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「気分はどうよ、新婚さん」

嫌味、というか。揶揄っている、というか。その言葉そのものは最近入籍した女を祝ってやろうという目的で投げかけられたわけじゃ無いと、そんなことは一昨日婚姻届を提出した女も、そして思ってもいない「いいなぁ」を零すなまえも、分かりきっていることだった。休憩中でも無いが、ゆるりとした雰囲気が漂っているのはやかましい店長が出張の為、不在にしているからだろう。3人はそこそこほどほどに手を動かしながら、それなりのペースで口も動かしていた。どちらかと言えば、口の方が滑らかに動いているような気がする。

「何も変わらないですよ、2年前から同棲してたし」
「へぇ、今なんて呼んでんの?あなた、って?」
「呼んでないっすよ〜、そんな雰囲気じゃないし」

結婚適齢期の女は照れ臭そうにすることもなく、オブラートに包むこともなく、ごくごく自然に言葉を返す。そんなもんかね、と黒尾は興味なんてまるでなさそうに、1人でぶつくさと唱えた。御構い無しに黒尾と同期の女はとんとん話を進めていく。ちなみに、そんなに重要では無いが簡単に説明をすると黒尾が1番歳を重ねていて年長者、30になったところだ。次いで幸せハッピー絶頂女、なまえ、という具合だ。

「黒尾さん結婚しないんすか」
「相手がいねぇよ」
「本当にいないんですか?」
「そうなのよね〜、いないのよ〜」
「黒尾さん、そんな悪く無いんですけどね。雰囲気イケメンだし」
「そのさ、雰囲気って言葉はつけなきゃダメなの?」
「私、黒尾さんが彼女いないって聞いた時ビックリしましたもん。モテそうなのに」
「誰かさんと違ってなまえちゃんは嬉しいこと言ってくれるね〜、誰かと違って」
「本音と建前って言葉がありますからね、この国には」
「可愛くねぇ人妻だな」

テンポのいい2人と、その2人に少々気を遣いながらも思ったことを口にするなまえの、おふざけとおちゃらけで成り立つ会話。黒尾は確かに見た目はそんなに悪くなかった。平均点以上、合コンのメンツにいたら小さくガッツポーズするくらいのレベルだ。ドキドキして話しかけられない、というほどではない。つまるところ平均点プラス10点くらいの男だ。見た目に関しては、だ。中身はよくわからなかった。仕事はできたし、この手の会話にもきちんと参加してくれるが、いまいち素性がわからないタイプだった。

「インドアですもんね〜、黒尾さん」
「うん、最近特に」
「出掛けないんですか?」
「引きこもってんね、最近は」
「何してるんですか?」
「うーん…なにってこともないけど」
「酒飲んでるんでしょ?昼間から」
「飲んでねーよ流石に、たまに飲むけど」
「彼女欲しくないんすか?」
「欲しいに決まってんだろ、欲しいか欲しくないかという二択がもう愚問だわ。癒されてぇんだよ俺だって」
「勿体無いですよね、黒尾さんが彼女いないって」
「すげえ褒められてる、もっとちょうだい」
「本音と建前」
「本当うるせぇなお前」

俺だってそりゃ彼女も欲しいし結婚とかしたいとは思うよ?と。作業する手は止めず、男はどろりと言葉を吐き出す。そのまま彼は声帯を動かし続けた。

「でももう無理だね、諦めてる」
「えー?何でですか」
「なんとなく。なんかね〜無理だろうな〜ってね、思うよね。そう無理なんだよね」
「なんすかそれ…」

んー、と。曖昧なままこのテーマとは一度サヨナラ…かと思ったのに。なまえに話を振ってきたのはこの話題に全く興味のなさそうな黒尾だった。ただ、なまえのことを見る訳でもなく、相変わらずパソコンの画面を見つめながらほとんど関心なんてなさそうに聞いた。興味ないなら聞かなきゃいいのに、と第三者は思うが多分黒尾はこの頃から何となく、なんとなーく、そうだったんだと思う。

「なまえちゃんは結婚願望ないの」

婚約した女の前だ。羨ましいなぁとか幸せですねぇとか、そんな思ってもいないふわっとした言葉を発していたなまえは黒尾の問いかけにどう答えるか迷って、でもそんなことを考えていることが面倒になってすとんと言ってしまう。ないですねって。

「珍しいね、女の子で結婚願望ないって」
「ないと言うとアレですけど…私も諦めてますよ」
「えー!!なんで?勿体無いよ〜」
「不適合者なんですよね、多分」
「あ、すげーわかる。俺も不適合者」

そこでようやく黒尾はなまえの方を向いたが、なまえはそんなことに気付きもせずにキーボードをのろのろと叩いていた。タイプミスが多くて全く捗らないが、捗らせる意味もない。納期はまだ先だ。急ぐ必要も焦る必要もない。

「え、じゃあさ、いいじゃん」

にこっと、効果音が聞こえてきそうな笑みだった。これが婚約という素晴らしく幸福そうな雰囲気に包まれたそれを体験した女の余裕なのだろうか。興奮した様子で女は言った。よくある、ありふれたくだらないノリだった。最終的にこの女は私がキューピットだ、としゃしゃり出るんだけれど。まぁ今はそんなことはいいのだ、どうだって。

「黒尾さんが35になって結婚する相手いなかったらなまえちゃんと結婚する」
「なんだそれ」
「…私と黒尾さんじゃ釣り合わないです」
「俺なんかになまえちゃんは勿体無いですよ」
「いいじゃん、言うだけタダだし」

その場のノリだ。深い意味なんて全くなくて、ケラケラと楽しい音が響けばそれでいい会話。この3人はきちんとそれをわかっている。だからこの後に発する言葉1つ1つも軽薄なものだ。薄っぺらいそれなのに、わかっているのに。

「じゃ、5年後なまえちゃんのこと貰うわ」
「…はい、黒尾にしてください、」

互いに少々、どきりとした。結婚に興味のない若者は増えている。理由は様々でここに書き出すと吐き気しか催さないので箇条書きにしたりはしないが、まぁ。それでもいまこのおふざけで察したプロポーズもどきの言葉とその返答に男女はちょっぴりドキッとして、ぱっと合った視線に困惑。あれ?なにこれ?そう思ってそれを確かめようと手を伸ばそうとした時、幸せボケした空気の読めない女がボリュームの調節ができていない声量で言う。

「ねぇちょっと!黒尾にしてくださいだって!ちょっと!よくない?!」
「いやわかってるから…なまえちゃん、ちょっと待ってもっかい言って」
「…え、…なんかいやです」
「お願い、もう一回」
「黒尾さんパワハラですよ」
「お前がでけぇ声でぶち壊すからだよ…余韻…」

はぁ、と落胆した男は心の中で何度も繰り返していた。そして女も同じだった。結婚って何なんだろう、深く考えたら負けだが、あんな言葉を言われるのなら少なくとも、プロポーズって悪くないのかもれない。そんな呑気なことを、特に黒尾は、それをたっぷりと考えていた。自分がその言葉を、半年後にもう一度同じ女の前で発することも知らずに、だ。

2017/07/10 コーヒーカップで乾杯