なぜ職場での飲み会を廃止する法律が生まれないのか、なまえはただ単純に不思議でならなかった。誰が得をするのか教えてはいただけないだろうか。
駅から程近い居酒屋で始まった飲み会。開始からどのくらい時間が過ぎたかこまめにチェックをしているが、その度にほとんど時計は進んでおらず、困惑せざるをえない。さしてアルコールに強い訳でもないなまえは、運ばれてくる料理を小皿に取り分けたり、吐き気がするほどつまらない上司の話にわざとらしくリアクションをとったり、それはそれは何も実らない不充実な時を過ごしていた。
そんな魔の2時間をどうにか消化し、お開きにする、と指揮をとったのはいま在籍する部署の若手ホープ、岩泉だ。先ほどから生ビールを勢いよく喉に流し、同期や後輩、先輩たちと楽しそうに話している。普段は真面目でクール、落ち着いたイメージだが、アルコールが一定量入ると少し賑やかになるタイプの人間だった。
「え〜、宴もたけなわではございますが」
「岩泉そんな言葉知ってんのな」
「知ってますよ、おれ、何歳だと思ってるんですか」
ケラケラと笑う岩泉に対し、いいから締めろよ、と明るい声でヤジが飛ぶ。スミマセン、とさして悪びれもせず謝罪をし、それでは、と仕切り直す。
「一本締めで、お願いします」
よーおっ、という呼びかけの後にパン、ときちんと揃った音が出た。普段はチームワークもくそもないが、こんなことばかりはしっかり息が合うものだ、となまえは変に呆れていた。
「それじゃ、お疲れ」
おつかれさまでーす!と、弾ける声。店をだらだらと後にし、予め手配しておいたタクシーに上司を乗せ、出発を見送ると、その場にいた殆どの人間が色々な重圧から解放されたのか、大きく伸びをして。
「っしゃー、やっと帰った」
「すごかったな、今日」
「いつものことじゃないですか」
「いや今日はテンション高かったね〜、付き合いきれなかったわ」
それぞれが思い思いの感想を口にする。なまえもはぁ、と心の中でため息をつき、腕に巻きつけた時計で時刻を確認する。まだ終電までは少し時間があった。
「っ、岩泉さ、」
「なー、二軒目!二軒目行こうぜ」
さてどうしようか、と。この飲み会が終わった後の気だるく、なんとも言えない独特の雰囲気。帰ります、と言い出すことは難しそうだが、入社したばかりのいわゆる新入社員はそんなことはさして気にしていないようで、そそくさと、控えめな声のトーンでお疲れ様ですと呟き駅の方向へと進んでいく。なまえはそうすることもできず、周りのほやほやした雰囲気に同化している時、突然、岩泉がなまえの肩に腕を預け、肩を組む態勢になる。驚きのあまり、声がほとんど出なかった。
「岩泉〜、みょうじに絡むなよ〜」
「いいじゃん、ねぇ?」
肩を組むと自然に距離が近くなり、ねぇ、という言葉と共に岩泉はなまえの顔を覗き込むものだからパチン、と視線が交わる。その瞬間なまえの心臓はドキンと跳ね上がるのだ。キュ、とつり上がった岩泉の目元は、いつもよりもとろりと柔い。アルコールのせいなのか高くなった体温もぐんぐんなまえに伝わり、どんどん熱が移ってきているような感覚に陥っていた。
「ねぇ、行こう、二軒目」
岩泉に耳元でボソボソそう言われて、もうなまえは限界で。周りの人間は酔っ払っているせいか、こちらになんてあまり目もくれず、スマートフォンでこれから行くのであろう飲食店を検索しているんだからタチが悪い。
「い、岩泉さん、近い、です」
「いや?」
「っ、いやとか、そうじゃ、」
そうじゃない、と言うのも何だか可笑しいのではないかとなまえは思った。現に嫌な訳ではない。とても恥ずかしいだけなのだ。
あぁ、もう、そうやって思考をまわすのさえ面倒だと感じるようになってきたのはあまり飲んでいないアルコールのせいか、見慣れない岩泉の瞳のせいか、もう何だっていい。
「いわいずみさん、」
「ん?」
「早く、行きましょう、二軒目」
奢ってくれるんですよね?と。軽く身体を押し付け、彼を見上げるなまえ。目が合った後すぐに視線をそらす岩泉の顔が赤くなっているが、それはアルコールのせいじゃないことをなまえは知らない。
「…なぁ、酔ってんの?」
「ん?岩泉さんよりは酔ってないですよ」
なまえの突然の反撃に岩泉はドギマギするが、ここで怖気づいて肩を離してしまうのは非常に勿体無い。酔っ払ったことにして、組んだ腕の掌でなまえの髪をくしゃりと撫でるんだ。
「岩泉、みょうじ、お前らいつまでいちゃついてんだよ」
「うっせ、うらやましいんだろ」
店決まったぞ、と誰かの声がして、もうすっかりアルコールは飛んでしまっているのに、2人とも少し酔ったふりをして距離を縮めるんだ。こうでもしないと大胆な行動を取れない岩泉は、自分の情けなさにクスリと笑うのだ。
2016/09/04 心地よく火傷