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「え?あれもうDVDなったの」
「うん、新作で出てたよ」

一緒に観る?
なまえなりに深い意味を込めた言葉だったが、黒尾はそんなことを知る由もなかった。高校3年の夏が終わった。気温は緩やかに下降、太陽が沈むのが瞬く間に早くなり、秋になってしまったことにただただ驚くばかり。なまえは黒尾の制服の着こなしパターンとして、この中途半端な時期にしか見れない長袖のワイシャツの袖を3回折ってニットベストを着用している姿が好みだから、今この季節がとても嬉しかったりする。高校生にしては大人びて見える彼によく似合っているのだ。特別、格好良く見えたりするのだ。

「どこで」
「うち」
「は?いいの?」
「いいよ、うち近いし」

黒尾は彼女の思ってもみない提案に戸惑っていた。昨年からクラスが同じ彼女はどちらかと言えばよく話す友人で、ただそれは数人まとまったグループ的なものの中で、な訳で。もちろん2人きりで話すこともある。次の授業宿題あったっけ?とか、昨日のドラマ見た?とか、あいつとあいつ付き合ったらしいよ、とか。そんなものは普通によくある。現に今だってそうだ。週末公開される映画が最近よく宣伝されているものだから気になってしまって、「アレ面白そうじゃね?」となまえに話しかけたところから始まった。わかる、面白そうだよね。だよなぁ、最近全然映画観てないわ。え?本当?夏にやったあれは?そんな会話の流れだ。なまえも同様で、映画館にはほとんど、足を運んでいなかった。しかし昨日、ふらりと立ち寄ったレンタルビデオ店で春先に公開した映画が既にDVD化していたので新作の料金ではあったが思い切って借りた。随分話題になったものだ。まだ、それは再生していない。

「あ、部活か」
「いや、今日はミーティングだけ」
「ちょうどいいじゃん、ダメ?」

強引すぎるだろうか。なまえは何気なく自然に声を出しているつもりだが、内心はもう、気が気でなかった。冷静になってみれば自分は彼をおうちデートに誘っているわけだ。付き合ってもいないクラスメイト。ちょっと、急ぎすぎだろうか。黒尾はまだ返事を渋っている。理由は単純、なまえの家に上がり込んでいいのか否か、その討論会を頭の中で繰り広げていた。

「今日、22時くらいまで誰もいないし」

ばきゅん、と。黒尾は自分のドキドキするところを性能の優れた拳銃で撃ち抜かれた気分だ。そもそも黒尾だってなまえにそういう気持ちはあった。女の髪はいつもいい香りがしたし、くるんと上がったまつ毛と少し赤みの強い口紅か何かは、先生にちくちく注意されていたが凛とした彼女によく似合っていた。なまえの発言で出血する間も無く息絶える感覚に襲われる。一瞬声を出すこともできず、女の催促でハッとしてようやく返答する。

「黒尾?」
「あ、行く…行きます、観ます」
「いいの?」
「寧ろいいの?」
「うん、私はいいよ。暇だし」
「ミーティング終わったら連絡する」
「うん、待ってる」

そんな約束をした途端、黒尾は元々好意を抱いていたなまえのことをさらに色眼鏡で見てしまって。勿論、なまえだってそうだ。この学校という同じくらいの年齢の人々が密封された空間では、彼と2人きりになることなどほとんど困難で。ましてや黒尾はクラスの真ん中にいる人だから、そういうのは結構難しい。だから今日こうやって、2人きりになれるのは、逃してはいけないチャンスなのだ。それを男よりも女の方がよくわかっているから、だからこんな空気になるのだ。

「…なまえ?」

コンビニで買った、某コーヒーチェーン店のマークが入ったそれは淡いピンク色のパッケージ。呪文としか思えない長ったらしい名前がカタカナでついていたが、覚えてやる義理はない。既に少しずつぬるくなっていた。ここに来る前に立ち寄ったコンビニで黒尾の「好きなもん買えよ」に甘えたなまえは、普段ならちょっと手が出ないそれを選ぶ。おまけにチョコレート菓子も一緒に手にとった。アルバイトをしておらず、今月ピンチだとよく言っている黒尾はきっと「ふざけんなよ戻してこい」って怒るだろうと思ったが、予想は大外れ。「甘そうなの飲むのね」とだけ言ってへにゃへにゃ笑い、レジに持って行くから悔しくなる。緊張で味なんてわからないから、いつも学校で飲んでる500ml入りのミルクティーの紙パックでじゅうぶんだったと、部屋について彼の隣に座ってから気付いた。ほんのり感じる男の体温は、なんかこう、ドキドキするしかなかった。

「…しないの、」
「ん?」

黒尾のワイシャツの袖は女の手によってキュッと掴まれていた。えっなになに?なんの話?冗談でもなんでもなく、男の方は大混乱。なんなら思っていたよりも可愛らしい彼女にドギマギしている。なまえが急激に可愛らしく容姿を変えたわけじゃない、黒尾の瞳が勝手に、女をそうやって贔屓して見ているのだから、恋愛とはやはり恐ろしい。

「…聞こえないの?」
「え、いや、」
「みみ貸して」

違う、そうじゃない。そう言う前になまえは黒尾の耳に口元を寄せる。赤とピンクの中間くらいの色が塗られたその唇は音を紡ぐ。しないの?って、先ほどよりもポッと、熱を帯びた声で、黒尾はもう嫌になっていた。アクセル全開の女に、対応しきれない自分がいることに焦っている。そんな感じだ。

「…なに、していいの?」

緩む口元と叫びたくなる衝動を抑えて、自分に出来る精一杯の大人ぶった声と余裕綽々な表情をつくって、なまえのちゅるりとした瞳めがけて言ってやる。ほら、どうだ、これでいいんだろ?こう言えばなまえは顔を赤くして黙り、俯いてしまうと思っていた。黒尾はわかっていた。自分はわりとこうやって物事を予測することが上手いし、自分の行動で相手を少々コントロールできることも、わかっている。今だってこうすることが最善だと、ものの数秒でわかった。まぁ見事に、その読みは外れるわけだが。

「いいよ」
「ん?」
「いいよ、」

黒尾のワイシャツの袖を握っていたなまえの手が、自分の手と繋がっている。きゅ、と絡む指先はじゅうと焦げるように熱く、とても柔い。女の手は黒尾の想像よりもずっと滑らかで、なにか特別な液体でも染み込ませてあるのではないかと思うくらいに、瑞々しかった。女の子の手に触れるのが初めてなわけではない。身長も平均よりずっと高く、手足だって同じクラスの男子たちよりもぐんと大きな黒尾はよく、手のひらと手のひらを合わせて「黒尾、手デカいね〜」なんてやつに巻き込まれることは多かったが、あんなものとは比べ物にならない。元気に弾む心臓に、狼狽える他ないのだ。

「っ、ちょ…待って」
「…ん?」
「一回俺のこと見るのやめて」
「なんで」
「なんでも」
「なんでも?」
「うん、そう、待って、落ち着いて」
「…落ち着いてるよ」
「手、」
「…いや?」
「嫌とかじゃない、そうじゃなくて」
「しない?」

じゅくりとした瞳が、黒尾から離れたのは一瞬だった。再びなまえは1年くらい前からじわじわと大好きを蓄積させていた男を見つめる。こっちはこっちでもう限界。2人きりの空間で、自分に指一本触れてこない彼にもう、不安で押しつぶされそうになって。もしかしたら両思いなんじゃないか。黒尾は優しい男だ。周りの人間を傷付けたりしないが、不特定多数の人間に深入りすることもない。だから今日誘って断られたらもう諦めようと思っていたわけだ。実際そうなったとして、なまえがさっぱり黒尾から離れられたかはまぁそんなもの論外であるが、そんな覚悟で臨んでいるのだ、この空間に。捨て身の言葉は思ったよりも黒尾の胸の奥に刺さっているようで、いいような悪いような。

「なまえ、ちょっと落ち着けって」
「落ち着いてるよ、落ち着いてないの黒尾でしょ」

ど正論を唱えられた男はまだ葛藤している。俺たちって付き合ってたっけ?なまえって俺の彼女だっけ?いや彼女になってくれれば嬉しいのだけれど、告白とかした覚えないし、そもそも俺はなまえのことが好きだけれど、こいつは俺のこと好きなのか?もう答えなんて決まっているのに、この場に及んで男はまだ、討論会を終わらせられず。終わらせられないが、なまえの瞳に気圧され、いつもよりも絞られた音量で声を。

「俺、なまえのこと好きなんだけど、」
「本当?」
「ハイ」
「嘘っぽい、」
「なんでよ、好きだって」
「…私も黒尾のこと好き、」

感情を言葉に乗せるとこんなにも弱々しい声になるのかと、どこか冷静ななまえは感心していた。いつも通りに発音したはずの言葉たちはどこか申し訳なさそうで、ただ、しっかりとこの時期に花を咲かせるコスモスのようなピンクに色付いていて。

「…なまえさ、何して欲しいの」
「え?」
「さっきからしない?って何回も聞いてるけどさ」

意思の疎通を確認した途端、安堵した男はちょっと攻め込んでみる。案の定女はいざその簡単なワードを求められると声に出せないようで、というか、黒尾と両思いだ、という事実が嬉しいやら恥ずかしいやらで、今度はこちらが照れくさくて。もじもじと、俯く女に男は嬉しくなる。そうそうこれこれ、このリアクション待ってましたと言わんばかりに、攻守交代。

「俺のこと好き?」
「…さっき言った」
「俺がなまえの彼氏でいいの?」
「いい、よ」
「こっち見ろって」
「…やだ、恥ずかしい」
「キスできねぇだろ、こっち見ろよ」

するん、と顔を出したそのワードに驚き、咄嗟に顔を上げてしまうなまえは、やっぱりどこか浮かれていた。あら、もう顔上げちゃうのと、黒尾は少々面食らったが、女の上気した頬にもう我慢などできず、討論会も終いにした。「キスでよかったの?」と意地の悪い顔で言うと艶々とした頬を大きな手のひらでふわりと包み、可愛らしい彼女の唇に己の唇を一瞬重ねる。

「…黒尾、」
「ん?」
「わたし、彼女でいいの?」
「うん、俺、結構前からなまえのこと好きだよ」
「…もうちょっと、したい」
「ん?なに?」
「…そういうとこ、好き」

黒尾のそういう、本当は優しいくせに意地悪なところ結構前から好きだよと。蕩けるように笑った女は黒尾がしてくれたように、自分も彼の頬を包んで自分から唇を合わせてみる。ひやりとしていた黒尾の頬は、みるみる熱を帯び、2人は唇を重ねるという単純なそれにすっかり、夢中になっていた。初めてにしては上出来な、比較的ロマンチックで、可愛らしいキスだった。そんな2人はもう再生される映画なんてすっかり忘れていて、じゃあ今度予定合わせて久しぶりに映画館でも行こうかと、満たされるほどのキスを終えると次のデートの約束をしていた。意外と、抜け目のない2人だ。

2017/09/22