レストランの個室というのは何度座っても味気ない。どんな高級で美味しい料理より、周りで恋人や友達と楽しそうに喋っている人達の声を聞きながら食事のほうが好ましい。たいていのイタリア男ならば「隣に美女がいれば話は別」と言うのかもしれないが、それにもディーノはあまり当てはまらなかった。
 不機嫌そうな美女が頬杖をつく。
 文字通りの意味で息が詰まりそうだ。彼女とのディナーを決めたのはこの場にいるどちらでもなく、彼女の父親とキャバッローネの幹部連中で、乗り気でないのはお互いさまだったのだが。

「えーっとだな」
「何度言わせるの? 名前も誕生日も星座も教えたでしょ。男の趣味は誠実でまっとうな人。休日に何してるかなんてあなたに教える気はないわ」
「ははは……」

 ディーノは溢れそうなため息をワインで飲み込む。彼女は運ばれてくる食事を流麗な手さばきで片付け、会話を拒否するように両手をテーブルに置いて窓の外を眺めているばかりだ。髪を結いあげた婦人の横顔は美しいが、破裂寸前の爆弾と同席しているようでひどく恐ろしかった。
 フルコースも次のドルチェで終わり。ディーノは最後くらいと思い、めげずに声をかけてみた。ここのティラミスは最高だぜ、とそれだけだったが、まるで困った子供に対するような顔が隠しきれなかったせいか、彼女はついに目の前の男を睨みつける。導火線を踏んだらしい。

「つかまされたと思ってるんでしょ」
「いや、」
「言っておくけど、私のほうだって同じよ。今までずっと良い子にしてたのに、お見合いの相手がマフィアなんて!こんなの酷いわ!」

 ははあ、なるほど。
 綺麗にアイシャドウの乗った澄まし顔の奥からは、過保護に育てられた少女の面影がある。父親の言いつけには逆らえなかったが、自分が賞品か何かのように扱われるのはいい気分ではなかったのだろう。まして相手がならず者の若造とくればなおさらだ。
 どうやら自分が何か不興を買ったわけではないと分かったディーノはぱっと顔を明るくして、さらに言い募ろうと弾丸をチャージする彼女を見つめる。激昂して細められた目には涙すら浮かんでいる気がした。

「私と結婚なんてしてみなさい、毎日プライベートビーチでも貸し切って……シャンパン飲んで……かっこいいウェイターも雇って……馬鹿みたいに贅沢して、破産させてやるから!」
「わかったわかった、この話は俺のほうで何とかしといてやるから、な?」
「それにッ………本当?」
「贅沢くらいさせてやれるけどよ、あんたみたいな女の子をウチにやるのも可哀想だしな」

 あっけらかんとした言葉。
 アンリは勢いで立ち上がりかけた腰を下ろし、向けられた笑顔に戸惑いを隠せない様子だった。見合いの席で相手の男に嫌われるための剣幕も意味がない。どんなに繕っても彼女はプレートを下げる店員に礼を尽くし、愛する父親に従順な「お嬢様」なのだ。若くとも五千のファミリーを持つキャバッローネのボスにとっては、背中の毛を逆立てた猫のようなものだった。
 ディーノは卓上にあったペーパーにペンを走らせ、簡単に連絡先とアドレスを書いた。聞く限り裏家業をあまり好いていない彼女が自分を頼るとは思えなかったが、何もないよりはマシだろう。

「ま、何かあったら頼ってこい」

 ティラミスは晴れやかな甘さだった。借りてきた猫のように大人しくなった彼女も、今日はじめてそれを味わっているように見えた。


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「匿ってくださる?」

 確かに頼ってこいとは言った。
 門前で大きなキャリーバッグを携えたアンリの姿を見て、ディーノは思わず頭を抱える。それはこんな事態を招いたしまった自分の迂闊さにではない。問題は少女のほうである。

「お、お前なあ」
「怒らないで! 自分でも馬鹿なことをしてるってわかってるの……」

 淡いコスモス色のワンピースに髪を下ろした彼女は、会食の日とはずいぶん印象が違う。パンプスのつま先を見て所在なさげに眉を下げる姿は、今度はまるで迷子猫だ。家出少女そのままの出で立ちの世間知らずは、本気でマフィアのアジトを訪ねてきた。
 ディーノは目の前の少女のことが心配になる。一度食事をしただけの男を頼るところだとか、家から無計画に飛び出してくることもだが、普通ならほかに友人や親戚を頼るはずなのだ。彼女の周りの人間のなかで、手を差し伸べたのは自分だけだったとでもいうのか。
 男の険しい顔を目にして、アンリは肩を落とした。それからすぐに背筋を伸ばして、キャリーの持ち手をしっかりと握りしめる。

「……ごめんなさい、突然押しかけたりして。もう失礼するから安心して」
「待て待て待て」

 とっさに引き留めてしまった。このまま行かせると今度は街で声をかけてきた不埒な輩にもついて行ってしまいそうだ。
 ディーノは頭のなかで色々と考えた。彼女の父親に連絡するのは当然として、そのあとは。葛藤は目の前の泣き出しそうな瞳に煙となって消える。頼れといったのは自分で、彼女は自分を頼ってきた。助けを求めて伸ばされた手をとれないようでは、人の上に立つことはできないのだ。

「少しの間だけだぞ。親父さんとちゃんと話をしろ、いいな?」
「ディーノ!」

 前は一度も呼ばれなかった名前を、まぶしいくらいの笑顔と一緒に呼ばれてしまう。無意識にやっているとしたらとんでもない悪女の卵である。
 しゃーねえ、乗り掛かった舟だ。
 キャバッローネのボス、見合いで知り合った美女を数日で連れ込む―――そんな非常に誉れ高い武勇伝を手に入れてしまったことに、ディーノまだは露とも知らなかったのだった。










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