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ワンシーズンの恋だと、思ってた。
だって、彼は若いから。これからいろんな恋愛をして、それは私以外の誰かで、その中の誰かと幸せに暮らすんだろうと、そう思っていた。なのに、思っていたよりも私たちの恋は長く続いて、愛なんだか情なんだかわからない感情があって、もちろん未練とかもあるけれど、先の見えないこの関係に不安ばかりを募らせる自分と、そんな自分を安心させようといつも気を張っている彼を見ているのが嫌で。

「さみぃね」

そうだねと言って寄り添って、手でも握れば可愛い女だと、それくらいは頭で理解している。言うまでもないが行動に移すことはできない。嫌いだから?好きじゃないから?違う、好きで好きで、どうしようもなく好きだからだ。私は、本当は、こんなに好きになってはいけないんだ、彼のことを。黒尾くんが「もう終わりにしたい」と、そう選択をしたら私はわかったよ今までありがとう楽しかったと、そう微笑んで姿を消さねばならぬのに、今の私ときたら。

「なんか飲む?」
「ん?」
「ん、」

視線の先にはコーヒーショップ。私の返事を待たず、彼は店内へ。広い肩幅と大きな背中。平均よりずっと高い背丈。頭もお尻も小さい。どうしようもなく、引き寄せられる。ついていきたいという衝動はどうにも抑えられないわけで、彼の少し後ろ。店内はむわりと暖かくて、吐き出す息もクリアだった。

「見る?」
「決めたの?」
「エスプレッソ」
「早いね」
「これ好きそうじゃん」

季節限定の、妙に甘ったるそうな飲み物を指差して、私の方を見て。あのね、そういうの、ほんと、嬉しくなっちゃうからやめて。私のことわかってくれているんだって、それにホッとしている自分がいる。私はわかっているから。黒尾くんがこのお店に入ろうと提案した時にもうわかっている。エスプレッソ頼むんだろうなって、わかっている。そのくらいの時間を、私たちは共有してきたわけで、今もそれが積み重ねられていて、嬉しいけれど、いつガラガラと音を立てて崩れるかと思うと、ゾッとしたり泣きたくなったりもする。

「…これにする」
「生キャラメルラテね」

甘そー、と。独り言のように呟く彼。彼の左隣で、この角度から彼を見上げることにも、それなりに慣れた。これ以上慣れてしまったら馴染んでしまうような気がして、そうしたら彼の突然の提案に和かに対応できない気がするから、早めに言う。デート終盤でも別れ際でもなく、いまこの恋人たちが街に蔓延るクリスマス間近のコーヒーショップで、私は空気も読まずに言う。今日で終わりにしようって、言う。

「え?」

案の定な返事に、もう一度同じ質感の言葉を。黒尾くんは、いい子だしいい彼氏だしいい男だ。私がゴミクズみたいな、妬みとか嫉みとか、あとはなんだろう、嫉妬心とか、あぁそれは妬み嫉みの部類だな。とにかく、私が彼に相応しくない女だから、一緒にいるのが辛いんだ。大学の友人との飲み会だって本当は行って欲しくない。アルバイト先にどんな女の子がいるのか気になるけれど聞けない。私が仕事している間、何をして過ごしているのか気になって仕方がない。そんなことばかり考えて卑屈になる私と一緒にいても幸せになれない黒尾くんが、私は嫌だ。もっと幸せを感じさせてくれる人がいる。だから、終止符を打つ。

「別れよう」
「なんで」

ちょっと笑って、冗談だと思っている様子の彼にとどめを刺す。本気だよと付け足して、いつもみたいに喧嘩してヤケクソになってごねてる訳じゃないのって、それも言う。それと合わせて内側に留めておいたどろどろとした感情を途切れ途切れに。だから別れようと、最後にその言葉を添えて、泣きそうで。

「おわり?」

私が数秒黙り込むと、黒尾くんはそれだけ言った。それでおわり?と。その辺りで私たちはレジの真ん前に来たから黒尾くんがオーダーをテキパキと済ませる。私との会話なんてまるでなかったかのように、いつも通りの声色で、上にホイップクリームが絞られた甘ったるいそれと自分のシンプルなそれのメニュー名を告げて、私の方は見てなくて。あちらでお待ちくださいと、店員の指示に礼を言った彼はようやくこちらを見て、先ほどと同じ意味の言葉を繰り返す。

「それで、言いたいこと全部?」

私の方が歳上なのに、まるで4歳の女の子をあやすような彼の声を聞いたらぽろんと涙が落ちて、情けないとかっこ悪いでまた泣けてくる。一瞬焦ったような、彼の年相応の、困ったような表情が見えたような気がするが、気のせいだったのかもしれない。ぐすぐす鼻をすする私の肩を何も言わずに抱き寄せる。店中は幸せそうなカップルだらけ。私たちだけ別の色でべったり塗られているみたいに、何か違っている気がした。そうさせたのは私のせいなんだけれど、黒尾くんがまた、塗りつぶす。淡い、白に近いようなピンクで、たっぷり、どっぷり、塗りつぶす。

「よくわかんねえけど、別れなくてよくない?」
「え?」
「えっ?」

生キャラメルラテのMとエスプレッソのMでお待ちのお客様、と呼び出し。黒尾くんはそれに応じ、ドリンクを両手に持つとそのまま出口へ。私はやっぱり、彼についていってしまう。

「…なんで」
「ん?」
「別れなくていいって、」
「いや…なんつーか、俺、別れたくないし」
「でも」
「なまえさんの言いたいことはわかるよ」
「わかんないよ」
「…まぁ、そうね。全部はわからないけど俺も同じようなことは思うよ」
「同じようなこと?」
「仕事中何してんのかなぁとか」
「仕事してるに決まってるじゃん」
「いやそうじゃなくてですね」
「私、嫌なんだって」
「俺が?」
「違う、私が」
「ん?なまえさんが?」
「そう」
「なに?なまえさんがなまえさんのこと嫌なの?」
「…そう」
「そうなの?」

はい、と手渡されたホットドリンク。熱いよ、と。そんなの言われなくてもわかってる。君より長く生きているんだから、それくらいわかってるのに。

「俺のこと嫌いになってからでいいよ」
「…え?」
「なまえさん、俺のこと好き?」

黙る私に彼はちょっと大袈裟なくらいに笑うけれど、もう好きとか大好きとか、そんな話じゃないんだよ。私、黒尾くんとずっと一緒にいたいとか、ふざけたこと考えたりしちゃうんだよ。いろいろ、あれだけ考えて結局行き着くところはそこで、自分の欲深さに吐き気がして。

「そこはすぐ好きって言ってよ」
「…だって、」
「ねぇ、俺のこと好き?」
「黒尾くん、」
「ねぇ、なまえさん。俺はなまえさんのこと好きだよ」

ずるいよね、やっぱり。そうやって先手打たれたら私も言ってしまう。ほろっと、零してしまう。嬉しそうに笑ってくれる彼が私は嬉しくて、また好きが蓄積されて。

「…すき、」
「ほんと?」

頷く私に満足したのか、エスプレッソを漸く一口飲んで、吐く息は白くて。

「嫌いになったらでいいから、そん時まで…俺で良ければ、それまで付き合っててよ」

そんな風に丸め込まれて、指を絡めてくれる彼のことを嫌いになれる日なんてやってこないと、自分でもそうわかってまたこの、歳下の男に翻弄されている。自分の“ダメ”が浮き彫りになってまた苦しくなって、でも好きで、もう、いっそ、嫌いになりたいくらいだった。

「…ならないかもよ」
「ん?」
「嫌いに、」

ドキドキしているのが、はっきりと自分でわかった。何を口走っているのだろう。この、この冬のこの時期のこの独特の空気感にやられてしまっているのだろうか。縛ってはいけない、彼のことを押さえつけてはいけないのに、嫌いにならないかもしれないよなんて、自分の欲ばかりが浮き出て、言葉になって。

「ならない?」
「…うん」

間髪入れずに彼は朗らかに言う。それはそれでこちらとしてはとてもありがたいので、と。そう言うと指先に力を込めて。

「え?」
「さみいね」
「…寒いね」

店ん中で飲めばよかったと、そう独り言だと思われる言葉は宙ぶらりん。私は彼と繋がっている指先を握り返して、少し寄りかってみたりして。

2018/05/26 title by 星昼