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美人な女のまつ毛のようで、見惚れた。つるつるとした男は、1つ年下とは思えないくらいに瑞々しくて、たっぷり水分を抱え込んでいるのがよくわかった。悪いことをしてしまったろうか。そう思うが、この光景が自分のものになったのだから、そう呑気なことも言っていられない。随分と長いこと、そうやってジッと、端麗な男を眺めていると、漸く男の瞼がゆっくりと持ち上がる。彼は多分、何も覚えていない。昨晩のことと、もう1つのことと。なまえはそう思って、ほんのり残念だった。せっかく楽しかったのになぁと、そう思いつつ、取り敢えず。

「おはよう、」

朝の挨拶は見事に無視。きょろきょろ、磨き上げられたように秀麗な瞳が踊る。まだ影山の脳は活動を中止しているし、声帯もクローズの看板を掲げているのだろう。男は目を開けたまま眠っているように見えた。もう一度おはようと言って、ついでに名前を呼んで。

「影山くん」
「…おはよう、ございます」

よくできました、と拍手したい気分だったが、次第に男は状況を把握しつつあるようで、ガバリと起き上がり、部屋を見渡す。あれ?ここ、自分の部屋だよな?そう顔に書いてあった。そう、それは正解である。部屋は間違いなく、この男の部屋だった。大学に進学して早三年。住み慣れた部屋だ。物がほとんど増えないので、散らかしようのない、シンプルでつまらない部屋だ。進学するという時に両親に買い与えられた遊び心のない家具は、センスが悪いわけではないし、悪くはないのだか、若者の部屋にしては落ち着きすぎている。漫画本とか、飲み終わったペットボトルとか、そんなものがその辺に投げてあってもいいはずなのに、なにもなかった。こんな部屋でどうやって時間を消費しているのか、不思議なほどだった。

「あの、」

あんた誰ですかと、そう言われるかと思ったが、影山も幾らかなまえに配慮をしているらしく、鋭く声を投げつけてきたりしない。気が動転しているのは一目瞭然だったが、落ち着け思い出せと、彼の脳が指令を与えて葛藤しているのもよくわかる。先ほど開店したばかりの声帯から絞り出される声は、昨晩よりも低くて掠れていて、とてもなまえの好みだった。

「楽しかったね?」
「楽しかった、」
「昨晩、楽しかったね」
「楽しかったんですか」

そもそもあんた誰ですか?
そう聞いてこないことにちょっと笑いそうで、もしかしたらもしかして、ちょっとくらい記憶があるのかなぁと思ったりもしていた。そんなわけないか、散々飲ませたもんな、散々飲んでたから、そんなものがまだ脳にへばりついている可能性なんてないと、なまえはそう思っていたのに。

「なんでなまえさんがいるんですか」
「え?」
「え…ここ、俺の部屋ですよね」

するっと出てきたのは間違いなく女の名前で、なんで知っているんだろうとそう思ったのが頬にすぐ文字として浮き上がってしまわないか、なまえはとても心配だった。昨日、俺、なまえさんのこと送って行きますって言いましたよねと、影山はそう言った。違いますっけ、と問われて違わないよ、と答えるだけの女は、あからさまに動揺していた。

「…なまえさん?」
「覚えてるの」
「途中までは」
「あんなに飲ませたのに?」
「飲ませたんですか、やっぱり」

すげえ勧めてくるなぁとは思いましたけど。そんな風に言った影山の表情は笑っても怒ってもなくて、淡々としていて何を考えているのか、なまえにはよくわからなかった。

「久しぶりっスもんね」

2人は、中学が一緒だった。なまえの方が一年早く生まれたから、2年間一緒の校舎に通ったことになる。最寄りのバス停が一緒で、なんかこう、ペコっとするくらいの、なんでもない仲だった。話したことなんてほとんどない。男がバレーボールをする時に使うであろうシューズを袋ごと車内に置きっぱなしにして降りようとするものだから、スタスタ歩く彼になまえが慌てて声をかけて呼び止めたり、財布を学校に忘れて乗車賃が支払えずあたふたしている彼女に影山が数百円貸してくれたり、そんな仲だ。名前は知っている、それ以外はほとんど何も知らない。そんな2人が偶然再開したのが大学のなんかよくわからない集まりで、姉妹校でなんちゃらかんちゃらって、本当によくわからない名目で集められた中にあの頃と全く変わらない凛とした男がいて。あ、影山くんだって瞬く間に気付いて、でも何も知らないフリして近付いた。何年生?って焦がしたキャラメルみたいに甘ったるい自分の声に、苦笑するばかりだった。影山くんて言うんだ、なんて。それは物凄く馬鹿らしい台詞だったってわけだ。

「…わかってたの」
「なまえさんもわかってたんスね」
「わかるよ、そりゃ」
「俺だってわかりますよ」
「じゃあ何?わからないフリしてた私に付き合って演技してたってこと?」
「なんかまずいのかと思って」
「よくわかったね」
「わからないと思ってたんですか、逆に」
「うん、だって、」

中学を卒業してから、会っていないのだ。なまえはその間に髪を何度も染めたし、化粧も覚えた。自分の身体に合うちょっといい下着のブランドもわかるようになってきたし、雑誌で特集されているいい香りのヘアミストを振りかけるようになった。制服はもうコスプレだし、面影ないねってよく言われるのに。なんで。

「変わってますけど、変わってないんで」
「…え?」
「うまく言えないですけど」
「だろうね」
「はい?」
「わかってて、送るって言ってくれたの」
「送ってないっぽいですけどね、ここ俺の部屋だし、なまえさんここにいるし」
「そうだけど」
「わかりますよ、さすがに」

2年間ずっと見てたし、その後も忘れられなかったので。男はスルッと言葉を発して、なまえをベッドに押し付けて。

「覚えてないんで、もっかい」

もっかいって、そう言うってことは、つまり。昨晩のことがぶわっと蘇って、捕まえられたなまえの手首はじんじん熱い。一瞬で全身にそれが広がって、期待している自分に彼女自身、もう愉快になってきて、悔しくて。

「…影山くん、っ…覚えてるでしょ」
「覚えてないです」
「嘘つき」
「なまえさんだって嘘つきじゃないですか」

忘れるわけない、酔っ払ってたって忘れるわけない。むしろ、こびりついて離れないだろう。肌の温度も、くちびるの柔らかさも、むちりとした太ももも、意外と大胆にねだる姿も、全部。もう無我夢中で女の耳に噛み付く影山は、昨晩同様、なまえの知らない影山で、2人はしばらく数年を埋めるかのように、大人になった互いに触れて、何かをどうにかしようと足掻く。それが心地よくて、なんかこう、大人になるって悪くないのかもしれないと、そう思いながらぬちゃぬちゃ、舌を絡めるのだった。

2017/11/29