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友人から誕生日プレゼントで貰ったポーチをひっくり返す。お洒落なセレクトショップの紙袋に包まれていたそれだが、いまだどこのブランドのものなのか、ぼんやりとしかわからない。薬用のリップクリームと昨日友人と会う時に付けていたド派手な赤リップはマットな質感だ。こんなものでどうしろって言うのだ。今から「男性 急な誘い 赤リップしかない」で検索をする余裕は、ない。ないし、検索したところで暇をつぶすには最高であるが今この状況ではゴミ同然のコラムしかヒットしないのも予想できた。

突然ごめん

今日これから会える?

そう二件、連絡が入っていた。入っていた、というか、入った。仕事が終わって、最近やたら届く迷惑メールを削除している時だった。差出人は、黒尾鉄朗とある。先日の合同コンパで出会った人。年齢は2つくらい上だったろうか。普通にかっこよくて、結構いい会社に勤めていて、やたらと背が高い。アルコールにめっぽう強そうだったが、最近忙しくて酔いが回りそうだからとかなんとかで、そんなに量を摂取していなかった。それなのに、その場にいた女の子(私を含め)4人全員と連絡先を交換していたから随分軟派ですこと、と嘲笑ったのをよく覚えている。それが、一昨日の話だ。見慣れない名前に動揺して、連絡が入りましたよ、と知らせてくれるバナーを軽快にタップしてしまった。やばい、既読付いちゃう。あ、付いた。うわまずい、今日はほんのり寝坊をしてしまって洋服のチョイスがかなり雑だ。履き古して若干色の褪めたブラックのスキニーパンツに、パールグレーのようなテロンとしたシャツ。つまらない洋服だ。つまらない上に、完全なる仕事着。なるべく目立たず癖のないそれにがっかりする。もっと早く言ってくれればクローゼットの肥やしになりかけているスリットの入ったダークグレーのタイトスカートに透け感のあるホワイトのシャツを合わせたのに。そんなことを思って1人苦悩していると、追加で連絡が入って。

あれ?もしかしてちょうど仕事終わった?

語尾には括弧に入った笑の文字。あぁもう、8割、いや9割は「断る」という選択をすると決断していたのにその一言でひっくり返されるから私の意思なんてグラグラなのだ。逃げられないってほどじゃない。逃げるという選択をするのが、勿体無いと感じている。そう、それだ。

「お疲れ」

結局私は、いまちょうど終わりましたとメッセージを入れた。肯定の返信。彼はあと10分くらいでそっち行くからとするする予定をつくりあげていく。手馴れている。なんか、私がこうやってホイホイ付いてくるのを、もう見越していたみたいで。

「お疲れ様です、」
「俺のこと覚えてる?」
「覚えてますよ」
「そ、よかった」

誰だっけって思われてたらどうしようかと思って、と。想像通りの車種。あぁ、どうしよう。割と好きだな、色々。しかもスーツだし、スリーピースだし、カラーはネイビーだし、合わせてるネクタイはちょっとお洒落なやつだし、腕時計は合コンの時つけてたのと違うやつだし、そんなこと覚えてる私も私だし、なんか、もう。

「ごめん、急に誘って」
「あ…いえ、そんな」

それに比べて自分は惨めだ。振りかざす武器を全て捨てている感じ。揺れるピアスも、華奢なネックレスも細工の美しいヘアアクセサリーもない。ブラジャーだってもうワイヤーが生き絶えそうなものだ。上下揃っているだけまだいいのだろうか。指に付着させ、唇の中央から広がるように叩き込んだ赤い口紅。その上から薬用リップクリームを塗って、なんかこう誤魔化してみたが、なんかもう、滑稽で仕方ない。ベージュのグロスが一本あればまだ、勝負する気にならなくもないのに。

「なんか食いたいもんある?」
「…っ、と」
「急に言われても困るよね」
「あの、一昨日黒尾さんが言ってた」
「ん?」
「お家の近くにある、ご飯屋さん」
「あー、言ったね。すげえ美味いけど女の子好きそうな感じじゃないよ?」
「大丈夫、です」

了解、と彼は車を滑らせる。もうすっかり陽が落ちるのが早くなって、朝晩はぐんと冷え込む。薄手のシャツは、あまり体温を保持する努力をしない。薄暗い車内、流れる曲は彼らしいのだが、誰の曲かわからないしそれを尋ねる勇気もない。2人きりの空間は居心地が悪かった。あと、恐ろしく心臓が賑やかだった。

「なまえちゃんって職場の飲み会とか断れない系?」
「え?」
「俺、嫌じゃない?大丈夫?」

赤信号。こちらに視線がやってきて、条件反射で私も若干、彼を見る。なんだろう、目を合わせて胸が弾む感覚を味わいたいのに、私がバッド・コンディションだから見られたくなくて。どうしたらいいのかわからず言葉を探していると信号が青になり、アクセルは優しく踏みつけられる。視線はフロントガラスに移動、助かったと安堵する。

「嫌じゃないです」
「言わせてる感すごいんだけど」
「…あの、」
「ん?」

変なこと聞きますけど、という前置きをしたが、それにしたって変な質問だし、そうわかっているのならば言わなければいいのだということもわかるが、この訳のわからない空間が私を狂わせているのだろうか。そんなこと聞いたら彼を困らせるのはわかっていたが、聞きたいという欲が勝った。あの合コンのメンバーの中で言えば顔はまぁ真ん中くらい、でも胸はそんなに大きくないし、サラダの取り分けもしなかった。そんなに黒尾さんとたくさん話した記憶もない。

「なんで連絡くれたんですか」

バッド・タイミング。帰宅ラッシュに巻き込まれているのか信号は再び赤に。彼の視線には気付いた。気付いたけれども、悪いとも思うけれども、私はしばらく赤信号を睨む。顔なんて見たらどうなるか、わかっているからだ。なのになんで、なんで「ねぇ」って呼ぶの。私、連絡がきたところからずっと動揺しているんだから、つい反応しちゃうじゃん。

「俺も聞きたいんだけど」

しかも私の質問には答えないのに自分の質問をぶつけてくる。私がその問いに答えられないことなんて、もう既にわかっているくせに。

「なんで会ってくれたの」

俺としては願ったり叶ったりですけど、と。備考、と言わんばかりに付け足されたそれがもしかして彼の答えなのだろうか。私はこの質問に答えるべきなのだろうか。騒ついた私の脳内はもう、そんな判断を下すことはとうの昔に放棄している。

「あー、ごめん。こんなこと聞かれても困るよね」
「…すみません、」
「いや、こっちが悪い。ごめん」
「あの、」
「なに?」
「こんなの聞いても困ると思うんですけど」
「うん」
「私だけですか、連絡したの」
「ん?」
「あの、他の子に連絡、とか」
「他の子?合コン時の?」
「黒尾さん、みんなと連絡先交換してたから」
「うん、そういう役回りだったからね」
「え?」
「仲介人みたいな」
「チュウカイニン」
「うん、ほら、そっからあいつが連絡先知りたがってたから教えてもいい〜?って、そういう係を任命されてまして」

会える?なんて気になってない子に急に聞いたりしませんよ。
そう言ってブレーキを踏んだ彼はハンドルにぐっと寄りかかった。耳が信号と同じ色に染まっている気がしたが、なんせ薄暗いのでよくわからない。ただ1つ言えるのは、私の方はもうすっかり肌寒さを感じなくなっていた。勝手に発熱している自分が、期待している自分が、なんかもう、まぁ、嫌いじゃないけど。

2017/09/30