「誕生日だったでしょ?」
学校の、自販機前。なまえは突拍子もなく青葉城西バレー部エースを呼び止める。岩泉、と。甘ったるくはない、さっぱりとした、レモネードのようなやや大きめの声。書き込みの少ない教科書と乱雑にとられたノート、シャープペンシルと赤のボールペンと消しゴムしか入っていないペンケースを持った男は呼ばれた己の名前に疑問を持ちつつ、返事をする。
「ん?」
「岩泉、昨日誕生日だったでしょ?」
「あぁ、まぁ」
話したことがないわけでもないが、良く話すわけでもない。友達かと言われるとそうでもないが、友達だと主張しても誰も怒ったりはしないはず。そんな、関係だ。
急に呼び止められた男は、周りにいた数人に先に行ってくれと言い、その場に立ち止まる。にやにやとしている男子生徒は後ろを…、岩泉となまえをチラチラと気にしていた。以前から噂が立っている?そんなわけではない。単純に、女子に声を掛けられて歩みを止める岩泉が、物珍しかったのだ。おまけに、相手は学年でもよく目立っているなまえなわけで。
「何で知ってんの?」
「学年全員知ってるよ」
「いや、それはねえだろ」
そんな関係だけれども、女は岩泉が好きだった。でもわかっているのだ。自分のような女が、この硬派な男に相手にされるはずがないと。こうやって髪を派手な色に染めたって、みんながしていない化粧をしたって、スカートを腰で3回折ったって、この距離が近くならないことを、なまえは知っている。高校に入学して、初めての春。同じクラス、隣の席になったのが岩泉だった。当初から煌めいていた彼はよく目立っていたしクラスの真ん中にいて、なまえはどちらかと言うと隅にいた。好きだけが積もって、高くなって、でも全然グラグラしないのだ。積み木みたいにガラガラ崩れてしまえばいいのに、日々一定量蓄積されてしまうから。
「はい」
自分を変えたかった。自分も真ん中になれば岩泉との距離が変わるのではないかと、そう考えたのだ。おかげさまで、友人は増えた。他校にも何人か、連絡を取り合う人はいる。でも岩泉との距離は、たいして変わっていない。どのくらい変わっていないかと言うと、未だ連絡先も聞けていない。もう、3年の夏がすぐそこまでやってきているのに、だ。
「おめでとう」
ガコン、と落ちてきたそれを男に差し出すとキョトン。不思議そうにしている岩泉は、派手な女の瞳に問う。貰っていいのか、と。その問いを声には出さなかったが、雰囲気で伝わっているようで、彼女は答えをくれる。
「うん、あげる」
「なんで」
「なんでって…誕生日プレゼント」
これもあげるよって、ポケットからカラフルな包装紙に包まれた飴玉なんか握らせて、じゃあねって去ろうとするなまえの背中に声を飛ばす。それに反応し、くるりと振り返ったなまえの、くりりと巻かれたミルクティー色の髪が揺れて、窓から差し込む光と合わさって、キラキラ、綺麗で。
「いつ?」
「え?」
「誕生日」
「誰の」
「みょうじのに決まってんだろ」
少し前に迎えた自分の誕生日。とても普通のよくある、なんでもない一日。それを岩泉にポツンと伝える。そう、2人は、何も知らないのだ。いや正確に言えばなまえは知っている。ずっと恋い焦がれている相手だ。多少、岩泉のことは知っている。誕生日も血液型も出身中学校も。でも、岩泉は知らない。なまえがなぜ自分の誕生日を知っているのか、こうやってスポーツドリンクを渡してくれたのか、彼女が2年になった辺りで派手になったのか。なにひとつ、わかっていない。でも、ひとつ知ったから。尻のポケットに突っ込んである財布を抜いて、どれがいい?って。
「え?」
「誕生日プレゼント」
「誕生日プレゼント?」
「どれ?」
「…これ」
「これ?」
岩泉の指が、ボタンを押して、自販機はきちんと、それを排出する。男が腰を曲げて、拾い上げて、キンと冷えた炭酸飲料をなまえに手渡して。
「はい」
「…ありがとう」
「おめでとう」
「え?」
「誕生日」
それは私の台詞だと、なまえはそう思って泣きたくなった。緊張した、すごく、ドキドキした。移動教室で、この時間にここを通ることは、彼と同じクラスの友人に確認したことだ。待ち伏せて、震える声でいつものメンバーで少し気だるそうに理科室に向かう彼に声をかけるのは、全身が張り詰めるようで。笑わなきゃとか、前髪割れてないかとか、急に話しかけて変に思われないだろうかとか、色々なくだらないことで頭はいっぱい。それがいま全部、吹き飛んだ気がした。男から、言われたのだ。誕生日おめでとうと、そう、言ってもらえたのだ。なのに。
「来年まで待ってっとお返しできねえから」
これありがとなって、そう言葉を残して彼は廊下を緩く走って行ってしまう。そうなんだよね、私たち、来年にはもう、この学校にいないもんね。あぁもう、なんで1年のこの時期に、いやもう最悪2年の頃でもいいけどさ。全部遅いんだよ、遅い、遅すぎるよ。なに今ごろ声かけて満足してるの、ねぇ。
彼から貰った炭酸飲料はゆっくり、汗をかきはじめている。最後の夏が、始まる。
2018/06/10 title by 星食