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「おはようございます」

おはようございます、と。わかりきった返事が届いてほっとする。よかった、大丈夫だ、上手くやれている。人間関係を築くのが苦手な方だと、前職でそう痛感したばかり。挨拶が返ってこないことなんてよくあることで、そんな状況に慣れている自分もどうかしてて、でもやっぱり、誰かに嫌われるのは怖くて。新しい職場には、まだ慣れない。慣れないが、わかることがある。前いた場所よりも、随分マシだということだ。報告連絡相談は社会人の常識だろうと叱咤を受けたので些細なことも逐一伝えていたら「いま私が忙しいの、見ててわかんないの」と舌打ちする上司もいないし、これ誰の指示でやったの?と問われ課長の名前を上げたら「あ、じゃあ課長が悪いってことね、なるほどね」とよくわからない解釈をし、課長!聞いてください!みょうじさんが課長の文句言ってますよー!と無駄に大きな声で喚かれることもなく、ごくごく平凡な、当たり障りのない会社だった。なるべく目立たないように、失敗をしないように、縮こまって仕事をするのは決して心地よくはなかったが、仕事に心地よさを求めるのも何だか違うような気がして、割り切って電車に揺られて、そんな日々だ。

「飲まないの?飲めないの?」

赤葦さんは、配属先の先輩だ。私の次に年齢が若い。何で私はこの部署に配属されたのだろうかと、よくよく考えれば疑問でしかなかったが、今の今までそんなことを考察する余裕もなかったのかと、あぁそんなギリギリだったのかと、妙に感心したりもして。

「のま、ないです」
「何で?」
「すぐ酔っ払っちゃうので」
「嫌いなの?」
「嫌いってわけじゃ、」
「じゃあ飲みなよ、みんな飲んでるし、ちびちび飲んだらいいじゃん」

業務連絡で、何度か会話はしている。彼は5年目くらいで、私からすれば大先輩で、でも私が配属されるまでは彼が一番下っ端だったようで。赤葦の下が全然育たないんだよなぁ、と年配の上司がぼやいていたのを思い出す。だからみょうじさん、頑張ってねってその言葉が重いことに何で気付かないのだろうか。言われなくともそれなりに頑張ってるし、頑張りたいとも思っている。私は声を出さずにニコリと笑うのが精一杯だったし、赤葦さんは何も、言わなかった。

「すみません、注文いいですか」

だからこんな、誰が得をするのかわからない飲み会で、見えない溜息が充満する部屋の中、彼が私に話しかけてきたのはとても、予想外のことだった。何で話しかけてきたんだろう。そう思いつつたどたどしい会話が何とか成立していて、色々、不思議な感じで。

「何飲む?」

赤葦さんは何かこう、言葉でうまく表現できないのだが、格好いい人だった。濃紺のスーツは彼によく似合っていたし、それに合わせるネクタイもいつもシンプルで上質。革靴もキチンと磨かれていて、ちゃんとした社会人って、なんかそんなイメージだった。仕事ができると評判で、でも結構ぼぉっとしていることもあって、つかみどころがない感じ。そんな印象だった。私なんかが親しくなる相手じゃないと、30cmの物差しでピシッと、直線を引いていたのに。

「はい、乾杯、お疲れ様」
「おつかれさまです、」

私がオーダーした甘ったるそうなアルコールが届くと、彼はもう二杯目だと思われる半量くらい残ったジョッキをそこそこの勢いでぶつけてきた。二分の一を四分の一の量まで瞬く間に減らす。

「4000円取られるんだから、食べたいもの食べて飲みたいもの飲まないと損だよ」
「はい、あの、」

赤葦さん、次もビールですか?
私がそう問うと彼はにっこり、笑っていた。そうだね、ビールにしようかな。ポツンと吐き出された音は、ガヤガヤとした雑音ばかりが届いていた耳には新鮮で、優美で。

「ごめんね」
「え?」
「配属先、つまんないでしょ」
「いえ、そんな」
「俺も何ていうかこう…人見知りじゃないけど、後輩ってなんか…苦手じゃないんだけど、どうしたらいいかわかんなくて。特に女の子だと」

酔っ払っているわけでは、ないと思う。瞳は普段と変わらなかったし、頬が赤いわけでもない。

「私も、すみません。話しかけづらいですよね」
「いや、うん、まぁ、そうだね。そんなことないよ、とは言わないけど」
「まだ全然馴染めなくて、仕事もできないし」
「そう?俺はなまえさんのこと、頼りにしてるけど」
「私は赤葦さんを頼りにしてますよ」
「あはは、絶対嘘」
「嘘じゃないですよ」
「そ?じゃあどんどん頼って」

そのままどうでもいいことをたくさん話した。職場の話なんてほとんどなし。今まで訪れたことのある都道府県の話とか、会社近くにある定食屋さんのお気に入りメニューとか、好きな連ドラの話とか。職場の人間とこんなに自然に他愛のない話をするのは、すごく、とても、変梃な気がしたが、多分それってありふれたことなのだ。結構いいもんだなって、そう思ったりして。アルコールに強い彼は一定のペースでグラスを空にしていた。やっぱり酔っぱらっている感じではない。ただ形の綺麗な耳が、紅梅色に染まっていて、 綺麗だったのはよく覚えている。

「おはようございます」

ゴリゴリと耳の後ろあたりにあるリンパとやらをマッサージしてみたが、案の定、私の顔はいつもよりぱんぱんで、何か嫌だなって、何となく気分も上がらなくて。朝のエレベーター、開くのボタンを押して皆が身体を押し込むのを待っていると、昨晩よく見た顔。何の変哲も無い朝の挨拶。昨日はありがとうございましたって、そう言う前に彼の声。

「おはよう」

その柔和な一言であっという間に自分の耳が、頬が、身体が、全部昨晩の彼の耳と同じカラーで染め上げられて、しあわせとはずかしいと、そんな単純なもので満ちていく。はい、としか答えられない私に、彼はくすりと笑っていて、その様子は実に艶美で。ドギマギする私に彼は追い討ちをかける。昨日はありがとう、次は送らせてね、なんて。何でそれ、このエレベーターの中で言うの。バカじゃないの。

2017/12/05 あれ?壁紙、ピンクに変えた?