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「#エロ」のBL小説を読む
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ショーケースにきちんと整列したそれらはほとんどジュエリーのような扱いを受けていた。平日の昼間だというのに、なぜこんなに混み合っているのか誰かに教えて欲しいと思っていたが原因は意外にも簡単にわかった。
バレンタインデーだからだ。
本日は2月13日。明日は2月14日。単純なことだ。そんな行事もあったかなぁと、そうぼんやり思う。無関係極まりない。昨今のこの国はイベントに追われてばかりだ。西洋というワードが世界地図のどの辺りを示すのかはっきりとはわからないが、おそらくその辺の地域の行事を取り入れたがるのは癖か何かだとしか思えない。クリスマスとハロウィンも、もちろんバレンタインデーも関係ないはずなのに。なぜそんなものに踊らされなければならないのだろうか。経済をまわすためと言われればそれまでで、納得せざるをえないのだが…とかなんとか、そんなことを思いつつ百貨店の売り場をぐるりと一周し、幾つかのそれらの自分の為に買う自分は、すっかりこのイベントに侵食されていた。マヌケである。

「みょうじは?本命あげたの?」

当日の昼下がり、職場の全員が知っていることを主任の松川は堂々と問う。私に恋人がいない事は結構有名らしく、よくからかわれていた。もちろんこの男だってそれをわかっている。返ってくる答えを知っていながらこうやって聞いてくる辺りに性格の歪みが滲み出ているとしか思えない。若くしてわが部署のトップを任されている彼はいつものへらへらとした様子でそう尋ねてくるから温厚な私だってそれなりに腹が立った。嫌味ったらしいのはいつものことだし、こちらをからかっているのもわかる。自分が容姿端麗で頭脳明晰だからって、凡人中の凡人である私を少々小馬鹿にしている。だから無性に悔しくなって。

「松川さんは本命いくつ貰ったんですか?」
「質問に質問で答えるなっていつも教えてんでしょ」
「こんな時まで怒らないでくださいよ」
「で?どうなのよ」

いつもの挑発的な態度にイラっともするが、それ以上に、そんなことよりも。くくくっと上がる口角を、色っぽいと思ってしまうんだ。随分イカれてしまっている。
少し前までは、そんな風に見ていなかった。かっこいい人がいるなぁって、そのくらいで。周りの先輩や同僚が絶え間なく楽しそうに話していたからだろうか。ほら、日本人は多数派に巻き込まれやすいって言うし…。

「あげましたよ、本命」

もう子どもじゃないから、わかる。自分の顔が赤くなっている事も、自分なんかとは釣り合わない男に恋をしてしまったことも、わかってるから。わかっているからほおっておいてよ。もういいやって、そう思うまでそっとしておいてください。迷惑はかけないので。時間という揺るぎないものに解決してもらわないと誰にも解決してもらえないのです。

「…ふーん」
「松川さんはどうなんですか」
「ナイショ」
「…ずるくないですか」
「そう、俺ずるいの」

会社の女の子から、プライベートで知り合った女の子から、甘いそれらをたっぷり貰ったんだろう。考えなくたってわかることだ。そもそも彼女みたいな存在が数人いるのかもしれない。私にはそれを知る権利さえもないのだ。何度も言うが私は彼に釣り合わない正真正銘のただの同僚だから。

「…お疲れ」

退勤まであと一時間に迫った頃だというのに気分は落ち込んでいた。虚勢を張る自分にうんざりしていたのと、松川という男のレベルの高さを今一度痛感したからだろう。はぁと小さくため息をついたのはエレベーターの中。一人きりだったので壁にもたれていたが、小さな箱は3階で誰かが乗ってくるようで、ゆっくりと止まり、ゆっくりと扉が開く。うちの会社のエレベーターは上品というか丁寧というか、はっきり言ってしまえばノロマなので、ひとつひとつのモーションがとても遅い。そのせいなのか、エレベーターの前で待っていたのが松川だと気が付くのに少々時間がかかったし、午後からは終始彼のことをぼんやり考えていたせいもあってかつい、ふいに、彼に見とれてしまう。

「っ、お、お疲れ様です」
「どうしたの、ぼーっとして」
「いえ、あの、」
「で、さっきの件だけど」

松川は自分を見つめる私の視線を多少奇妙に感じていそうではあったが、普段通りあっさりと声を掛けてくれた。さっきの件、というワードを頭の中で検索してみるが何もヒットしない。明後日の会議で使う資料のことだろうか。それとも月末の作業についてだろうか。黙って、頭だけを動かして松川の方を見つめていると男は呆れた様に言う。ひやりと、冷たい声だった。

「聞こえてんの?」

私の背中は先ほどまでもたれていた壁に再び密着する…と言うより、松川によって密着させられている。男が私に迫ってきたのだ。小さな動く箱の中、操作ボタンのある角に私は追いやられ、色男は言葉を続ける。私の左耳の近くには彼の右の手のひらがある。時代の流れははやいのでもう死語かもしれないが“壁ドン”をされているようだ。近い距離に戸惑う私が今、報告できるのはそれくらいだった。

「さっきの件、詳しく」
「な、んでしたっけ、」
「は?」
「さっきの件って、」

苛立っている。何かミスでもしただろうか。自分の午後からの行動を振り返ってみるがピンとくるものはないしそもそも松川に嫉妬みたいなものをしながら時が過ぎるのを待っていただけで仕事という仕事をしていないのだ。まさかその件で怒っているのだろうか。

「みょうじ、彼氏できたの」
「はい?」
「彼氏できたのかって聞いてんの」
「な、んでですか」
「だから質問に質問で返すなって」
「…すみません、できてないです」
「じゃあ本命、誰に渡したんだよ」

ほんめい、という言葉がようやく私の脳内で結びつく。昼下がりのあの会話のことを言っているのか。それはわかったが、それがなんだと言うのだろうか。だってそんなの。

「うそですよ」
「…嘘?」
「えっ…本当に誰かに渡したと思いました?」

冗談以外の何物でもなかったその発言を、まさかバカ真面目にこの男が受け取っているはずがないとそう思っていたから。なんかすみませんとぽそぽそ謝ってみた。エレベーターはようやく目的の16階に到着し、間抜けな音で扉が開くことを知らせるが、松川はボタンを操作して、扉を閉める。松川の指は意志があるのかないのか…おそらくおおよそ適当だとは思うが4階のボタンを押していた。またマヌケなそれはゆっくりゆったり降りていく。はぁ、と男は大きく息を吐き、へにゃりとその場にしゃがみこんだ。

「なんなのお前」
「…あの、」
「ふざけんなよ、俺が馬鹿みたいじゃん」

真っ赤に染め上げた頬で、こちらをギロリと見上げる彼を、またほら、好きになってしまうから。すみませんと謝ることしかしない私を見て、色男はもういいよと小さく笑っていた。

2017/02/17 降参するならいまのうち