我儘な女だった。そんなところが嫌いじゃなかったから自分はもうこの女に溺れているのだと、なまえよりも1つ年下の男はそう理解しつつ思ってしまうのだ。どうしようもなく我儘だなぁと、しみじみ、もう何度も、思っていた。2歳の幼児におとずれる“やだやだ期”ってこんな感じだろうか。こんなものと格闘している世の中の母親は素晴らしいと感動さえする。自分は週に数度会うか会わないかのこの頻度でもう、限界だというのに。しかもなんなら、なまえは赤ん坊ではない。男よりも1つ年上なのだ、一応。
「次いつ会えるの?」
確かに、なまえは可愛らしかった。肌も綺麗だったし、髪からはヘア・ミストのジューシーでフレッシュな香り。手足は平均よりもほんのり長くて、地味でも派手でもない、ちょうどいい格好をしていることが多い。今日も噛み付きたくなるような鎖骨をしっかりとむき出しにする襟ぐりの広いアイスグレーのニットに、ふわっと広がったスカートはネイビー。足元は遊び心のないプレーンな6センチのヒール。
「わかんないってば」
「えぇ、いつもそうじゃん」
本当はわかってるくせにさ、勿体ぶらないで教えてよ。口角まではっきりと塗られた口紅は、なまえによく似合っている。よくあるピンクページュだが、これがとても、美しかった。中央にのせられたグロスも華を添えている。その完璧に着飾ったそれを、ちょっと突き出して、子どもみたいで。冬、太陽が沈んだこの時間に樹木に括られた電飾を見にくる男女の気分なんて佐久早にはめっぽう理解できなかったが、なまえが見たいと駄々をこねるのだから仕方ない。のろのろ足を動かす集団の中に自分が属していることに疑問というか、違和感みたいなものしか感じなかった。
「…わからないからわからないって言ってるんだけど、それさえもわからない?」
「なに?もういっかい、難しいこと言わないでよ」
「難しいことは言ってないけど」
「聖臣くん、そんなに忙しいの?
少なくともなまえさんよりはね、佐久早は女にそう、言葉を返したくなるが、相手は2歳児なのだ。そうやって傷つけようもんなら、わんわん泣きだしてしまう。実際にそうされたことはなかったが、そうされそうで怖いのだ。はじめましてと挨拶をした頃は、上品で、賢そうで、凛とした、そんな女だと思っていたのに。そんな女だとわかっていたら、近付かなかったろうか。考えている暇はない。女の華奢な腕が自分の腕にぎゅっと絡んでくる。ねえねえ、と彼女の鳴き声にうんざりしつつ、オーソドックスな上目遣いに関心して、返事をしてやる。
「わかったら連絡してるでしょ、いつも」
「前日にね」
「…前日にしかオフがわからないんだって、今の監督、気分屋だから」
「私と聖臣くんがいつデートできるかは、その気分屋の監督次第ってこと?」
「そうなるね」
「それってなんかいやじゃない?」
「嫌だとか嫌じゃないって観点がないかな」
「また難しいこと言うし」
私の楽しみって佐久早くんと会うことくらいなんだからね。なまえは腕に力を込めてみるが、男は知っている。彼女は友達もたくさんいるし、自分以外にもお楽しみが沢山あることを。この間だって男女数人でカラオケに行っていたし、女友達と小洒落たカフェでふわふわのケーキを胃に収めていた。二週間前には自分がまだ彼女を知らない時代の…高校の同級生と居酒屋で酒を飲んでいた。付け加えるなら異性の、同級生だ。はらわたが煮えくりかえる気分。実際に内蔵がグツグツと沸騰することなんて人間の身体の構造上、ありえないんだろうけど。それでも。
「予定わかったらすぐ連絡するから」
「約束だよ?」
「はいはい、ヤクソクね」
佐久早は嫌だった。ベタベタ甘えてくる女が自分を好きな量よりも、自分が女を愛している量の方が多くて、本当に嫌だった。なまえは自分と恋人じゃなくなったってぽろぽろ泣いて、数日後には親しい男友達に失恋したから慰めて、なんて連絡をしてそのままいい雰囲気になることがわかっているから、嫌だった。
「…もっと、こっち」
なまえの腕を掴んで引き寄せて、自分のものだってそう思っていたくて。なるべく長く、そうしていたいからはじめましての挨拶をした時に女が言っていた言葉に縋っている。
「私がね、すきすきって、そう言ってたいの。彼氏にはあんまり、会いたいとか好きって言ってもらわなくていい。会いたいもすきも、ほとんど私からでいい、たまに言ってくれればそれでじゅうぶん」
酒の席の言葉を、こんなに重んじている自分がおかしいのかもしれない。かもしれない、じゃない。おかしいんだ。男はそれに気付きつつ、言いたくてたまらない言葉たちを、今日もゴミ箱に投げ入れる。
「聖臣くん、」
「なに」
「キスしたい」
「だめ」
「えぇ、いいじゃん」
好きだよ、愛してるよ、俺も早く会いたい、今すぐ家に帰ってあたたかい部屋で君にふれていたい、もうそんなことより、明日から一緒に住まない?
そんなこと言ったら全部真っ白になる気がして、言わない。
2017/12/07