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「#幼馴染」のBL小説を読む
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「お邪魔します」

飛雄は私の方を見ずにそう言った。もうこうやって急に呼び出されて玄関で靴を脱ぐことに慣れた様子だ。ほんの数秒前に着きました、と彼から連絡が入って携帯を握りしめていた私はすぐに既読をつけたが、その報告を待っていたわけではない。今夜会えなくなった彼に「じゃあ来週のこの時間はどうですか?」と我ながらしつこく粘り強くお誘いの言葉を送って、その返事を待っていた。飛雄はただ、私の寂しいを埋め合わせるためだけに呼び出されたというのに、文句の一つも言わなかった。言うのが面倒なんだろうか、何も思っていないのだろうか。その辺は未だに、よくわからない。

「寒かった?」
「そうっすね、昼間に比べたらかなり」

歳下の男は、大学の在学中に知り合った。いつどこでどうやって知り合ったのか、あまり覚えていない。当時は飲み会とかサークルの集まりとか、そういう類のものにとにかく参加することに重きを置いていたから、その中のどこかのタイミングで出会ったのだろう。私たちの出会いはロマンチックでもなければ特別でもない。ふわっと出会って、今もふわっと時間を共有する。なんで飛雄が私の呼び出しに応じるか、私はわかっている、彼は私のことが大好きなのだ。飛雄はわかっている、私が自分のことを好きでもないのにこうして時折呼び出して都合よく寂しいを埋め合わせる嫌な女だと。いや、そこまで理解しているのかはわからない。でも彼はそれなりに自分の置かれている状況は、立場はわきまえている。わきまえていて、この部屋に来ている。言っておくが、何もない。セックスはおろか、キスもしない。手だって繋いでやらない。でも飛雄はこの部屋にやってくる。なんで来るの?と聞いたら彼は「なまえさんのことが好きなんで」とか言うんだ、この男は。そういう男なんだ。

「また、約束ダメになったんすか」

しいていえば、そうやって言うようにはなった。この時、飛雄は笑っていないし、怒ってもいない、毎回淡々とそう言う。事実確認だった。初めてそう聞かれた時はカチンときたが、ちょっと考えればわかることだった。彼は嫌味を言うような男じゃない。それで、自分が優越感に浸るような、そんな趣味は持ち合わせていない男だ。私もいちいち腹をたてることもしなくなった。そうだよ、と言葉を返すだけにする。嘘はつかない、でも、余計な感情は見せない。私の方は子どもだった。恋人のいる男に言い寄って、いいように使われて適当にあしらわれている情けない女という肩書きを背負いたくない。ううん、ずっと前から背負ってはいるが、飛雄にそれを悟られるのはごめんだった。

「うん、そうなの」
「そうなんスね」

ほらね、これだ。男はいつも通り。そして行動もいつも通りだ。靴を乱雑に脱いで、綺麗に揃えて。お邪魔します、と二度目の挨拶をした。どうぞ、と言ってやるとゆっくり、部屋に上がる。さっきまで外にいた飛雄からはもう、冬の匂いがした。

「なんか飲む?」
「いや、」

大丈夫ですと、男はそう言って定位置についた。安いソファの上だ。さして居心地のよくないそこに飛雄はゆったり座って、私を待っている。私が隣にくるのを、いい子に座って待っている。

「ココア飲めるよね?」
「…飲め、ますけど」

だから、すぐ行ってやらない。早く私の隣で私のどうでもいい話を聞きたいんだろうよ。どんな趣味してるの、と言いたくなる。何が楽しいの、こんな時間くだらないでしょう。さっさと自分の家に戻って眠りたいでしょう?もう日付も変わるよ。それでもいいんだよね、飛雄は。だから私はね、とことん利用するよ、その無垢な気持ちを。もう少し寒くなったらちらちらと落ちてくる雪みたいに白いその優しさを、全部むしり取ってやるの。

「俺、何かしますか」

可愛いとは思う。私のことが好きで好きで堪らないこの感じは正直、可愛いよ、そりゃ。キッチンにやってきて、遠慮がちに話しかけてくる。ちろりと見上げてやれば彼の胸がとくんと弾むのがわかる。どんだけ私のこと好きなの、笑っちゃうよ、もう。

「…飛雄は、私のこと好き?」
「好きっスよ」
「本当に?」
「本当に」

小さな鍋でふつふつと牛乳を温めていた。飛雄は手持ち無沙汰なのか、それを大きめのスプーンでのろのろ掻き回したり、デザインがばらばらのマグカップを撫でたりしていた。じっとしていられないのだろうか。

「好きじゃなかったらこんな夜中に急に呼び出されて、のこのこ来るわけないですよ、さすがに」

レポートも終わんねぇし、眠いし。そう言われたあたりで気付いた。やっぱり飛雄はそこまで鈍くもないし、能天気でもない。どこにでもいる、普通の男だ。私が勝手に「こうだろうな」と都合のいいように捻じ曲げているだけで、ありふれた男なんだと思う。

「飛雄は、」
「はい?」
「…もし、だよ。仮定の話だけど、私が、飛雄のこと好きって言ったら、嬉しい?」
「嬉しいですよ」
「…嬉しくなさそうなんですけど」
「嬉しいですけど」

私は言葉を待って、彼を見上げたが、彼は私を見ていなかった。小さなピンク色の鍋の中の白い液体を相変わらず、くるくる掻き回している。言われてみれば、眠気を帯びているようにも見える。眠るところだったのだろうか。相変わらず私よりも綺麗な肌は、ほのかに乾燥していた。風呂上がりなのだろうか、もう彼から冬の匂いはしなくて、俗に言う「爽やかな石鹸の香り」が彼を優しく、包んでいた。

「俺、もうわかるんで」

何が?と問う隙さえも与えてもらえなかった。鍋はもうすっかり熱くなっていて、音をたてているが飛雄はとても静かに言葉を続けた。なんとなく私も黙って、彼の言葉を聞いた。

「なまえさんは俺のこと好きになったりしないって」

これ、ここに注げばいいんですかと、そう彼は言ったけれど私に答えなんて求めていないようだった。きっと、彼は彼なりに、この沈黙が怖いのだ。埋めるのに、必死なのだ。マグカップの底に、メーカーが決めた「美味しい飲み方」よりもちょっと多めに入れられた粉末のココアは、白い牛乳と混じって、甘い香りを漂わせて。

「あれ、なんか、最初に練るんですっけ?」
「もう遅いよ」
「すみません」
「いいけど、別に」
「今からじゃだめですか?」

飛雄は迷うこなく、上から二番目の引き出しから小さなスプーンを取り出してカップの底と温かいミルクを混ぜあわせようとする。練った方が口当たりが滑らかになるんだよ、と教えてやるが、頭にはクエスチョンマークが浮かんでいるから、余計なこと言わなきゃよかったなって、そう後悔して。

「すみません、どうぞ」

そう我が物顔でマグカップを渡してくるので、いつもの彼だなぁと呆れて安心する。飛雄は牛乳注いだだけだからね?と一応指摘したが、意味はわかってなさそうだった。はぁ、となんとも曖昧な返事が返ってくるだけだ。どうぞ、は間違いなく私の台詞なのに。

「俺じゃだめなんですか」

ソファに腰を落とした直後、底に溜まった溶けきらずにどろりと居座るココアの粉末をどうにかしようと右手を動かしながらそう言った。私は何も、言えなかった。

「俺じゃ、だめなんですよね」
「聞こえてるよ」
「そうっスか」
「なんで、」

なんでだめだってわかってるのに一緒にいてくれるの。多分そう言ったと思う。言いたかったわけじゃない。むしろそんなこと聞きたくなかったのに、言葉が飛び出してきてしまったのだ。待って、だめって言ったって遅かった。答えなんか聞きたくもないのに、飛雄は間髪入れずに声を出す。

「や、だってほら、なんつーか…優しいじゃないですか、なまえさん」
「…優しくないよ」
「だから同情でも一瞬の気の迷いでも、なんでもいいんです、とりあえず」

こうやって都合よく呼び出してもらえれば、それで。
飛雄はそう言うと大きなあくびをして、ココアを一口含んだ。予想よりもずっと熱かったそれに驚いている彼が子どもみたいで、熱いから気をつけて飲みなよって、そんなこと言ってる自分が一番子どもで、子どもだと思っていた飛雄がずっと大人で、もう彼に連絡をするのはやめなければいけないと、そう思ってしまった。そうしたらきっと飛雄はどこかのタイミングで、私に会いたいと、そう縋ってくる。それが楽しみで、仕方なかったりして。
スマートフォンを確認する。新しいメッセージの内容を確認し、眠たげな飛雄の隣で嬉々とした。来週は彼を呼び出さなくて済みそうだ。

2017/10/22 title by 草臥れた愛で良ければ