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家賃が安くて、家具家電備え付き。それが決め手だった。適当に揃えられたとしか思えないテレビ台やテーブルは洒落てなどいなかったが、生活をするのに支障はなかった。でも、このベッドだけは。安っぽいパイプベッドは及川が律動するたびにぎぃぎぃと声をあげるので、やかましくて堪らない。平日の昼間。隣人はきっと不在だろうが、逆に言えば生活音がほとんどしないのでその音がこれでもかと大きく聞こえるのだ。あと、私のどこから出しているのか自分でもわからないような、聞きなれない上ずった声。この2つがとにかく、うるさくて仕方なかった。

「また?」

彼とは大学に入学してから出会った。お互い地方から出てきて、初々しい感じ。「友だち100人できるかな」とまではいかないが、それなりの夢と希望を持ち合わせてトカイにやってきた。人がごちゃりと溢れていて、呼吸することで疲労するくらい。及川はすごくよく目立つ男だった。背が高くて顔も綺麗。バレーボールが上手で、中学・高校の頃は天才セッターなんて呼ばれていたらしくて、それは大学に入ってからも変わらないようで。
私もほんの少しの間だけれど、バレーボールをやっていたから、そんなところから仲良くなったんだと思う。普通に連絡先を交換して、たまに一緒に授業を受けたりして、普通に距離を縮めた。付き合ってるの?とたまに問われることもあった。首を横に振る。私には地元に彼氏がいたし、及川はこちらで可愛い女の子を彼女にしていた。

「また別れたの?」

私の部屋。狭いからソファなんて置けない。ベッドをソファの代わりにして、高校生の頃に流行った連続ドラマのDVDを見ていた。スナック菓子の袋をパーティー開けしてつまんでいる私たちの話題は、及川の恋愛について。その可愛い彼女は、大学に入学して約一年の間で3回変わった。3回変わったが、3人とも可愛らしい女の子だった。3回目になるとこちらも「またか」というような感情しか持ち合わせなかった。別れたのもおなじような理由だろうなと、そう思っていた。

「またって言わないでよ、前の子よりはちょっと長く持ったでしょ?」
「4ヶ月は長いに分類されないと思うけど」
「だって振られちゃうんだもん」
「振られちゃうんじゃなくて、」

及川が“振らせてる”んでしょう?
そう言おうかと思って、でもそれは余計な一言な気がして、私はとりあえず口を噤んでおいた。
彼は当然、人気があった。周りからキャーキャー言われていたし、校内でもとても有名だった。及川徹のことを知らない人はほとんど、いなかったと思う。だから、色々な噂みたいなものもあった。付き合う前は優しく温和な雰囲気だが、付き合った途端ひやりと冷たくなるんだ、と。それはなんとなく、私にも想像がつくことだった。正確に言えば最近その言葉の意味がわかるようになってきた、という感じだ。及川は基本的に誰にでもいい顔をする。八方美人とでも言えばいいのだろうか。でも別に、特定の誰かと仲良くしている感じはない。同性の友人とつるんでいるイメージもほとんどない。部活がオフの日に誰かと会っているイメージもない。いや、なんと言うか、私の自惚れかもしれないが、そういう友人は私だけだと思う。

「ん?」
「いや、いい」
「え?なに?」
「何でもないって、それよりほら、次の目星はつけてるの?」

ずいと、及川に近付いてそう言った。長く、なぜか弧を描いているまつ毛が綺麗で、瞳はちゅるりと大きい。女の子、それも幼女のような輝きを放つ。見惚れるのは当たり前だったし、何度か彼に直接伝えたこともあった。そんな言葉に慣れているだろうに、彼は嬉しそうにして、本当?ありがとうって微笑んで、その顔も勿論美しくて。

「目星?」

その端正な顔が、ほんのり歪んだらしいが、私はあまり気付かなかった。そもそもこの時はそんなに彼の顔をまじまじと見ていなかったので当たり前だ。顔を覗き込まれて視線が合って、なんとなく逸らしたくなった。じんわり、背中が熱いのはなぜか、全然わからなかった。

「…酷くない?それ」
「なに、」
「わかってるくせに」
「え?」
「知ってるくせに」
「…なにを、」
「俺がなまえちゃんのこと、好きだって」

わかってるんでしょ?と言われて否定はしなかった。そんな噂がぼんやりあったけれど、及川には彼女がいたし、私には彼氏がいたし、そんなわけだし、そもそも彼のようなルックスの人間が平々凡々、中の中の中な私をそんな目で見ているわけもないし。

「ねぇ」
「なに、っ、」

暖かくなってきたとはいえ、まだじゅうぶん肌寒かった。及川の指先が私の髪を撫でたかと思えば、頬をゆらゆら撫でる。彼が私に覆いかぶさってくるから、私は彼と重ならないために身体をベッドに預けるしかなかった。じゅくじゅく、熱くなるのがわかって、気持ちはすっかりぐらぐら。私は及川のことが好きなわけではないが、けっして、嫌いでもなかった。だって、その噂が耳に入った日の夜は鼻歌ばかりうたっていたから。可愛いラブソングなんか奏でちゃって、お風呂上がりにちょっといいボディークリームなんかつけちゃって、翌日及川を見かけたらなんだか触れたくなっちゃったりして。だって、そりゃあ嬉しいじゃん。こんなに格好良くて、大学中の女の子が彼に憧れていて、その男が、自分に発情しているなんて光栄以外の何物でもなくて。拘束された手首は大いに喜んでいた。

「っ、ん…」

及川は若干、戸惑っているような感じがした。私が拒まないことに、拒否の言葉を出さないことに違和感を抱いているようだった。優しいんだよなぁ、意外と。多分やめてと言えば彼はカラリと笑って「ごめんごめん、びっくりした?」とか適当に言いながら距離をとってくれると思う。正直、私もわからなかった。このまま進めない方がいいのか、自分の欲望に従うべきなのか、理性はまだ、割と元気に息をしていたからあえて聞いた。及川の、心臓の動きを止めてしまいそうな理性に、聞いてやった。

「やめてって、言った方がいい?」
「え?」
「やめて、こんなの嫌だよって、泣きそうな顔で言えばいい?」

いやじゃないの。及川がたっぷり絞られた声で言った。嫌じゃないよって言えばいいの?と聞こうかとも思ったが、愚問だと思ってやめた。

「いやじゃないよ」

及川の理性が生き絶えて、私の理性は相変わらず元気だった。及川ってどんな女の子が好きなんだろうか。最中は積極的な方がいいのだろうか、程々に恥じらう初心な感じが好みだろうか。とりあえず無難に、適度な恥ずかしいをトッピングしながら彼の欲望をたっぷり受け止めればいいのだろう。あとは回数を重ねて学んでいくしかない。私は何ヶ月、彼の彼女でいられるだろうか。彼のじわりと汗ばんだ身体が愛おしくて、離れたくないけれど本気になったらそうなった時にボロ雑巾みたいになるのは私だとわかるから、ちょっと泣きたくもなったりした。

「なまえ、」

可愛い彼女たちが、さっさと及川の前から去っていくのがわかる気がした。こんな男に、こんないい男に振られたりしたら一生立ち直れないからでしょう?だから振られる前に振るんだ。だって、こうやって身体を重ねて名前を呼ばれただけでもう、好きが体内に充満するから。もっと呼んでって、そう言ったら及川は何回も呼んでくれた。早く離れないとって、そう思った。

2018/03/12