限定で販売されている如何にもインスタ映えしそうな苺のタルトをフォークで崩し、口に運んだ。美味しい?と聞いておく。それでも返事はない。

「あのさあ」
「なに?」
「勿体無いと思うわけよ」
「え?」
「ここ最近ずっと言ってるじゃん?ハナマキくんハナマキくん〜って」
「うん」
「かっこいいんでしょ?」
「うん、超かっこいいよまじで」
「背も高いし」
「うん、180は余裕で越えてる」
「おしゃれだし」
「あれは絶対おしゃれ。センスよさそうだもん」
「好きでしょ」
「うん、凄い好き」
「そんな人、滅多にいないよ」
「彼氏のこと好きじゃないの?」

ずっと同じテンションでなまえに語りかける彼女には付き合ってから一年くらい経った恋人がいる。それは以前から知っていることで、時々隣県に旅行に行ったりとか、彼への愚痴とかもちろん惚気とか、そういう類の話も多くはなかったが何度かしていたので、彼女の言葉が引っかかったなまえはシンプルな質問をした。返ってきた言葉も、先程と変わらないトーンだった。

「好きだけど、なまえの好きに比べたら、好きに区分していいのかどうかわかんない」
「区分?」
「とにかく、そんなにかっこいい!好き!どうしよう!って思える人なんか滅多にいないからどうにかしてください」
「どうにかできたらどうにかしてるよ」
「明日も行くんでしょ?」
「うーん、そうだね、行くね」
「なんかこう…ご飯とか誘いなよ」
「急じゃない?」
「…なまえ、ハナマキくんが急にご飯行きませんか〜って誘ってきたらどう思う?」
「誘ってくるわけないじゃん、客だよ?」
「誘ってきたら、の話をしてんの」
「超嬉しいよそりゃ」
「でしょ?」
「でしょ、って何?」
「大学生なんでしょ、ハナマキくん」
「多分ね」
「ノリで行ってくれそうじゃん」
「ノリ」
「そう、ノリで」

なまえだって、どうにかしたいのは山々だが、自分はただの常連客で、店員の彼に認知されているかさえもわからない。そんな状況で急に「あの私、みょうじなまえと申しますが、一度お食事ご一緒しませんか?」なんて話しかけたら通報されかねないと思う。そもそもあんなに綺麗な男の子に話しかけるのなんて無理、顔もまともに見れやしないのだから。
なのに、月曜日。いつも通り、今日もいつも通りだとしか思っていなかったし、友人にはまた叱られてしまいそうだが、話しかけるつもりなんてさらさらなかった。なのに、話していた。
花巻くんが私に話しかけてきたのだ。カプチーノを彼が用意してくれて、いつもならお待たせ致しましたと、そう言われるはずなのに。あの、すみません。そう問いかけてきて、目が合って、冗談でも比喩でも何でもなく、実際に胸がドキンと鳴った。あまりにもやかましかったので、うるさいと一喝したくなるくらいの音量だった。

「社員証」
「え?」
「すみません、急に」
「な、なんですか」
「え?あの、首、社員証…ですか?」
「え?」

相当驚いていた私は、彼の日本語をすぐに理解することができなかった。シャインショウ、という単語が脳内で変換されるまでに少し時間がかかる。首、と言われたところでようやくわかった。週初めでバタバタしていたせいか、それともいま話しかけてきた彼のことばかり考えていたせいか、首に社員証をぶら下げたままだったのだ。あぁ、すみませんと独り言にしては大きな声を出したが、花巻くんに視線は向けられなかった、途轍もなく、恥ずかしかったからだ。

「いえ、あの、こちらこそすみません、」
「いえ、あの、すみません、」

謝罪合戦に嫌気はさしていた。成人して数年、社会で日々揉まれている女とは思えないもじもじ感に、自分自身嫌悪感しかなくて。でもここからどうやって食事に誘うわけ?いやいや、それは無理難題ですよ。社員証が首から下がったままだったのを教えてくださってありがとうございます、お礼に今度お食事でも…なんて、どんなにポジティブに考えたって不自然。大人しくいつも通り、平日のルーティンをこなすことに意識を集中させていたところで呼ばれたのが私の苗字だった。素っ頓狂な声は私の声なのだろうか、瞬く間に進む展開から振り落とされそうで、振り落とされたくなくて、どうにか、何とかしがみ付く。

「あの、僕、花巻貴大です、あの、すみません、名前…気持ち悪いですよね」

アイドルだと、雲の上の存在だと、そう思っていた彼が自分の苗字を呼んでくれた。その事実と初めて知った彼のフルネームを、声に出してみたくてたまらない衝動に駆られる。オドオドする彼、何か言わなくてはならないと思うが、もちろんこちらも引き続きオドオドしているわけで。カプチーノです、と紙のカップで差し出され、終わりそうな会話にどうにか息を吹き込んで。

「え、いや、そんなことは、」
「あの、すみません、あの、ちょっと、」
「ん?」

自己暗示を脳内で。私は彼から見たら歳上の綺麗なー…はオプションだが、この際どうだっていい。私は綺麗な歳上のお姉さん。私は綺麗な歳上のお姉さん、私は綺麗な歳上の…と何度か心の内で唱え、仕事終わりにわざわざ塗り直している口紅に感謝する。顔が真っ赤な彼に問う。その前にもう一度自己暗示。大丈夫、私は綺麗な歳上のお姉さんなのだ。声をかけられたくらいでたじろいだりしない。余裕だよ、こんなの。歳下の大学生のオトコノコからナンパされるだけ、何の問題もない。

「どうかしました?」
「ちょっと、待ってていただけませんか」
「待つ?」
「はい、あの、あと5分で上がるので」
「うん、」
「すみません急に、あの、上手く言えないんですけど、話したくて」
「隅の席にいますね」
「え?」
「今日はここで飲んで行こうと思っていたので…、奥のカウンターの席で待ってます。大丈夫ですか?」
「いや、あの…逆に大丈夫ですか?」
「私は平気、」

待ってるね、なんてタメ口使っちゃったりして。そろそろ限界が押し寄せてきたので、ありがとうとカプチーノを受け取り、花巻くんのお返事は待たずに店内の端の席へ。心地よいはずの店内は真夏が間違えてやってきたのではないかと疑わずにはいられないくらいに熱くて、ホットドリンクなんて必要なくて、彼が来るまでそれに口をつけることはなかった。

2018/04/20