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触れた唇に、勘違いしてしまうから、しないでほしかった。いくら酔っ払っているからって、なんか、そんな雰囲気だからって、やめてよ。私たち、そんなんじゃないのに、“そんなん”に昇格できるんじゃないかって、変に期待しちゃうから、やめて。

「ねぇ」

やめようよ、と。そう言いたかった。私たちは付き合っていない。友達以上恋人未満でもない。ただの、友達だ。だからそう言いたかったんだ。こんなのだめだよやめようよ。そう言うつもりだったのに、この、及川徹という端麗な男の瞳に捕らえられたら、もうそれはそれまでで。

「…だめ?」

及川は最近、とても大切にしていた恋人に振られたらしい。料理がうまくて、髪が艶々で、お化粧がじょうずで、背の高さは平均より少し上くらいの、控えめな美人だった。SNSで何度か、憎いその女の姿を確認したことがある。並んで笑う二人は芽生えてはいけないおどろおどろしい感情がふつふつ湧き上がってくるほどにお似合いで見ていられないほどだった。及川はあの女のことをとても大切に愛していたし、あの女も及川のことが大好きなんだろうなあと、当たり前のようにそう思っていたものだから、別れたと男の口から告げられた時は信じられなかったが、その次の瞬間には内心、飛び上がっていた。及川が俯いていてよかった。私はたっぷり、口角を上げてしまっていたから。
彼女と別れてから及川は、不意に私に連絡をよこした。細かなことに気付く男だ。私はひっそり、彼に想いを寄せているつもりだったが、そうではなかったようだ。及川はそれに気付いていながら(下心があったのかなかったのか、こうなった今でも正直分かりかねるがー…)たまに、二人で会った。私の家に及川が来ることも、私が及川の家に行くことも、二人の家の中間地点くらいの居酒屋で会うこともあった。前回まではなにも、なかった。私はそうなってもいいと、初回からそう思っていたが、及川は何もしてこなかったのに。

「…ね、」

今回は最後のパターンだった。居酒屋で飲んで、解散するかと思っていたら彼が言ったんだ。飲み直そうって。願ったり叶ったりな私は二つ返事。明日の仕事?そんなの気にもならなかった。及川のことが好きだからだ。途中のコンビニで酒類と軽食、あとは私のリクエストでアイスクリームを、及川がまとめて購入してくれた。半分出す、という提案は可決されないとわかっていたが一応発言したものだった。その帰り道から、及川が弱っているのがわかった。手を、握ってきたからだ。手のひらなんか繋いでどうなるんだと、そう思わずにはいられない年齢になってきたが、やってくる温もりに思う。好きな人の体温と肌の質感には、ドキドキせずにいられないと、そう切に思う。

「なんか言ってよ」
「そんなこと言われても、」
「不安になるじゃん」
「…不安?」

わかりきってるくせに、よくそんなことをのうのうと言うもんだ。私がずっと男友達の恋愛相談に乗っているふりをしていたことを知っていて、よくもまぁ。それに加えてこの男とこういう流れになって拒否をする女はどちらかと言うと少数派だと思う。及川徹はそういう男だ。出会った頃からずっと、私みたいな顔もスタイルも平々凡々な女には手が届かない、そんな人間なんだ。それが今、私に覆いかぶさろうとしている。こんな日が来るのであれば苦痛でしかない満員電車も、くだらない業務も、罰ゲームとしか思えない職場の飲み会も、なんか全部、この日の為の充電期間的なものだと思えばアリなのかもしれないと思えてくるから私もそれなりに狂っている。

「なまえ」

呼ばれた名前を、何度も耳に刷り込む。私の唇と彼の唇が何度も、一瞬だけ重なる。私はされるがままで、あわよくば、なにも言わなければこのまま最後までしてくれるのだろうかと、そんなことまで考えていて我ながら最低だと思った。及川の唇が触れるたびに涙が出そうになるくらいに嬉しくて、離れるたびに悲しくて寂しくて虚しくて泣きそうになった。イコール、私は泣き出してしまっていた。瞳からぼろぼろと涙が落ちる。及川はぜったい、それに気付いていたのに、なにも言ってこなかった。まるで見えていないかのように振舞って、あぁなるほどって、その辺りで考えるのをやめた。買ったばかりのペールピンクのチークがよれてしまうのなんてもう、気にしない。濡れた頬を自分の手のひらで拭う。及川の首に腕を絡めて、自分からキスをする。唇が離れると、悲壮感に押しつぶされそうになるから長いキスをした。舌だってこちらから絡める。及川はちゃんと、それに応えてくれた。この苦しさは単純に呼吸がしにくくて苦しいのか、それともとりあえず目の前にいる適当な女を抱きたいという及川のきまぐれな欲望でしか抱いてもらえないという現実に打ちひしがれているのか、なにがなんだか、判断さえもできなかった。

「聞かないの」
「ん?」

黙っていればいいんだ。黙って喘いでいるのが正解だとわかっているのに、私は口を開く。こうしてしまったら自分の望むような展開にはならないと知りながら、服の中に手を突っ込んでくれた彼に、聞く。

「なんで泣いてるの…とかさ、…俺のこと好きなのとか、なんか、そういうの、聞かないの」

震える声でなにを聞いているのだろうか。くだらない、取るに足らない質問だった。何故それを聞いてこないか?そんなことを質問して答えてもらわないとわからないほど、こちらも子どもじゃない。わかりきった答えをどうにか裏切る回答が欲しくて、私は見苦しくもがく。嘘でもよかったのかもしれない。でまかせでもよかった。一度だけでもよかった。私を私として、見てもらいたかった。私が今、この場面をどれほど望んでいたのか。欲を言えばこんな…おこぼれでの交わりが欲しかったわけではないが、そんな贅沢を言う資格などないことはわかりきっている。

「聞いてほしいの?」
「わかんない」
「なまえが聞いてほしいなら聞くよ」
「なにそれ」
「…なんだろうね」

俯いた男の睫毛は、彼の綺麗な色の瞳に影をつくる。何を考えているのかわかりたいのに全然分からなかった。苛立っているのだろうか、面倒だと思っているのだろうか。それとも全く別の感情を抱いているのだろうか。

「及川は」
「ん?」
「及川は私のこと、好きじゃないでしょう?付き合ってたあの子のこと、忘れられないんでしょう?私なんかじゃ、」

あの子の代わりにもならないでしょう?
そこまで吐き出したかったのに、声が出なかったし、及川は私のそんな醜い言葉が聞こえているだろうに黙ったままだった。うんともすんとも言わなくて、ううん、うんともすんとも言わないくせに、唇を重ねようとしてくるし、私はそれを拒めないし、好きとか嫌いとか、もうそんなことを考えるのも面倒になってきたし。

2018/07/15