「話が聞きたい?」

 いまは果たして朝か夜か。
 見るものを鬱屈とさせる石壁には、どこもかしこも薄汚い罪人の血がこびりついている。牢屋に座り込んだ女は部屋の一番暗い場所に向かってそう尋ねた。
 こんな場所にあっては、声を出すのすら久しぶりだ。聞いてくれるならいくらでも語ろう。それくらいしかここではやることがない。熱心に頷く客人に向かって、女はひとつ頷いた。

「……あの日、他の候補生と同じコフィンにいた。大きな音が耳元でしたきり何も聞こえなくなって、覚えているのは衝撃と熱と痛みだけ。ともかく半死半生になって、死期をしばらく遅らせるための冷凍庫に入れられた。私はなぜか意識だけが覚醒してて、起きてすぐに意識を飛ばして誰かの『目』を借りようと思ったの。何が起こったのか知りたかったからね。
 そこで出会った。彼女は瓦礫に挟まれたマシュ・キリエライトを助けようとしている最中だった。どうみても助からない状態だったけれど、必死に手を握っていた。そう、あの彼女。人類最後のマスター、藤丸立夏」

 女は愛おしそうに目を細め、しかし口調は淡々と続けた。観客は影の中でじっと身をひそめている。

「それからはずっと彼女を通してその旅を見てた。冬木で慣れない戦闘にも関わらず騎士王を退け、オルレアンで堕ちた聖女を下し、ローマでは憎きレフ・ライノールを倒し、オケアノスの海で英雄ヘラクレスを打ち砕き、ロンドンで魔の霧をはらい、アメリカでは狂王クー・フーリンすら斃し尽くした。数多くの英雄達が彼女を助け、彼女は決して諦めなかった! まるで冒険譚ね。
 そして最後の特異点、どんな大魔術師でも神代の魔獣を地獄に落とすことなんて無理でしょう。けれど彼女は不可能を可能にした。何故だとおもう? 彼女はそこに生きるすべての人に影響を与え、奇跡ような一分一秒を稼ぎ、ついには冥府の蓋すら開けさせた!」

「ほかの47人全員がいたとしても、藤丸立夏の成し遂げた10分の1すらも達成できない。魔術師がどういう連中か説明が必要かな? 根源へと至る道のために、そのほかのすべてのものを犠牲にする、恐ろしくつまらない人種だ。私たちの多くはそれを疑問にすら思わない。だから我々では無理だった。
 英雄でない者が、限られたなかでただ最善を尽くすために進み続ける姿は、星のように明るくまぶしい。だから過去の英雄たちは彼女に手を貸した。だから彼女でなくては。彼女でなければ。ああ、ごめんなさいね、熱くなって」

 語り手は水を求めて喉をさすったが、それは失った手足が痛む幻のようなものだった。此処にある以上は、差し出される水もなければ乾く喉もない。

「え?」
「なぜ彼女にそれほど入れ込むか?」

 観客は頷いた。女も然りと首を振った。

「奇妙に思うだろうね。直接話したこともない少女に血道を上げるのは。でも私がどんなふうに過ごしていたか考えてもみてほしい。暗い冷凍庫のなかで毎日あてどなく吉報を待ち、なくなった手足の感覚に怯え、それでも抵抗する術がない。あの子が、暗闇の中でひとりひとりに声をかけてくれるのが、いったいどれほど慰めになったことか。
 よく分かる? ああ、あなたは閉じ込められるのが初めてじゃないのね。そう、永遠に続くような孤独の中でも、希望があれば人は生きていける……」

 深い感慨を湛えた声が、途端に唸るように低くなる。朗々とした語り口に憤怒の熱が混じった。

「そう、彼女は希望。私の希望だった。世界最後の希望だった。彼女がいなければ人類も歴史も座も何もかも綺麗さっぱり消え失せる。世界中現在過去未来すべてが彼女を求めていたのに。
 第七特異点のあと、藤丸立夏はいなくなってしまった。
 私は動揺した。見えないどころか感知すらできない。カルデアへの通信も途絶えてしまった。魔術的な失敗なのか、私の肉体が死んだのか、それともカルデアが崩壊したのか、人理が焼却されたのか? 理由は分からない。知る術もない。私は彼女を探し続けた。何もない暗闇の荒野を歩くみたいに、いつまでもいつまでも。
 だけど―――彼女がいない。どうしても彼女が見つからない。魂のかけらすらも! 一体どこへ?これでお終い?世界の挙句のはてがここだって?
 いいや、認めない!こんな結末は納得できない!絶対に絶対に許せない!!」

 怒り猛った女は椅子を蹴り倒し、髪を掻きむしって大声で叫んだ。冷たい石壁に怒号が雷鳴のように響きわたる。それは絶望が爆発的に殺意へと変わっていく瞬間そのものだった。
 影は観客席で微笑みを浮かべる。
 彼女は無理やり声を押さえつけ、なんとか話を続ける。

「……もがいているうちにこの牢獄にたどり着いた。陰気で暗い場所。亡霊が彷徨って恨み泣いている。いや、いや、私こそが怨霊なのかもしれない。腹のなかで燃え上がる怒りで、内臓が焼き切れそうになりながら、ずっとずっと考えていた……どうするべきか?」

 やがて女は目の前に観客がいることなど忘れたように頭を抱えて呟いた。辛うじて目を閉じていないだけで、もはや目の前の何もかもが視界に入らないとばかりにうわ言を繰り返す。本当は誰に聞かせるためでもない話だったからだ。

「彼女が消えたのは誰の仕業か。魔術王ソロモンしかありえない。なら人理は既に焼け落ちたのか。いいや、私がまだこうして存在し続けているのということは、此処はきっと歴史からも世界からも切り離された最果てなんだろう。
 ……笑っているね。
 ずいぶん楽しんでいるみたいだ。
 よって、私は結論に達した。まったく正義でもなければ、人理を救うためでも、彼女のためでもない。奴が吹き消したろうそくの火が、私の世界を壊したのなら、今度は私が奴の炎を消してやる。奴の大事な計画とやらを、紙屑のように破いて燃やしてやる。私は私の悪意を持って、破滅のために動こうと思う」

 監獄に拍手が起こった。

「素晴らしい!」

 影がずるりと形を成す。昂った観客が舞台上へと足を踏み入れた。巻きあがるような闇を全身に纏い、瞳だけが赤々と輝いている。

「"我は求め訴えたり"とばかりだな。悪魔に魂を売ってでも這い出たいとみえる。彷徨える魂の分際で身の程を弁えない怒り! その娘をただ見ているしかできなかったお前が、世界を滅ぼさんとする魔術王にいったい何ができるのか?」
「ええ、聞き上手のあなた。私には力がない。けれど心底諦めない。私が諦めない限り、奴に勝ちは回ってこない。やがて死人同然の女に、奴が跪いて敗北する日が来る。必ず来る!」
「――――ク、」

 ――――ハハハハハハ!!!
 影の男は身をよじり、狂ったように笑った。そして悪魔のような燃える瞳で、神父のように厳粛な口ぶりで、女の手に手を重ねて言った。


「その怒りに手を貸そう」


 ―――ここに契約は完了した。




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 つかの間の静寂があった。
 宇宙船のコクピットに似た閉鎖空間にはひどく覚えがある。モニタに表示される時刻こそ目に焼き付いた数字。明かりが消える。湧き上がる衝動のままに、魔術師は絶叫してコフィンのドアを弾きあけた。
 床に転がり、全魔力を防御にあて、頭を抱えてうずくまる。暗闇。まもなく轟音。警報。悲鳴。地面が揺れている。炎がすべて燃やしてしまう。彼女は鮮明に覚えている。ここは―――あの運命の日のカルデア!

「藤丸立夏がまだいたときの―――」

 場違いな感動で胸がうち震える。これは夢だろうか。魔力は空になりかけているが、お陰で怪我は軽いやけど程度で済んでいる。ふらふらと立ち上がった女はAチームのコフィンへと足を向けた。隔壁閉鎖まであと40秒。レイシフトは最終段階へと移行する。ここにいるはずの藤丸立夏はまだ現れない。
 レフ・ライノールはAチームの区画を特に念入りに爆発させたようだった。施設のほとんどがひしゃげて炎上し、焼けた鉄錆のにおいが充満している。瓦礫の下で血まみれの少女の手が、助けを求めるようにぴくりと動いていた。
 藤丸立夏は現れない。
 藤丸立夏は現れない……。

「………そう、いう、ことか」

 深い深い納得と落胆が、すとんと天から足元に落ちた。

「………………あ、」
「しっかり、いま助けるから」
「…………いい、です。助かりません、から。それより、はやく、逃げないと………」

 紫色の髪を赤く染め、少女が弱々しくも健気に相手を逃がそうとする。彼女ならいつでもそうしたのだろう。背後で疑似天体カルデアスが終焉を示すように真っ赤に燃え上がった。警告音がけたたましく鳴り響く。

『近未来百年までの地球において、人類の痕跡は発見できません』
『人類の生存は 確認 できません。
 人類の未来は 保証 できま―――』
「うるさい!!」

 機械音の発する言葉が癇に障り、彼女はガントで反射的にスピーカーを打ち砕いた。耳障りな悲鳴が鳴りひびく。そんな結果にしてたまるか。人類の生存がなくても、未来がなくても構うものか。諦めてたまるものか。藤丸立夏が命がけで守ったすべてを、ここで終わらせてなるものか!
 それは燃え尽きない決意だった。あるいは妄執だった。熱気がうなじを焦がし、汗が次から次へと額を伝う。全身の血が怒りで沸騰しているかのように熱かったが、頭の芯は氷のように冷静だった。

「………隔壁、閉まっちゃい、ました。……もう、外に、は」
「出る必要なんてない」
「え………」
「あなたと居るから」

 女の血の通った手が強く少女の細い手を握りしめた。マシュ・キリエライトは霞んだ視界で、真っ直ぐに自分を見据える瞳をみた。燃え上がる炎よりも熱く煮えたぎった焔。絶望をなにかもっと激しく強いもので塗りつぶした色。
 スピーカーが最後の役目を果たそうと力を振り絞っている。それもすべては彼女の記憶通りだった。

『―――ピー……適応番号…………を……ガガッ………スターとして設定………す……』
「私はあなたの先輩じゃないけど」
『………ピッ………ガガガッ……、ム、スタート。………変換を開………ます』
「必ずそこまで連れていく」
『レイシフト開始まで…………』

「だから……」

 金砂の粒が体を包み、燃え上がるカルデアから二人の姿が消える。
 本来あるべきものが消えうせ、本来居なかったものがそこへ配置された。世界のずれは世界によって修正され、急造の辻褄は合わせられる。それは世界の崩壊に対する抵抗でもあったが、ある一人の女が己が身を憎悪に駆り立てるに十分な出来だった。

 ―――かくして英雄は不在のまま、贋作は静かに復讐の時を待つ。











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